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小さな引っかかり

 どうして気付かなかったのでしょう。


 わたしは馬鹿なのでしょうか。


 この部屋に入った時に気付いていれば、こんな大ごとにはならなかったのでは?


 ポタポタと天井から滴る水を浴びて炭と化した部屋をぐるりと見渡し、そう自分に問いかける。

 

 見ず知らずの男性に指摘されて慌てて時雨の精霊を行使したわたしは、無事に火災を鎮火することに成功したものの、手のひらや頬の火傷がいまになってひりひりと痛み出したのを茫然自失となって受け止めていた。


 時雨の精霊はわたしの心と体力まで鎮火してくれたらしい。ユリウスが無事でいてくれたこと、火災が収まったこと。どっと疲れが出てしまったわたしは、その場で意識を手放した。


 ◇


 次に目覚めたとき目に入ったのは、見慣れた天井とわたしの手を握り締める涙目のミカン。そして濡れタオルを絞るミズノ婆ちゃんの姿だった。祈るようにうつむいて肩を揺らすミカンにそっと声をかける。


「ミカン……」


 ばっと顔を上げたミカンは、たたでさえ潤んでいた瞳から大粒の涙をこぼしてわたしを見た。

 

「巫女様っ!」


「お、おはよう?」


「なにがおはようじゃ!! 間抜けなことをいいよって。この阿呆が!」


「あ。婆ちゃんもおはよう。なんでここに……」


「覚えとらんのか?」


 ミカンの叫び声に振り返った婆ちゃんは目をひんむいた。だけど、その後に続いた声は震えていて、目を潤ませたと思ったらそっぽを向いてしまった。本当に素直じゃない。心配かけちゃったな……


「体調はいかがですか? 巫女様はあれから三日間寝ておられたのですよ」


 目元を拭いながら笑顔を向けるミカン。わたしは数度瞬きを繰り返した。

 

「三日も?」


「はい。あの後、突然魔方陣が稼働して皆で慌てて飛び込んだのです。御当主様の部屋は無残な有様で……いくら声をかけても誰からも返事はなくて。ライザー様は巫女様もここに来たといっておられましたし、本当に気が気ではありませんでした」


 その時の事を思い出したのか、肩を震わせながらミカンは青ざめる。


 ゆっくりと記憶をたぐり寄せるわたしは、その言葉に首を傾げた。そういえば魔方陣が動かなくなったのはヤマトの妨害が原因だったはず。そこまで考えて、ハッとした。


 あの時は火災とユリウスのことに気を取られていたけれど、ヤマトの姿は見なかった!


「ヤマトは!?」


「え? ヤマトですか? それならそこに……」


 キョトンとしたミカンが指を指す。振り返るとそこに四つ足を揃えたヤマトが普段と変わらぬ様子で佇んでいた。


「ヤマト。あなた無事なの?」


 すまし顔で金色の瞳を真っ直ぐに向けるヤマトを無理矢理引き寄せて、右に回転し、左に回転し。頭の天辺から尻尾の先に至るまで360度、くまなくチェックしてから安堵の息をつく。文句ひとついわず、いいように体をいじられたヤマトはそこでやっと声を発した。


 

 ――お主こそ、どこか痛むところはないか。


 

「わたしはどこも……」


 そう言いかけて、茫然とする。また、この感じだ。


「ミカン……鏡をちょうだい」


「はい」


 わたしのメイク道具に見慣れているミカンは、さっと化粧ケースを取り出して開いて見せた。小さな鏡の中にかわり映えしない自分の顔が映り込む。汚れも傷も、火傷の跡なんてどこにもない。念入りに角度を変えてみても、赤みひとつ見当たらない。


「また、治ってる……」

 

 手のひらを見ても傷ひとつない。確かに痛みがあったのに。焼けた外壁に寝そべっていたし、周囲は火の手が回っていた。火傷ひとつしないなんておかしい。


「あのひとが治してくれたのかしら……」


「あのひととは、誰のことじゃ」


「黒髪の男のひとがいたでしょう? わたしは初めて見たんだけど、あのひと誰なの?」


 二人はキョトンとして顔を見合わせ、


「そのような方はいらっしゃいませんでしたよ?」


 そう告げた。


「魔方陣が稼働してからまっ先に飛び込んだのはライザーじゃった。そこで意識を失って倒れて折る巫女殿と御当主様を発見したのじゃ。わしも少し遅れて参ったが、他には誰もおらんかった」


「そんな……先に出たとか、そういうことは?」


「ないじゃろう。出口の方にも沢山ひとはおったし、ライザーが飛び込む前に誰かが出てきたなら取り押さえられているはずじゃ」


「でも……確かにいたのに」


 あのひとは誰だったんだろう。漆黒の髪に金色の目をしていた。


「名前……聞いておけば良かったな」


 二人は不思議そうに首を傾げでいたけど、ヤマトが何かいいたげにすり寄ってきたから抱きしめた。ふわふわの毛並みに顔を埋めると、ほっとする。


「あなたが無事で良かったわ。ユリウスの部屋で何をしていたの?」


 答えはなかった。猫らしくわたしの胸の中に収まってただ、にゃあと鳴いただけ。


 わたしはむすっとして目を細める。

 

 都合の悪い時に猫真似をするなんて。これは食堂に通うようになってから、コックや騎士がヤマトをかまったりするので身につけた芸当なのだけど、隠し事をされたみたいでなんだか癪に障る。


「まあ、いいわ。無事だったんだしね。それでユリウスはどうしているの?」

 

 その問いに、またしてもふたりは顔を見合わせた。答えあぐねいているような変な顔をしていたけど、結局明確な答えは得られなくて、上手い具合にはぐらかされてしまった。


 もし死んでいたら婆ちゃんがここにいるはずないし、どうせ元気にやっているんでしょう。勝手にそう思うことにした。


 

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