風に乗って
「行ったか」
執務室の窓から広がる敷地を見下ろす。
その先には城門があり、領主共が次々と出発して行くのが見える。
「はっ。朝一番にサワナ領主の一行と出たようです」
ユリウスの側にはライザーが控えていた。
そう答えると、薄らとした笑みをユリウスは浮かべた。
「仕事が早くて何よりだな。手筈はどうなっている」
「既に手は打ってあります。しかし……あの娘は乗馬が出来ると聞いていたので、単騎行動に乗じて事を起こそうと思ったのですが。
荷台に乗り込んだようで、あの黒猫も一緒です。サワナ領主も一緒にいる為、容易に手出しは出来ぬでしょう。
野盗には後を追わせていますので、時期を見計らって動いてくれるかと」
「ふむ……まあ、そう焦る事もなかろう。吉報を待とうではないか」
「はっ」
「それにしても、あの娘。予に挨拶もせずに出て行くとは」
「あの娘の無礼は今に始まった事では御座いません」
「ふん、まあ良かろう。しくじるなよ」
「はっ」
一礼して、ライザーは執務室を後にした。
心臓が早鐘を打つようだ。
ライザーは決して御当主様に背こうとは思わない。
彼の冷酷さを目にした事も何度もある。
だから今回も背きはしない。
しかし、今回は出来るだけ長くその時を引き伸ばしたかった。
朱鳥を荷台に乗せるようにサワナ領主に諭したのはライザーだった。
そうすれば、容易に手出しは出来ない。
サワナ領主一行について行くように事を運んだのもその為だ。サワナ領主の一行を襲撃させ、万が一の事があっては困るからだ。
出来るだけ長く、時間を稼がなくては。
ライザーの額に一筋の冷や汗が流れ落ちた。
「巫女様。巫女様。起きて下さい」
ゆさゆさと身体を揺さぶられ、はっと目を覚ます。
「お昼ですよ」
「お昼……」
あれから暫く、新しい町でも見えないかとキョロキョロしてみたのだけど、草原が広がるばかりで建物なんか何もなかった。
それでついつい、うたた寝をしてしまったのだ。
よいしょと荷台から外を覗くと、相変わらずの草原が広がっている。
この荷台の中で食べるのかしら。
「アスカ殿!」
「ああ、モルモットさん。お昼ですか?」
馬車が止まったかと思ったら、モルモットが顔を出した。
「ええ。ここで一休みしましょう。今準備させますから、お待ちになって下さい」
「はい、分かりました」
そう言ってモルモットは去って行った。
準備って何をするのかしら。少し気になって、私は馬車を降りた。
そこは緑の草原が、一枚の絨毯のように広がる場所だった。
こんな所でピクニックでもする気なの?
首を傾げながら移動すると、モルモットの従者が荷台から薪を下ろして組み重ねている所だった。
「あれ、薪よね。あれで何するのかしら」
思わずそうミカンに尋ねると、ミカンは当然のような顔をして答えた。
「昼食を作るのですよ」
えっ、それって一から作るって事?
嘘でしょ。
「もしかして、これから薪に火をつけて、ご飯作って、食べたら片付けして、それから出発するの?」
「はい。そうですけど」
ミカンが不思議そうに首を傾げながら、そう答える。
そんな事してたら、いつまで経ってもサワナに着かないじゃないのよっ!
弁当とかないの、ここ!
夜は野宿もあり得るって、話には聞いていた。一週間もかかるのだから、それは仕方ないと思った。寝泊り覚悟で夕食作るなら文句ない。
でも昼食までいちいち火起こしから始めるなんて、時間がかかり過ぎる。
私はむんず、と従者の元へ歩み寄る。
「私も手伝うわ」
「巫女様!?」
「アスカ! いいから待ってろって! それなら俺達がやるから。な!」
私の言葉に驚いたミカンと、割って入ったテオ。オスカーさんも、ぽんと私の肩に手を置いた。
「火傷などしたら大変だ。ここは、我々に任せると良い」
皆に、いいからいいからとさとされて、結局私はすぐ側で膝を抱えてその様子を見守る事になった。
前を走っていた馬車の中には、食料や自炊に使う薪、鍋や食器などが積まれていたようで、皆で手分けして荷物を取り出して昼食準備に取り掛かっている。
長旅には自炊。
精霊の泉に行く時もこんな事しなくちゃいけないのかしら。
しなくちゃ、いけないだろうな。
私はほとんどアウトドアの経験がない。
それで私はバックパックからノートとペンを取り出して、その作業の流れをメモる事にした。
必要な準備物、使った材料。作った料理。
いつかは役に立つかもしれない。
薪に火が灯り、鍋がその上に吊るされた。
何人かの従者が食料を取り出し、材料を切り始める。
その様子をボーッと眺めていた時、ふと業者の手元に目がとまる。
あれ、何!?
私は思わず跳ねるように飛び上がり、その従者の元へ駆け寄った。
従者が手にしていたもの、それは。
「肉?」
「へぇ。豚肉を干した物ですよ。見た事ないんですかい?」
「豚肉を干した物?」
私は目をまん丸くして聞き返した。
ちょっと奥さん、聞きました?
城で一度も出なかった豚肉が、こんな所にいらっしゃいましたよ!
うっそー! 信じられない。
見るだけでヨダレが出そうである。
「おい、アスカ。口からヨダレ垂れてる」
「アスカ……その顔やめた方がいいよ」
テオとトキが渋い顔をして私を見ていた。
だって、お肉とか久しぶり!!
「ははは。サワナの御当主様に感謝しませんとなあ。あの黒猫はお嬢様ので?」
肉を切り分けている従者がニコニコと笑いながら、視線を移す。
その先ではヤマトがパチパチと音のする焚火の前で暖でも取っているのか、じっと炎を見つめたまま座っていた。
「はい。私の飼い猫です」
「おお。それはそれは。しかし、火を怖がらないとは、珍しい猫もいたもんですなあ。先ほどからどこにも行かないで、あそこでじっとしておるのですよ。餌でも待ってる野良猫かと思いましたが、お嬢様のでしたか」
「あはは。野良じゃないですよ。すごく賢いんです。長生きしてますから」
「そうでしたか。おい、お前。こっちにおいで」
従者が声を掛けると、チラリとこちらに目をやって、ヤマトが近寄って来た。
「領主様には内緒だぞ」
そう言って従者は豚肉を少し削ってヤマトの口の前に運んだ。
ヤマトはくんくんと何度も匂いを嗅いでからペロリとひと舐めすると、パクリと食べた。
「どう?」
__ほぉう。これは大変美味な食べ物だ。我はあのお好み焼きとかいう物よりも、此方の味の方が好みだ。
私はにっと笑う。
「それがジャーキーよ」
__以前にお主が言っていた食べ物か。なるほど、これは美味い。
ヤマトが満足気に頷いた時だった。
__ねぇねぇ、あの子は器の子じゃないの?
__うんうん、そんな匂いがするね。
__ふふふ。ははは。
「え?」
ヤマトの声とは違う、子供みたいな声が風に乗って聞こえた。モルモットの一行に子供は乗っていない。
ヤマトは変わらずむしゃむしゃとジャーキーを味わっている。
私はキョロキョロと周りを見渡した。
そこには広がる草原。動く従者、オスカーさん達。
「何?」
私は真っ青になって、ヤマトを抱きしめた。




