雷雲
調印式当日の夜。
私達は誰もいなくなった食堂にいた。
大まかな明かりは消して、厨房前の席に腰掛けている。
「明日であいつらともお別れとは、一気に寂しくなるな」
正面に座るキッシュが、頬杖を付く。
「そうね。私は明日から普段通りの時間に食事が取れるわけよ」
目の前にあるソースをチビチビと舐めながら、私はそう答える。
もう、これは完成って事でいいんじゃないかしら。後はお好み焼き用におたふくソース使ってもらおう。
「そりゃあ、助かるぜ」
「何がどう助かるのよ」
「お嬢ちゃんをここまで連れてくる手間が省けるからな」
「あなたに運ばれた記憶なんかないわよ」
「毎日運んでやったのに、ありがとうもねぇのかよ」
呆れ顔でキッシュは私を見た。
「うーん、ありがとう」
「感情がこもってねぇ」
リクエストの多い男である。
面倒くさくなって私はスルーした。
「そう言えばよ。思い出したんだ。嬢ちゃんが言ってただろ、日本って」
「ああ、うん」
このソースをベースにもっと甘み足したらおたふくっぽくなるかなぁ。それとも、一から始めた方がいいかしら。
「あれなぁ、確かサワナで聞いた」
サワナ? 思わぬ言葉に眉がピクリと動く。
「俺なぁ、料理人目指した頃にサワナに行って豆腐作り教わった事があんだよ。そん時に、時見の巫女様の豆腐の歴史とか聞いてな。その話の中で聞いたんだ。時見の巫女様の故郷は日本だって」
__妙だな。時見の巫女は自分の故郷の名は言わなかったと老婆が申していただろう。
ん? そう言えば着物見てはしゃいだ時にそんな話が出てたような。
サワナでぺろっと喋っちゃったんじゃないの。
「聞いた事がねぇ国の名前だったからよ、あまり記憶になかったんだが。そういやぁ、嬢ちゃんが時見の巫女様と同郷だって話したの思い出してな」
「ふーん。そんな昔の事良く思い出したわね」
私は次に新しく作り直したお好み焼きをパクリと食べた。
やっぱり豚肉が欲しい……餅でもいいな。
餅米とかないのかなあ、ここ。
「ああ。ちょっと変わった話を聞いたからよ」
頬杖を付いたまま、私が食べる様子をキッシュは眺めている。
「変わった話?」
巫女がボロでも出して異世界から来た事でも話したのかしら。
時見の巫女の出自は隠したって言ってたし。
私は隠す気サラサラないけど。
「ああ。巫女と一緒にいた男がな、そう説明したんだとよ。その男はいつも巫女と一緒にいて、豆腐作りや味噌の作り方も、サワナではその男から教わったって話になってんだ」
「はあ?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
なんなのそれ。
どーゆーこと?
「巫女が男に指示して作らせたって事でしょう?」
そう言いながらも、そんな事が可能だろうかと思っていた。
実際味噌や豆腐を自分で作った事はないし。
いくら巫女に味噌作りの知識があったとしても、口頭のみで人に指示させて出来る物なのかしら。
「いやぁ、それがなぁ。俺も聞いた時はそう思ったんだが、サワナの連中は違うって言い張りやがるんだ。あいつらん中じゃ、大豆を植えたのは時見の巫女様だが、豆腐と味噌を教えたのは、その男だって言うんだよ」
「はああ?」
ヤバイ。ハテナのお花畑が咲き誇り始めた。
誰よ、その男。
時見の巫女の彼氏?
あれ? でも、時見の巫女は子供は作らなかったって……
__その話。少々、引っかかるな。
そうねぇ。じゃあ、なんで豆腐と大豆も時見の巫女が教えたって世間一般で広まってるの?
大豆作ったから?
私は首を傾げる。
「それってサワナだけの話なの?」
「そうなんだよ。だから俺もすっかり忘れてちまっててなぁ。まあ、俺もそんなにあちこち歩いたわけじゃねぇからよ。でも、世間的には時見の巫女様が豆腐と大豆を作ったって話だろ? いつの間にか、サワナの話なんか忘れて俺もそう思ってたんだよなあ」
ポリポリと頭を掻いて、キッシュも首を傾げた。
「大体、あの格言があるじゃねぇか。大豆は豆腐と味噌に使うべし、ってあれよ」
私は眉を寄せる。
その格言は、大いに私を悩ませた物だ。
納豆はないし、おから料理を広げる為に伝承まででっち上げた。本当に迷惑極まりない格言だ。
「こんな事大きな声で言えねえけどよ。あれって本当に時見の……」
「立花朱鳥」
コソコソと声を潜めて、何かを言おうとしたキッシュの声を打ち消すように、食堂の中に声が響いて私は思わず振り返った。
「ああ……ビックリした。ライザーじゃない。何よ、こんな時間に食堂まで来て」
今何時? 私は眉をしかめる。
本当に今日はよく会うわね。
この人も夜食食べに来たのかしら。
「話がある」
「話?」
そう聞き返すと、ライザーはそのまま押し黙った。
暗闇に覆われたその表情はあまり良く見えない。
押し黙るとか不気味なんですけど。
闇に顔が隠れるとか怖いでしょ。
「付いて来い」
「嫌よ。ここで話して。それともまたユリウスが呼んでるの?」
夜中にライザーからの呼び出し。本能的な忌避感が思いっきり顔に現れ、私は顔をしかめた。
こんな夜中に呼び出すなんて、何様よ。
人が夜食食べてるってゆーのに。
それを邪魔するなんて許せない。
私はまだ食べ終わっていないのだ。
「御当主様は既に就寝なされた」
じゃあ、一体なんの用があるのよ。
ライザーが来る時はユリウス関係だと決まってる。
それなのに、ユリウスはもう寝てるって?
「頼みたい事があるのだ」
ライザーが私に頼み事?
嫌な予感しかしないんですけど。
「このお好み焼きはあげないわよ。まだ完成してないんだから。あと、ユリウスに作るご飯は二週間に一回って決めたでしょ? まだ二週間経ってないからね。あとはーえーとなんかあったかしら」
理由のない嫌な予感を拭い去るように、思いつく限りのフラグを次々と折って行く。
「サワナへ行って欲しい」
けれど、闇の中からライザーはそのフラグを全て飛び越えて、思いもがけない言葉を発したのである。




