届かない声~涼太編~
部屋に朱鳥の姿はない。
ローテーブルの上にコーヒーの入ったグラスが倒れ、こぼれた液体がテーブルを滑るようにして絨毯に染みを作っている。
テレビのリモコンが部屋の隅に放り出されているのを見つけた俺は、真っ白なあたまで拾いに行き、テーブルの上にそっと戻した。
ドンドン!! 玄関を叩く音が響く。
朱鳥ちゃん!! いないの!?
和美さんの声だ。
鍵、開いてるみたいですよ、と圭一さん。
涼太くんはまだ?
二人の話し声がどこか遠く感じる。しかし気配はだんだんと近くなる。
「涼太!!」
「涼太くん!!」
二人の声が真後ろから聞こえ、びくっと体が小さく揺れた。
「朱鳥ちゃんはいたのかい?」
ぽんっと俺の肩に手を置いて、圭一さんは部屋を見渡した。
続いて和美さんが部屋の真ん中辺りまでズンズンと入ってくる。
「涼太くん、朱鳥は?」
和美さんはやや怒ったように語彙を強めた。
寄せた眉間には困惑の色が深く刻まれている。
おそらく連絡が取れなかったことに苛立っているのだろう。
ドクンドクンと心臓の音が体の真ん中で騒いでいる。
「……いなかった」
俺は苦しげに言葉を絞り出す。
「いなかったって……」
開け放たれた窓を茫然と見つめる俺に、和美さんは言葉を失った。
「でも、ついさっきまでいたような感じがしないかい?」
倒れたグラスを置き直して、圭一さんは部屋のあちこちを探るように見ている。
「これもまだ氷が少し残っているよ」
こぼれたれたアイスコーヒーには、溶けかけの小さな氷の欠片が残っていた。
わかっている。多分、あいつは無事だ。
「出て行った……」
「出て行ったって、どこに?」
小さく呟いた俺の言葉を和美さんが拾う。
当然の問いかけだ。
最近越して来たばかりなのに、近所付き合いなどあるはずもない。
それにあいつは売れっ子モデルなのだ。
いくら間抜けでも自ら住居を明かすようなマネはしないだろう。
頼る相手もいないのに、どこに出て行くというのか。
「ないんだ」
「ないって、何がだい?」
圭一さんが眼鏡の奥で瞳を細める。
尋ねる声は優しいが、俺の様子をうかがっているのは明らかだった。
「バックパック」
「バックパック? それならここにあるじゃない。こんなところに二つも置いて、あの子、何を考えていたのかしら」
開け放たれた窓の下にはパンパンに膨れ上がったバックパックが並んでいる。
「違う。もともとそこには三つあったんだ。靴も一緒に置いてあったはずだ」
「二つしかないね。つまり一つは持って靴を履いて出て行ったってことなのかな?」
圭一さんが窓から外をのぞく。
そうだ。
だけどそれは、震災時に必要な物をすぐに持ち出せるようにするためであって、ここからいなくなるためではなかった。
窓から逃げる算段を取っていたのも落下物から身を守るため。
〝ここで待ってるから必ず迎えにきてよね〟
そういったあいつの笑顔を思いだす。
あいつは言ったことは守る人間だ。
それがどれほど困難でも、言った以上はやり遂げる。
だが不測の事態とは往々にして起こるものだ。
例えば停電することまで想定していたかどうか。
真っ暗な家の中で待つのが怖くなった。そんな心理が働いた可能性は捨てきれない。
だけど俺にはわかる。
あいつがここにいないのは、今日ここで地震が起きたからなのだと。
そのことを誰よりも知る俺は、本当の意味で言葉を口にする。
「あいつが……いなくなった」
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