ミズノの奮闘
他の色を交えぬ、その白髪の下には和やかな笑みと一緒に皺が浮かんでいる。
背は低く、お互いに着物を纏い佇む彼らの瞳は、歳を感じさせない凛とした光を宿していた。
「これは……ロウェル様と、ミズノ様ではありませんか」
オスカーがそう言って会釈すると、ミズノと呼ばれた婆が口を開いた。
「我らは御当主様の命を受けて、今日より巫女殿の教育に当たる事となったのだが、いつまで待っても巫女殿が姿を現さぬでの。
こうして訪ねて参ったのじゃ。巫女殿はそちらか」
少し腰を曲げて後ろで手を組み、そう言って障子の奥を見やる。
「そうでしたか。巫女殿のお部屋は確かにこちらになりますが、昨日の疲れがまだ取れぬご様子。
もう暫く休んで頂こうと思っていたところなのです」
「ふん、何を甘ったれたことを。朝食は既に配膳されておるのだぞ、巫女ともあろう者が寝過ごすなど、品性が疑われるわ」
話にならんとばかりにオスカーの言葉を否定し、芯のある声色でミズノは言った。
「おや、オスカー殿。その手に持っておられるのは、何ですかな?」
憤る婆をよそに、ロウェルがふとオスカーの手元にある紙に目を留めた。
「これは、巫女殿の障子に貼られていた物です。
巫女殿は異なる世界からの出自ゆえ、その文字は私には読めぬのです」
そう言ってオスカーはその紙をロウェルへと差し出した。
丁度良かった、と思う。
これは『漢字』と言うものなのだろう。
ロウェルとミズノは、御当主様の幼き頃の教育係でもある。
ロウェルはその博識に於いて、右に出る者はいない。おそらく、彼ならばその字も読み解けるのではないかと予想していた。
「ほう。話には聞いてはいたがな。どれ」
ほっほっほっ、と楽し気に笑ってその紙を受け取り、そこに書いてある文字に目を通すと、ロウェルの顔が破綻した。
「これはこれは! 巫女殿は、なんとまあ、面白い女子じゃ。婆や、お前も見てみるといい」
「ふん、なんと書いてあるのか申せば良いじゃろうが」
そうは言いながらも興味を引いたのか、婆はじっとロウェルの言葉を待った。
「ここにはな、『決して眠りを邪魔するな! 邪魔すると天罰が下る!』と書いてあるわ」
「なんじゃと!」
ほっほっほっと笑うロウェルから紙を引っ掴み、鬼のように吊り上がった目でその内容を確かめる。
「なんとふざけた女子じゃ! 叩き起こさねばならん!」
紙をぐしゃりと握りつぶし、ミズノは障子を睨み付け、その老体からは信じられないほどの速さで部屋へと突き進んだ。
がらっ! と大きな音を立てて障子を開き、目にした光景にミズノは目を見張り、わなわなと震え出す。
「なんと不埒な女子じゃ! これ、起きぬかっ!」
ずかずかと部屋に入り、腹の底から力を込めたような大声で叫ぶも、朱鳥は身悶えひとつせずに安らかな寝息を立てている。
その枕元には、一匹の黒猫が静かに佇んでいた。
「巫女殿!! 起きよ!! 起きぬかっ!!」
朱鳥を見下ろし、背後にメラメラと激る炎でも身に纏ったかのような形相で彼女は叫んだ。
「ん……うるさい」
ごろんと転がってミズノに背を向けた彼女の態度に、さらに目は吊り上がる。
「煩いも何もないわ! 起きよ、巫女殿!!」
声もからからに、大声で叫ぶが朱鳥は反応しない。
「な、なんとまあ、寝起きの悪い巫女殿じゃ!!
主ら、手伝わんかっ!!」
その様を遠巻きに黙って見ていたオスカー達を睨み付けそう叫ぶと、いや我々は、と一歩下がって皆一同に拒否を示した。
男手を借りる事が出来ずに苛立つミズノは、その後も一人で叫び続け、身体を揺すっては頬を叩き、そうしてやっと朱鳥の目を覚まさせる事に成功した。
「眠い……」
布団の上に身体をしならせる様にして座りながら、朱鳥は視線の合わぬその瞳を薄く開いてそう呟く。
その向かいでは、ミズノが肩で荒く息をしながらぐったりとしている。
まるで夜の伽の後のようなその様に、ミズノは手早く朱鳥の衣に手をかけて直し、すぱん! と頭を勢いよく叩いた。
「起きよ、巫女殿! いつまで寝るつもりなのじゃ!」
「痛……」
まだぼうっとしている様子で朱鳥は叩かれた頭を押さえる。
「なに……」
「なに、ではないわ! 朝食の準備が出来ておる! さっさと身支度を整えるのじゃ!」
ミズノの声に、朝食……とぽつり、呟いて、朱鳥はまたごろん、と横になった。
「ごはん、いらない」
その様子に再び憤慨したミズノは、テオを呼び、ミカンを連れて来るように指示をした。
しばらくして、真っ青な顔をして走って来たミカンの手を借りて、ミズノはようやく朱鳥を着替えさせることに成功したのである。




