宿屋街
「野宿とは、実に厳しいものだと知ったわ」
首や肩をこきっこきっと鳴らしながら、私はボヤいた。
元々私達が同行する予定などなかったのだから仕方ないけど、モルモットが野宿の為に持参して来たテントは一つしかなかった。
そのため、夜に寝る際にはモルモットにテントを使って貰って、私達は馬車で寝かせて貰う事にした。
荷台には幌を張ってもらって、造りとしてはテントみたいなモノだったけど、床が剥き出しの板一枚だったから、硬いし痛いし枕はないし。
仕方がないから、バックパックの中からバスタオルを出してぐるぐる巻いて枕代わりにした。
それに。
「お風呂……入りたい」
一週間の長旅。サワナまでの道のりに、目立った村や町にまだ到着出来ていない私達は、当然お風呂にも入れていなかった。
「お気持ちは分かりますが……もう少し我慢なさって下さい」
ミカンが申し訳なさそうに項垂れる。
「この先には小さな町があります。私らは毎度そこで一泊しますから、今回も泊まると思いますよ」
ミカンを気遣いそう言ってくれたのは、向かいに座るサワナの従者さんだった。
私が炎の精霊の加護を得た事て巫女の器だと皆に知れ渡り、モルモットは私の警備体制を強めた。
なんでもサワナの従者達は皆剣の腕が立つのだそう。
仕事柄、大豆を運ぶ際に盗賊や野盗に狙われる事も少なくないそうで、今回も公布のためのユーラ遠征ではあったものの、ちゃっかり商売をしながら来ていたモルモットは、しっかり腕の立つ従者を揃えて来ていた。
馬車の後ろには相変わらずオスカーさん達が付いて来ているし、警備体制は万全のように思えた。
「町があるんですか? 宿も? じゃあ、本当にゆっくり出来るわね!」
「そうですね。お宿にお風呂があると良いですね」
「お風呂のない宿なんてあるの?」
タンポポのような笑顔でそう言ったミカンの言葉に首を傾げた私を見て、従者が笑った。
「巫女様……おっと、まだそう呼んじゃいけなかったな。アスカさん。この辺の宿屋っていうのは、部屋とベッドがあるだけの宿がほとんどなんです。お風呂まで付いてる宿は珍しいんですよ」
従者の言葉に思わずショックを受ける。
お城では普通にお風呂に入れていたから、それが当たり前だと思っていたけど、宿屋でさえお風呂が付いてないのが普通だなんて。
この先の旅に一抹の不安を覚えた時だった。
「ほら、見えましたぜ。あれがその町でさぁ」
従者が指さすその先に、町が見えた。
遠目に見て、それ程大きい町ではないようだった。
馬車は真っ直ぐに町へと向かい、到着した。
ガタガタと揺れる馬車の中から町の様子を伺うと、ユーラよりも明らかに行き交う人々が多い。
中央をはしる道を挟み、ずらりと看板を掲げた宿屋が立ち並ぶそこは、この近郊では有名な宿屋街なのだそうだ。
従者の説明によれば、この宿屋街を起点に商売人は動き回るのだそうで、そのためにユーラよりも人の出入りが多いのだという事だった。
私達の馬車はしばらく走ると、モルモットがいつも懇意にしているという宿屋の前でその足を止めた。
馬車の中から宿屋の様子を伺っていた私達にモルモットが降りて来て声をかける。
「少し早いですが、この先はまた暫く宿がありませんから、今夜はここに泊まりましょう」
「ええ。分かったわ。ありがとう」
そう返事をしてオスカーさんやテオに荷物運びを手伝って貰って、私達はその宿へと足を踏み入れた。
「女将! いるかね。私だよ」
「はーい」
宿屋の玄関でモルモットがそう声を張ると、中から一人の女の人が出てきた。
女性らしい高い声を上げて奥からぱたぱたと走って来る。
穏やかな顔つきの、少しふくよかな女の人だった。
「女将。今日も世話になるよ。今回はユーラの騎士様もご一緒だ。他にも何名か連れがいるがね、宜しく頼むよ。部屋は空いてるかね?」
モルモットの言葉に、女将さんは私達の人数を視線で数えて頷いた。
「ええ。お部屋は空いていますよ。女性の方は別のお部屋にした方が宜しいでしょう? あまり立派なお部屋ではありませんが、ごゆるりとお寛ぎ下さいね」
にっこりと笑って、女将はそう言った。
数人の中居さんが荷物を運ぶのを手伝ってくれて、各自の部屋へと案内される。
私とミカンが案内されたのは、板張りの床に簡易ベッドが二つある簡素な作りの部屋だった。
でもホコリやチリは見当たらないし、キチンと掃除は行き届いていて清潔感がある。
荷物を運んでくれた中居さんが、ベッドサイドに荷物を置いて、にこやかな笑顔で話しかけて来た。
「御夕食までにはまだお時間が御座います。この町には大して見る所も御座いませんが、もしお時間があるようでしたら、私で良ければご案内させて頂きます」
「町の案内? 何か名所でもあるんですか?」
思わぬ申し出に、思わずキョトンとしてしまう。
「ここは、昔はよく知れた温泉街だったのです。
もう何十年も昔の話なのですけど、その名残でこうして宿屋も多くあるのです。
この界隈から少し外れた所に、昔は源泉として重宝されていた泉があるのですが、いまはとても綺麗な泉になっていますので、気分転換も兼ねてお客様をご案内しているのです。
お時間があるのでしたら、ぜひ」
そう言って中居さんはにっこりと笑った。
温泉街? 昔はここに温泉があったの?
なんでなくなっちゃったんだろう?
疑問が膨らむものの、それよりまず先に私には確認したい事があった。
「あの。このお宿にお風呂はあるんですか?」
そう尋ねると、中居さんは悲し気に視線を伏せた。
「いいえ……昔の名残で大浴場はあるのですが、お湯が沸きませんので、水のような状態なのです。
ですからお客様には、お部屋にお水をお持ちして身体を拭いて頂いています。申し訳ありません」
そう言って頭を下げられてしまった。
「頭を上げて下さい。それは中居さんのせいじゃないいですから。ね、ミカン」
「そうです。アイゼンにはいま、温泉が湧く宿なんてどこにもないはずです。謝る事ありませんよ。私達は身体が拭ければそれで十分ですから」
ミカンも同意してそう答えると、中居さんはそっと顔を上げて静かに笑った。
ないものねだりして困らせるのは本意じゃない。
夕食まで時間があると言うのだから、せっかくだしその泉でも見に行ってみようかな。
そう思ってみんなも誘おうと声を掛けたら、モルモットはここでも商談があるのだそうで、モルモット一行とは夕食の時間まで一旦別行動をとる事にして、私達はオスカーさんやトキとヤマトを伴って泉見学に出向く事にしたのだった。




