第15話 魔女っ子は水浴びがお好き
そんなわけで、今夜はゆっくり休んで、明朝遺跡に入る手立てを考えようってことになった。
差し当たって問題なのは、今晩どこで休むかだが……大して悩む必要はなかった。遺跡の前に、滾々と水が湧く泉があったんだ。多分これが、おっさんの話に出てきた「女神の水瓶から生まれた泉」なんだろう。
神話の舞台となるにふさわしい、大きくてきれいな泉だ。水は青く澄み切って、底が透けて見えるほど。昼は水の精が太陽の下で遊びたわむれ、夜には小妖精が月明かりを浴びて水面の上を滑り踊る――そんな夢幻の光景が、ありありと目に浮かぶようだ。
泉の水を両手ですくって飲んでみると、これがまた冷たくて、おまけにほんのり甘い。のどの渇きが一瞬で消し飛ぶ。
「きれいな泉♪ 手持ちの水も少なくなってたところだし、ちょうどいいわ。今夜はこの泉のそばで野宿しない?」
「そうだな。デュラムもおっさんも、いいだろ?」
「好きにしろ」
「私はどこでも構わんよ」
「じゃあ、決まりね♪」
泉のほとりでしばらく休んでから、晩飯の支度に取りかかろうってことになったんだが……ここで、ちょっとした騒動が起きた。
「……? お、おおお、おいサーラ! お前、何やってんだよ!」
何を思ったか、サーラの奴が服を脱ぎ出しやがったんだ。なんの前触れもなく、唐突に。
まずは鍔広のとんがり帽子を取ると、右肩につけてた渦巻き紋様入りの留め針を外し、外套をはらりと足下に落とす。それから胸当ても取り去り、さらに腰帯まで緩めにかかる。
「何って、決まってるじゃない。水浴びするのよ、水浴び♪」
そう言われて、思い出した。ああ、そうだ――こいつ、大の水浴び好きだったっけ。
「最近ずーっと野宿で、お風呂にも入れなかったでしょ? こんなにきれいな泉があるなら、水浴びしない手はないじゃない♪」
そう。この魔女っ子、いつもは大人びたしっかり者のくせに、水浴びできそうな場所を見つけると、途端に子供になっちまう。旅の途中、きれいな川や湖のそばを通ろうもんなら、もう目の色変えて、すごい勢いで服を脱ぎ出すんだ。だからその都度、俺とデュラムは視線のやり場に困っちまうし、周囲の目だって気にしなくちゃならねえ。
「おい、よせよ――服着ろって、服!」
俺が止めるのも聞かずに、サーラは次々と着てるもんを脱いで、みるみる裸になっていく。神話の中でやたらと裸身を披露することで有名な、愛と美の女神ウェルナのように。
水着みてえな革服の下から、ほどよく豊かな胸の双丘とか、つうっと指先を走らせたくなる滑らかな腹があらわになるのを見て、俺は慌てて顔を背けた。
「こ、こんなところで裸になるなんざ、普通の女の子がすることじゃねえって!」
「あら、あたしは魔女よ、普通の女の子じゃないわ」
「そりゃまあ、そうだろうけどさ……」
「魔法の儀式のときなんて、一日中裸でいることだってあるんだから」
「それでも、駄目なもんは駄目だって!」
だああっ、ほっぺたが熱い! 口の中に溜まった唾を、ごくりと飲み下す。一度はそらした目が、ついついサーラの裸身に引き寄せられちまう……。
「何よメリック、恥ずかしいの?」
すっかり生まれたままの姿になったサーラが、からかうように、肘で俺の肩を突いてくる。
「あたしの裸なんて、今まで何度も見てるくせに」
「そりゃお前が、何度も見せるからだろうが!」
うわずった声で、俺は言った。
「今日は俺やデュラムだけじゃなくて、あのおっさんもいるんだ。出会って間もねえ人の前でいきなり服脱ぐなんざ、無礼じゃねえか……」
「そうかしら。マーソルさんは、鼻の下伸ばしてご満悦みたいだけど?」
「――へ?」
サーラの言う通りだった。おっさんときたら、喜色満面。遺跡の階段に腰かけて、膝に肘をつき、掌に顎を載せて、さも嬉しそうにこっちを見てやがる。俺と目が合うと、てへっと頭の後ろをなでて、
「おお、すまんすまん。私としたことが年甲斐もなく、麗しい乙女の柔肌に見入ってしまったようだ」
と、はにかみながら、わびる。
「おいおい、おっさん……」
「――マーソル。貴様、見てはならないものを見たな……!」
不意に地の底から響いてきたような低い声がして、俺はびくりとすくみあがった。こめかみに汗を一筋流して、恐る恐る振り返ると――げげっ! 案の定、デュラムが端整な顔を真っ赤にして、全身に怒気をみなぎらせてやがる。構えた槍の切っ先が狙うのは、おっさんののど笛だ。
「サーラさんの裸身を目にする特権は、私とメリックだけのものだ。それを貴様は……!」
「あちゃ……忘れてた!」
デュラムの奴、普段は冷静なんだが、サーラのことになるとすぐ暴走するんだよな。
ひょっとしたら……サーラに惚れてるのかもしれねえ。
「ガレッセオとヒューリオスにかけて、貴様の眼、くりぬいてやる……!」
「だああっ! よせデュラム!」
俺の制止を振り切り、デュラムはおっさんに突きかかる。
命の恩人になんてことしやがるんだ、あいつは!
「――むう? 暴力はいかんな、妖精君」
デュラムの一突きを、おっさんは易々とよけた。慌てる様子もなく腰を上げ、外套についた土ぼこりを払いながら、軽く首をひねっただけでかわしたんだ。
「いつの時代、どこの国でも暴力とはむなしいものだ。壊すばかりで何も創らず、何も生まん。さあ妖精君、息を深く吸って落ち着きたまえ。武器を置いて、冷静に話し合おうではないか」
「黙れ……!」
続けて二突き、三突きと繰り出されるデュラムの槍。風を切って襲いかかる白銀の穂先を、おっさんはいとも容易くひょいひょいかわす。まるで魔法の靴でもはいてるかのような、軽い足運びで妖精との間合いを取りつつ、上体を左右に揺らすだけで避けちまう。
突然、外套を大きくひるがえし、デュラムの視界をさえぎったかと思えば、
「はっはっは……私はここだ、妖精君。できるものなら、捕まえてみたまえ!」
と、笑いながら、すたこら逃げる。
「こ、この……待て!」
おっさんの後を、躍起になって追う妖精。あいつは本気で怒ってるんだろうが、おっさんはどう見てもデュラムをからかってるとしか思えねえ。おかげで俺にゃ、二人のやってることがだんだん子供の鬼ごっこみてえに見えてきた。
とはいえ、このまま放っておいちゃ危ねえな。どうにかしてやめさせねえと。
「おいデュラム、やめねえか……やめろって!」
妖精の暴走を止めようと、俺が割って入ろうとした、そのとき。両脇の下に、白くて細い腕が、するりと滑り込んできた。
「え……?」
いつの間にか背後に回ったサーラの両腕が、俺の腰を抱きしめる。丸くて弾力のあるもんが二つ、背中にぎゅっと押し当てられた。
真ん中の一点がちょっと硬くて、まわりは柔らかい。革鎧を通して伝わってくるこの感触は……ひょっとしたら、ひょっとして。
「ちょっ! サーラ、お前……!」
「――メリック、あなたも水浴びしない? 久しぶりに、背中流してあげる♪」
俺のほっぺたに顔を寄せ、サーラは悪戯っぽくささやく。熱くなった耳に、ふっと涼やかな息が吹きかけられた。
「い、いいい、今それどころじゃねえだろ! 早く止めねえと、おっさんが――んっ!」
俺の言葉を封じるように、魔女っ子は裸身をなまめかしくくねらせ、両手を妖しく動かした。右手で俺の腹を愛撫しながら、左手を革鎧と胸の隙間に差し入れてくる。白魚みてえにしなやかな魔女っ子の指が、俺の胸やら腹やらの上をはい回った。
「あの様子なら、放っておいても大丈夫よ。それよりメリック、あなたも早く脱ぎなさい」
「んっ……ふ、んんっ!」
サーラにとっちゃ、俺は弟分。だから、こんなことも軽い気持ちでできるんだろう。けど、俺はこれでも年頃の男だ。同い年の女の子にこんなことされて、平静でいられるかと言えば、そりゃもちろん……。
絶対、無理に決まってるじゃねえか!
「だわあああああッ!」
すっかり動転した俺は、サーラの腕を振りほどき、その場から転がるように逃げた。
桃色だ、桃色! 頭の中にもやもやと桃色のもやが立ち込めて、まともな思考ができねえ。もう、夢中で走って、走って、走りまくり――。
「どわっ!」
蹴つまずいて、思いっきりすっ転んだ。
「あらら、ちょっと悪ふざけが過ぎちゃったかしら?」
そんなサーラの声が、聞こえてくる。
ああ、ったく……! あいつが脱ぐと、いつもろくなことになりゃしねえ!




