極楽
この洗い場にはなんの意味があるのか!
作った奴でて来い! と叫びたい。
蛇口もシャワーも使えない。つまり使えるのは椅子と石鹸のみ。
それならばと石鹸を持って椅子を引きずり、お湯が溢れる浴槽近くに移動した。
こうなったら浴槽から直接お湯を汲みながら洗うしかない。
それからわたしは何度も何度もお湯を汲んでは掛け流し、石鹸を泡立てては全身を隅々まで洗い続けた。わたしの髪はお尻近くまであるストレートロングだ。
それが砂やら煤やらで乾燥ひじきのようにバリバリに固まっている。
お風呂場には鏡がなかったから、状態を確かめることはできない。
だからこそ、これでもかっ! とヤケクソ気味に洗い続け、一息ついた頃にはどっと疲れていた。
最後にヤマトを呼んでゆっくりお湯をかけると、緊張したように強ばった体から次第に力が抜けていった。ニャーニャー騒いだりもしないし、じっとしてお湯の感覚を噛みしめているようだ。
「そうそう。気持ちいいでしょう? お風呂は毎日入らないとダメなのよ」
ヤマトの体を洗って、ようやく湯船へと足を伸ばす。
そろそろと体を沈めれば、じんわりと浸透する温かさに凝り溜まった疲労感が溶け出していくようだった。
「ああ〜しあわせえ」
これこれ。もう最高〜。
大量のお湯に浸かるとは、なんとしあわせなことなんだろう。
白く霞む湯煙と見上げながら、わたしは全身の力を抜いて浮き上がった。
耳元にかかるお湯の音さえも心地いい。
今日は本当にいろんなことがあった。
地震、砂漠、野盗に襲われた集落。オスカーさん達やトキとの出会い。
たった一日のことなのに、なんと濃厚な時間だったことか。
思いを巡らしていると睡魔が襲ってきた。
あー、寝れそう……
――寝るな、愚か者!
「きゃああああっ! 巫女様!?」
ふと、そんな声で目が覚めた。
とたんにドボンっと体が沈む。
げほげほと咽せながらお湯から立ち上がると、真っ青な顔をしたミカンがわたしのぞき込んでいた。を
「だっ、大丈夫ですか!? いつまでも出てこられなかったので見にきたのですが。巫女様が湯の真ん中で浮いておられるのを見て、わたし……」
「げほっ、だっ、大丈夫。ちょっと寝ちゃっただけよ」
いかん、寝ていた。わたし偉い。よく沈まなかったわ。
――何度も声をかけたというのに、まったく目を覚まさないとは。呆れてものも言えぬ。
だいぶ疲れてるのかな。全然気がつかなかった。
わたしはヘラヘラと笑って誤魔化す。
その後はバスタオルで髪をソフトクリームのように巻いてお風呂場を後にした。
ドライヤーはないんですって。
御当主様がお待ちになっていますと追い立てられるように案内されて、半分寝ぼけたあたまで再び長い通路を渡ったり上ったりしながら、ようやく辿り着いた場所にはオスカーさんが難しい顔をして待っていた。
「時間がかかったな。何か不備でもあったのか?」
「いえ、そういうわけでは」
オスカーさんの問いにミカンが萎縮したように答える。
え。シャワーと蛇口が使えないってゆーのは不備には入らないんですか?
「うっかりお風呂で寝ちゃったんです。すみません」
「風呂場で寝ただと? それはお湯に浸かりながら寝たということか?」
「まあ、そうなりますね」
オスカーさんは唖然とした顔で言葉を失った。
「そうなんです! わたしが中に入って確認した時にはお風呂の真ん中でぷかぷかと浮いていらっしゃる巫女様がいらっしゃって。わたし、死んでしまっているのかと……」
ぶっ! 勝手に殺さないで欲しい。それであんなに真っ青になってたのね。納得。
「まったく。お前は何をしているのだ。とにかく無事で何よりだ。御当主様が首を長くしてお待ちになっている。ここからはわたしと二人で行く。よいな」
「はい」
「それと、その変な巻き物は取ってから参れ」
変な巻物って。
「あ、はい」
渋々あたまに巻いていたバスタオルを取ると、オスカーさんは額に手を当てて、やれやれとため息をついた。
「では、行くぞ」
オスカーさんがくるっと背を向ける。
そこには不思議な円形状の図面が描かれた扉と、扉を挟むようにしてふたりの男性が立っている。彼らが左右からすっと扉を引けば、二畳ほどの空間に青く光る円柱があった。
んっ? なにこれ。てっきり当主様のいる部屋があると思っていたのに。
よくよくみれば、円柱の足元には扉に書かれていたのと同じ模様がある。
その模様を囲むように青い光が上へと伸びているのだ。
茫然と眺めているとオスカーさんが片手を差しだした。
「行くぞ」
「へっ?」
わけもわからず差し伸ばされた手をつかむ。
オスカーさんに引っ張られて光の中へ入りこむと、城門をくぐった時と似たような感覚に襲われた。こぽっと水の中に沈むような揺らめきを。
その後、まばたきをしたわたしの目に映ったのは、妙に寒々しい石造りの大きな部屋だった。
謁見の間とでもいうのだろうか。
一般的な体育館よりやや広いくらい。しかし十分な広さを有するわりに、不釣り合いに小さなシャンデリアが天井に飾られている。
天井が高いだけに、目にした瞬間は少し大きめの電球かと思った。両脇の壁には木枠づくりの大きな窓が均等に並び、柔らかな月明かりを取りこむ。
しかしレッドカーペットもなければカーテンもない。
小さなシャンデリア以外に装飾品や調度品は何一切見当たらず、床は凡々とした灰色のタイルが敷き詰められているだけ。
正面、突き当たりには階段があり、壇上にはひときわ豪華な玉座がそびえる。殺風景すぎて荘厳さとはほど遠い部屋だっただけに威容さが目を引く。
そしてついに、そこへ腰を下ろす男性を正面からとらえた。




