異世界から持ち込まれた物
『頼朝』
そう言えばオスカーさんがそんなこと言ってたわね。
というかフルネーム横文字じゃないの。
その名前は一体どこからでてきたわけ?
「わたしは立花朱鳥。立花麗花の一人娘よ」
ユリウスは顎に手を当て、少し考え込む素振りをみせた。
「たちばな……聞かぬ名だ。よもや、それは漢字で書く名前ではないのか」
「そうよ、全部漢字」
なんと! 一度は静まったどよめきが再び湧き上がる。
ユリウスは片手をあえげてそれを制し、「名前を書けるか」と問いかけた。
「書けますよ。日本人ですから」
わたしはノートとペンをつかみだし、一ページ丸々使って大きく名前を書くと、くるっとユリウスに向けた。
「はい」
ライザーを含め、騎士達も首を伸ばしてノートを覗き見ようとしている。
ノートを突きつけられたユリウスの唇が、ゆっくりと上を向く。
「立花朱鳥。なるほど、そのように書くのか」
言葉には含みがある。
素直に驚いているわけでも、感心しているわけでもない。
予想外の僥倖に舌なめずりをしているような響きがあって、わずかに警戒心が生まれる。
「お前が漢字を書けることは間違いなさそうだな。筆遣いを見ても淀みない。書き慣れていることは見るに明らかだ。それに」
一度言葉を切ったユリウスはわたしの前に屈んで缶詰を手に取った。
そこには『鯖』の文字がデカデカと書かれている。
どうやら鯖缶に感興をひかれたらしい。それは少し意外だった。
「鯖。この字は余も知っている。間違いなく漢字だ。そこにある本にも漢字が使われているな」
そこの本と示唆するのは、わたしが専属モデルを務めるファッション雑誌。
震災に役立つものではないけど、アパートが潰れたりして行き場をなくし、どこぞの避難所で生活を余儀なくされた場合の暇つぶしにと用意していたものだ。
〝Shine〟の文字の下、『夏真っ盛り! 映える今年のトレンドカラー』『朱鳥ちゃんの夏の休日、ラフに着回すデイリーファッション』と大きく見出しが書いてある。
「そうですね、漢字です」
それががどうしたんだろう。
暖簾にも漢字が書いてあったのに、漢字、漢字とやけにこだわる。
「この世界に漢字はない」
わたしのあたまの中を読み取ったようにユリウスが答える。
漢字がない? 嘘だよ、あったもん。お風呂場に。
「お風呂場にありましたけど。女湯って書いてある暖簾が」
眉をしかめてそう言うと、ユリウスの笑みが濃くなった。
冷淡みを帯びた瞳に虎視眈々とした深い欲が生まれ、わたしをじっとみつめて離さない。
「ほう、あれも読めたのか。ならばもう間違いはあるまいな、ライザー?」
皮肉げな笑みを口に張りつけて、ユリウスはライザーに視線を流した。
「さ、左様でございますな。あの文字が読めるとは、もとより漢字に関わりのある世界にいたとしか考えられませぬ」
ええ、いましたからね。
しかし漢字がこの世界にないとは、どういうことなのかしら。
「じゃあ、あの暖簾はどこからやってきたの?」
「あれは何百年も前に異世界と関わりのあった時見の巫女様が持ち寄った物なのだ。そのことを知る者はごくわずかしかおらぬがな。彼女は自国の言葉を愛し、後世へと伝えた。それが漢字だ。ゆえに彼女が記した伝承にも漢字が使用されている。我が国の当主となるべき者はその伝統を受け継ぎ、漢字を習うのが慣わしなのだ」
なんですと。
わたしはぱちくりとまばたきをする。
え? 時見の巫女様ってテオが言ってたひとよね。そのひとが異世界のひとで? あの暖簾を持ってきた? それで時見の巫女様は日本語を話してて伝承も日本語?
色々と思うところはあるけど。強く思ったことはただひとつ。
なぜ暖簾だったのだろう。
これだ。
なぜ暖簾チョイス? もう少しまともな物はなかったの?
じゃあ、あのお風呂も巫女様の案? よほどお風呂好きの巫女様だったとか?
でもちょと待って。時見の巫女がわたしと同じ世界からやってきたとするなら、もうひとつ可能性が生まれる。
「もしかして……ですけど。〝頼朝〟の名を与えたのも時見の巫女様だったりします?」
とたんにユリウスの表情が驚愕に満ちた。
「なぜそのことを」
やっぱり。
だってそれしか考えられないじゃない。
いったいどこから〝頼朝〟なんて古風な名前がでてきたのかと思えば。わたしと同じ世界からきたという時見の巫女が与えたと考えれば納得がいくんだもの。
この世界とわたしの世界の時系列がリンクしてるかどうかは別として、六百年前に現れたというなら、古い時代に生きていたひとの可能性が高い。それに現代では聞かない名前だしね。
「〝頼朝〟とは、彼女が敬愛していた主君の名だそうだ。今際の際で故郷に想いを馳せた時見の巫女が、当時の六代目当主に襲名させたと聞いている」
主君ですって?
ということはどこかの武家か貴族よね。
思い当たる名前は源頼朝くらしかないんだけど……
彼に仕えていた女中か何かが、こっちの世界で時見の巫女になったってことなのかしら。
詳細はわからないけど、彼女がわたしの世界からきたことは間違いなさそう。
「なにか思い当たる節でもあるのか」
「いいえ。やはり時見の巫女様とわたしは同郷なんだと自覚しただけです」
なんにせよ、遠い過去の話だ。わたしには関係ない。
ユリウスは「そうか」とつぶやき、話を続けた。
「我が国で漢字の読み書きをできる者は余を含めて三人しかおらぬ。漢字の読み書きができることをみても、おまえが異世界より渡ってきたことは明白だ。ついてはお前にこの世界について学んでもらわねばなるまい。まったく異なる世界から来たのだとしたら、巫女がなんたるのかも分からぬであろうからな」
そうですね、まったく分かりません。
分かりません、が。
「わたし、巫女にはなりません」
わたしはキッパリとそう告げた。




