トイレの神様
「気分はどうだ。まだ我慢できそうか」
すぐ後ろでオスカーさんの声がする。
あの後、駆けつけたオスカーさんにもお説教を食らったわたしは彼と同乗することになってしまった。馬に乗れないトキはテオと一緒だ。
「はい。大丈夫です……」
「いつからだ」
「トキの集落をでてからです」
責めているわではないのでしょう。
オスカーさんの口調は気遣うような柔らかさがあった。
だけど内容は自白を要求する警察のようで、犯罪の自供をしている気分である。
そのうちカツ丼がでてくるかもしれない。
「まさか死体を見るのは初めてだったのか?」
「はい、初めてです。しかも焼死体……」
焼死体と口に出したら、また酸っぱいものが込み上げた。
さっきの落馬のショックで引っ込んだものが。
ああ、自滅。
「そうか。さっきはトキがいたから話せなかったのだな」
分かってくれて嬉しいです。
涙がちょちょ切れそうである。
「もう少しだけ我慢しろ」
口を押さえるとオスカーさんが背中をさすってくれた。
そうしてわたしは念願の関所に辿り着き、鬼気迫る表情で馬を飛び降り、脱兎のごとくトイレへと駆け込んだのである。
きっとその走りはあのボルトよりも速かったんじゃないかと思った。
果たしてわたしは念願のトイレに引きこもっていた。
トイレは東家造りのもので屋根と壁の間に隙間がある。かといってひとが入り込めるほどのスペースはないし、高さもそれなり。音が外に漏れてしまうのが少々ネックだけど、心地よい風が吹き抜けていくので、いまのわたしには最高だった。
とめどなくこみ上げるキラキラが際限を知らない。
我慢していたせいで治まりも悪く、胃がキリキリ痛んだ。
もうこの場に布団やら枕やら準備して寝床にしたいくらい。
壁にへばりついて肩で呼吸を繰り返すわたしのあたまに声が響く。
――アスカ、扉を開けろ。
断固お断りであります、閣下。
内臓のすべてが口から出てしまうんじゃないほどの悲劇の中で、わたしはトイレの入り口を固く閉ざし、さきほどからオスカーさんやテオやトキなどの声がけを一心にスルーしていた。
――こうしていても埒があかぬ。扉を開けて我を中に招き入れよ。
黒猫ヤマトさんを中に入れた所で果たして状況は落ち着くのか。
否。
ヤマトさんが吐き気止めでも運んでこない限り、状況は変わりようがない。
うう、バックパックを外に放り投げたのは失敗だったかな。
水が飲みたい。喉が痛い。
わたしは涙目でトイレにしがみついた。
このトイレはわたしのモノだ、絶対に誰にも渡さないんだからねっ! きっ!
――愚か者が。
うう、どうせ愚か者ですよ。
ドサッとトイレの壁にもたれかかるわたしにヤマトが擦り寄って来た。
ヤマトの柔らかい毛並みに指先を埋め、わたしは目を閉じて呼吸を整える。
もう少ししたらトイレから出よう。みんな心配してるよね。
そう思った矢先、キリキリと痛んでいたお腹の痛みが嘘のようにひいた。
喉元でモヤモヤしていた酸っぱいものもなりをひそめ、たちまち頭痛も霧散する。胸焼けを起こして苦しかった肺の呼吸もつっかえが取れたようにラクになった。
それは端からみたら一瞬のできごとで、平静に考えたらあり得ない回復の仕方だった。
だけど瀕死だったわたしからすれば、まさに天の助けともいえる状況。
長時間、吐き気と戦ってきたのだから、やっと終わった……そう感じるほどのものだった。
まるで体が生まれ変わったように脳と視界がクリアになり、わたしはすくっと立ち上がった。いつもなら再び吐き気が襲ってくる場面だ。だけど不思議なことにそれもなかった。
「よくわからないけど治ったわ……」
なぜトイレにこもっていたのか。
それすら不思議に思えるほどに全快したわたしは、首を傾げながら外へでた。
――まこと手のかかる娘よ。
その後ろ姿をじっと見つめるヤマトの声は誰にも届かなかった。
ご覧くださりありがとうございます。
面白い! この先が気になる! という方はブクマをしてぜひ追いかけてみてください。
この下↓↓↓にある☆☆☆☆は作者を応援するものです。
応援してくれる方はぽちっと押してね!




