第17話 思い出
晩飯を食べてしばらくすると、太陽神に替わって月の女神が世界を照らし始めた――つまり夜になった。今夜は満月。十五夜に一度の、吸血鬼や女夢魔が喜ぶ夜だ。
明日に備えて休もうと、焚き火のそばに寝転がった……が、どうにもこうにも寝つけねえ。〈樹海宮〉のお宝が神授の武器だって知っちまったせいか、明日が待ち遠しくて眠れねえんだ。
さんざんうなったり、寝返り打ったりしてると、サーラとおっさんの話し声が聞こえてきた。どうやら、あの二人もまだ寝てないみてえだ。
そっと薄目を開けてみると、焚き火の暖かな光の中に、何やら楽しそうに話してる魔女っ子の背中が見えた。その傍らにゃ、焚き火に薪を継ぎ足しながらサーラの話に耳を傾ける、おっさんの姿がある。火影に照らされたあの人の横顔は、灯器のほのかな光が揺れる書斎で煙管をくゆらせ、崩れかけの古文書に目を凝らす老賢者のそれを思わせた。
「ほう――サンドレオ帝国の都で?」
「そうよ。あの都の飲み屋さんで、あたしはメリックと出会ったの」
「興味があるな。よければ、聞かせてくれたまえ」
サーラの奴、おっさんに、俺と初めて会ったときの話をしてるようだ。
寝てるふりして聞いてると、俺のすぐそばでデュラムが「ふん……」と鼻を鳴らしやがった。「私はまったく興味がない」とでも言うように。
なんだ、あいつも起きてたのかよ。
「あたしが酔っ払いの小人たちにからまれて、困ってたときだったわ。あの子が現れたのは」
いっそ俺も起きて、サーラの思い出話に加わろうかとも思ったが、今起きちゃ話の腰を折っちまう。ここは一つ、狸寝入りしたまま耳を傾けるとするか。
どれどれ……。
「他のお客はやっかいごとに関わりたくなくて、みんな見て見ぬふりをしてたけど、あの子は違ったわ。あたしと酔っ払いの間にずんずん入ってきて、あたしを助けてくれたの。小人の拳を楽々避けて、腕をこう、がしっとつかんでひねり上げて……」
「ぬおっ? お嬢さん、お嬢さん、興奮するのは構わんが、私の腕をひねらんでくれたまえ! 痛いではないか!」
「あ、あらごめんなさい。つい力入っちゃって……」
おいおい。サーラの奴、何やってるんだよ?
「おお、痛い痛い……それにしても、こうまで語りに熱が入るほど颯爽としておったのかね、そのときのメリッ君は」
「ええ、そりゃもう。牛頭人を追い払ったときのあなたほどじゃないけど……それでもかっこよかったわ」
俺が冒険者になってから、一月くらい後の話だな。今となっちゃ、懐かしいぜ。
「お礼に一杯おごらせてもらったんだけど……話をしてるうちにあの子のこと、すっかり気に入っちゃって♪」
「なるほど。そして酔った勢いに任せて宿屋に入り、軋む寝台の上で快楽に満ちた一時を過ごしたと――」
「ちょっと、何いやらしいこと言い出すのよ。雷神様の稲妻に撃たれなさい!」
ポカン! 間抜けな音がして、おっさんが「うおっ!」と情けねえ悲鳴を上げた。なんともかわいい稲妻に撃たれたもんだ。
「もう、そんなわけないでしょ。一緒に旅して、冒険しましょってことになっただけよ」
「むう、もっと色気のある恋物語を期待しておったのだが」
「おあいにく様。神話や伝説なんかと違って現実じゃ、男の子と美少女が出会ったからって、いきなり恋なんて芽生えるものじゃないのよ」
「なんと。私はその手の話が好きで好きでたまらんというのに……」
おっさん、いい年してそういう趣味だったのかよ。
「期待にそえなくて悪かったわね。あの子って、見た目のわりにそっちの方面にはうといのよ。言葉遣いはぞんざいなくせに、妙に礼儀にこだわったりもするし……案外、育ちがいいのかもしれないわね」
「ふむ、確かに。今時の若者らしく腹など出しておるが、根は真面目なようではないか」
「そうそう♪ 忘れん坊な間抜け君だけど、見た目は結構いいし、優しいし……」
「君の弟分にぴったり、かね?」
「そうなの。話がわかるじゃない、マーソルさん♪」
だーかーら、俺はお前の弟分じゃねえんだってば! 心の中で、そう突っ込みを入れる俺。
そのとき、デュラムが不意に立ち上がり、
「サーラさん、私はあちらで水を浴びてきます。この男が少しでも怪しいそぶりを見せたら、すぐ呼んでください」
と、おっさんへの不信感を露骨に表したせりふを吐いて、焚き火から離れていった。
「――妖精君。ソランスカイアの神々にかけて、私は何もせんよ――君たちにはな」
と、おっさんが声をかけたが、妖精の態度は相変わらず無礼そのものだ。
「ふん……信用できるものか」
デュラムの奴、なにもそこまで喧嘩腰にならなくてもいいだろうに……。
ちなみに、俺がデュラムと知り合ったのは、サーラと出会う半月ほど前のこと。駱駝で絹を運ぶ隊商の用心棒として、サンドレオ帝国領のサロハリアン砂漠を横断中、性悪な小鬼の盗賊一味に襲われてさ。危ういところを、通りすがりの妖精が加勢してくれたおかげで、どうにか切り抜けられた。その妖精が、デュラムだったってわけだ。
砂漠を渡りきった後、あいつとはいろいろあって意気投合し、それからずっと一緒にやってきた。サーラが仲間に加わって、俺たちのまとめ役になってくれるまでは、よく仲違いしてたけどな……。
俺が昔の思い出に浸ってる間にも、サーラとおっさんはおしゃべりを続けてた。話の中身は相変わらず俺のことみてえだ。
「――もっともあの子、知り合った頃は気難しいところもあって、つき合うのが大変だったのよね」
「ほう、気難しい? どういうことかね?」
「うーん、どう言ったらいいのかしら? 神様の話をすると、急にご機嫌斜めになっちゃうの。『俺は絶対に神々を許さねえ!』って」
……確かに、そんな時期もあったな。
「それはまた、興味深い話だな。過去に一体、何があったのやら」
「何か不幸な目に遭って、それを神様が定めた運命のせいだと思ってたのかもしれないわね」
サーラのずばり的を射抜いたせりふを聞いて、俺は三年前に死んだ親父の言葉を思い出した。
――私が死ぬのも、お前たちが逃げ延びるのも、すべては神々によって定められた運命なのだ。神意に逆らうことは、誰にもできん。地上の種族である限りはな。
「なるほど。それで神々を憎んでおったのだとすれば、無理もない」
おっさんが、いくらか声の調子を落としたような気がする。
「病に貧困、戦に差別、大切な者との別れ。その他、様々な不条理。この世には、神のせいにでもしなければやりきれん不幸が、あまりにも多すぎる」
「そうね……」
と、魔女っ子がつぶやく。
「けどまあ、あの子もこの三年間、神様とか運命についていろいろ考えて、何か思うところがあったんでしょうね。今じゃずいぶん角がとれて、丸くなったわ」
そいつはデュラムと……お前のおかげなんだぜ、サーラ。
空寝を続けながら、二人の仲間と一緒に過ごしてきた日々を振り返ってみる。
あの二人と出会ってからは、毎日がそれまでよりずっと楽しくなった。人生捨てたもんじゃねえ、世の中不幸なことばかりじゃねえってことが、だんだんわかってきたんだ。
地上の種族の運命を定める神々が、どういうつもりで俺と二人を引き合わせたのかはわからねえ。けど、神の意思がどうあれ、デュラムやサーラとの出会いがなけりゃ、俺はずっと一人ぼっちで、神様憎んでばかりの暗い人生を送ってたに違いねえ。だから、普段口には出さねえが、あの二人にゃ感謝してる。それに、俺が二人と出会うよう運命を定めてくれた神々にも、ちょっとだけ――。
もちろん、恨み辛みって感情は、そう簡単に消えるもんじゃねえけどさ。サーラの言う通り、今じゃ神々のことは、昔ほど憎いとは思わねえ。
本当に憎い奴は他にいることだし、この目で姿を見たこともねえ天上の権力者たちを、いつまでも憎んでたって仕方ねえからな……。
――これは殿下、今日もご機嫌うるわしゅう。
狸寝入りを続けるのも楽じゃねえ。この世で一番憎い奴の口癖を思い出して、俺は顔をしかめた。眉間に皺が寄って、歯と歯がぎりりと擦れ合う。
……あの野郎。いつか、どこかでばったり会ったら、そのときはこの手で……!
「おお、いかんいかん。そろそろあやつが――あの性悪女が追ってくる頃だ」
「……? どうしたの、マーソルさん? 性悪女って?」
「ああ、いや。お嬢さんには関わりのない話だよ、気にしないでくれたまえ。それより、あの妖精君のことだが――」
サーラとおっさんは、その後も話し続けてたが、俺はだんだん眠くなってきた。今日はいろんなことがあったからな。さすがに疲れが出てきたみてえだ。
瞼が次第に重くなる。二人の話し声が、だんだん遠ざかる。
そして――。




