白魔法使いとその妻
「せんせー!」
診療所の扉が勢いよく開く音がして、私は診察室から顔を出した。
午前中の診察を終えた待合室には誰もいないはずだったが、急患の場合は時間に関係なく診るとしているので少しばかり緊張が走る。
「どうした、急患か?」
「違うよー、お届けものー!」
膝に大きな青痣を作った少年は手にしていた籠を差し出す。
「その膝はどうした?」
「あー、一昨日兄ちゃんと遊んでてコケちゃってさ。膝ぶつけたんだよ、すっげぇ痛かった」
籠を受け取りながら膝の様子を見れば、若いだけあってもう治りかかっている。治癒魔法で治すよりも、自然に治る方が良いに決まっているのでそのままにする。
「これは?」
「さっき収穫したオレンジだよ、母ちゃんが先生のとこに差し入れだって。先生のお嫁さんに必要だからって」
「そうか、ありがとう。ご両親のお礼を言ってくれ」
「おー!」
少年はこの街で野菜と果物を作っている家の子だ。田舎の街の子らしく日に焼けていて、しょっちゅう打撲や擦り傷などを作っている。貴族の子弟にはあり得ないことだが、庶民では普通なのだと最近は驚かなくなった。
「あ、これもだった」
帰ろうとしていた足を止め、少年は封書をシャツと背中の間から引き抜いて手渡して来た。何故そのような場所に挟み込んで持って来たのか、疑問ではある。が、この年頃の少年に理由を聞いても「なんとなく?」程度の答えしか返ってはこないので、聞くだけ無駄だ。
「ありがとう」
そう言って受け取ると、少年は来た時と同じように勢いよく帰って行った。帰宅すれば、昼食なのだろう。
手渡された封書は二通。
ひとつはヴァラニータ家から、いつもの義母上様から妻への手紙だ。そしてもうひとつには久方ぶりに見る家紋が入っていた。
「……グランウェル侯爵家から?」
叔父に引き継いで貰った家からの手紙は、貴族籍を抜けてから初めて届く。
診療所の扉に〝休憩中〟の看板が出ているのを確認してから、家紋の透かしが入った封筒を何度も確認しつつ、奥にある住居部分へ向かった。
「今日のお昼はローストチキンのサンドイッチに、野菜スープとポテトと卵のサラダですよ」
キッチンでは妻が昼食の支度をしてくれていて、義母上様からの手紙を受け取り「こんなに筆まめな人だとは思っていなかった」と笑う。
祭りやイベントの時、誕生日などに送られてくるカードや贈り物は勿論のことだが、通常の手紙の週に一通か二通は届く。この田舎の街と王都との距離を考えると、かなりの筆まめっぷりだ。
「元気な証拠、と思えばいいだろう」
そう言えば、妻はそれもそうだと賛同しふたりで昼食を囲んだ。
昼食後、食後の茶を飲みながら侯爵家から届いた手紙を開封する。
どんな内容か、と心臓が躍ったが……叔父上が当主の座を退き、従兄弟のクリスが新しい当主の椅子に座る。クリスの長男であるライリーが嫡男となることが書かれていた。
そのお披露目パーティーに参加しろ、とも書かれていた。
「…………」
現在のグランウェル侯爵家はその全員が領地に暮らしている。
王都にあったタウンハウス(母と妹が住んでいた件の屋敷だ)は処分され、侯爵家の面々が王都に滞在する時は貴族用の宿を取っているらしい。
当然、お披露目パーティーは領地の領主館で行われる。
「……行くのですか?」
リィナは差し入れられたオレンジを切り分けながら、少し不安そうな顔をした。
「いや、すでに籍が抜かれた私は関わりがない。血縁関係はあるが、行くのはおかしいだろう。手紙と祝いの品を贈る程度でいいと思うが、どうだ?」
「あなたが良しとするなら、それでいいですよ」
「そうか」
リィナはそう言って大きくなった腹を撫でる。その腹はもうはち切れんばかりだ。もういつ生まれてもおかしくない。
こんな状況で家を空けるなど、なにかあった時に取り返しがつかない。それに、我が子が生まれると言うのに側にいないというのも落ち着かない。
クリスには悪いが、我が家の家庭の事情を優先させて貰う。「どうして来てくれないんだ!」と大げさに騒ぐクリスが目に浮かぶが、放置を選ぶ。
私はクリスよりも、妻子の方が大切なのだ。
その八割が農業に従事している小さな街に越して来て、治療院を営む白魔法使いとして生活して三年。リィナと結婚して九年になる。
国王陛下の命にて婚姻関係を結んだ、書類にサインをするまで顔も知らずにいた政略結婚だった。
九年になる結婚生活の内、六年は書類上だけの関係で話しをする所か顔を合わせることもなく過ごし……三年前から同じ家に寝起きし、同じ食事を取るごく一般的な夫婦となった。
家族として夫婦として、他人だったふたりが共に暮らして行くことは思っていた以上に大変なことだった。
婚姻関係を結んだから、ずっと隣にいてくれるわけではない。お互いが共にいる努力をするからこそ、共にあれるのだと学んだ。
当然この三年間には喧嘩もあったし、勘違いもしたし、些細なことですれ違ったりもした。義母上様にはその都度「離縁しても大丈夫よ、娘のことは気になさらないで」と笑顔で言われたりもした。
夫婦として過ごす時間の中には、山もあったし谷もあった。
それでも、今私とリィナは共に暮らして新しく家族も増えようとしている。
色々あったことを乗り越えられたのは、あの空白の六年を悔やむ自分が居たからだと思う。リィナがどう思っているのかは分からないが、私はそう思っている。
リィナの足は杖を使わなくても歩けるようになったし、肌の変色も大分目立たなくなった。あと数年もすれば気にならなくなるだろう。
もう私は夜中まで仕事に明け暮れることもない、リィナは魔獣やドラゴンと戦うこともない。この小さな農村で穏やかな生活をしていくだけ。
それはとても幸福なことだと、私は思う。
金や爵位、権力があっても手に入れられない、穏やかな幸せだ。
「……ヨシュア、お腹……痛い」
「なっ……」
蹲るリィナを抱え、診療所のベッドに座らせる。
頭の中をやらねばならないことがグルグルと回って、回るだけでどうにも出来ない。
産婆のサリー婆さんと、出産経験者である向かいのミリアムさんを呼んで、診療所を午後休診にして、タオルと湯を用意して……
「落ち着いて、大丈夫。すぐは生まれないから」
リィナに手を握られ、彼女の魔力が流れ込む。温かくて気持ちが良くて、落ち着く魔力。
「……リィナ」
陣痛が始まり痛みがあるだろうに、リィナは微笑んだ。とても、美しい笑顔だ。
その笑顔に見とれていると、診療所の扉が開きドヤドヤとご婦人方が入って来る。どうやら、出産の近いリィナを丁度見舞いに来てくれたようだ。
その後、私は「邪魔!」と診療所を追い出され、診療所の前に出された椅子に座ってぼんやりしていた。それを見た父親の先輩をしている住民たちから笑われつつ、慰められる。「子どもが生まれる時に男親なんてなんの役にもたたねぇよ、待つだけさ」と。
ヴァラニータの義両親とクリスの所に手紙を出さなければ、と思っているときに大きな泣き声が響いた。
一緒に数時間待ってくれていた男衆の大きな声があがるが、それに負けない大きくて元気な泣き声だった。
「元気な男の子です! 母子共に無事ですよ!」
その泣き声は私の胸に大きく響き、涙が溢れる。
リィナ、キミは今、幸せか?
私は今、幸せだ。
私の幸せを沢山くれたのは、全てキミだ。ありがとう。
私との結婚を続けてくれて、ありがとう。
世界中でキミだけを愛している。
END
最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。
設定を練らず大まかな物語展開を考えていただけの状態で書き始めたため、ふんわりとしていてアラの目立つお話ではありましたが少しでも楽しんで貰えたのなら幸いです。
大勢の皆様に読んで頂け、評価、ブックマーク、イイネなどで応援下さった皆々様にはいくら感謝しても足りません。励みになりました。
長い間お付き合いありがとうございました!
今後、当初予定しておりましたオマケ話を書き上がり次第不定期に上げる予定です。
そのときはまたお付き合いいただけますと嬉しいです。




