真夜中の火災
「大変です! 領主様のお部屋で火災が!」
心ゆくまでシャワーの水圧を満喫して女湯の暖簾をくぐったわたしの耳にそんな悲鳴が飛び込んだ。
「火災!?」
あのひとなにやってるの? 寝たばこでもしてたのかしら!
ちょうど近くに転移陣がある。ふたつ渡ればユリウスの部屋にいけるので迷わず飛び込んだ。ユリウスの部屋に続く転移陣の前には大勢のひとたちでごった返していて、中に寝間着姿のライザーを見つけ、ひとだかりを押し分けて歩み寄る。
「ライザー!」
「朱鳥殿!」
「どうなってるのよ、火災があったって本当なの?」
「わたしも詳しいことは分からぬ。外回りをしていた兵が領主様の部屋から火が出ているというので慌ててきてみたのだが、なぜかここの魔方陣が作働しないのだ」
普段は仏頂面のライザーの顔に焦りが浮かんでいる。
「動かないですって?」
――内側から閉ざされているようですね。
あたまに響いたのはシュナンツェの声だ。
「なんで急に……」
――ヤマト殿でしょう。
「ヤマトお?」
思わず素っ頓狂な声が出た。ヤマトがこの中にいるっていうの? なにしてんのよ、あのバカ猫。
「あなたの力でこじ開けられないの? 神なんでしょう」
――やれぬことはありません。
よし。
珍しく狼狽するライザーの横を素通りして魔方陣の前に立つと、身の内からシュナンツェの力が爆発的に膨らんだのが分かった。
なんというか、テーマパークのバイキング。あれに乗った時の胃を押し出す感覚。それが全方向に向けて放たれた感じ。体が弾け飛ぶような衝撃によって首にかけていたタオルは吹き飛び、湯上がりの湿った髪の毛はバサバサと見えない力に煽られた。
その異常な光景に周囲にいた人達は驚愕の声を上げて恐れ戦き、慌ててわたしから距離を取る。
普段と違ってなんの発光もなく、ただ意味不明な図形を描く魔方陣はただ沈黙を守っている。シュナンツェがおおよそ人間には理解しがたい言葉で朗々と言霊を綴ると、頭の中で響いたその声は無自覚なわたしの口を通して発せられ魔方陣へと干渉を開始した。
小さな反発とそれを飲みこもうとするシュナンツェの力。つかの間の拮抗を以てシュナンツェの力が勝ると、転移陣は再び輝きを取り戻した。
わたしは一歩中に踏みこみ、ゴボッ……とした水中を潜る感覚に瞬時目をとざす。
あとには再び光を失った転移陣が残るのみ。唖然として一連の光景を見守っていたライザーは目を丸くしてぽつりと呟いた。
「信じられん」
◇
転移陣を抜けると目の前には真っ赤な世界が広がっていた。思わず、まったく別の場所に転移してしまったんじゃないかと疑ってしまう。
数日前、わたしはこの部屋のベッドにいた。バロック調の調度品が品良く部屋を彩り、大きな窓から目一杯陽の光を取り込む心地の良い部屋。センターテーブルでは嫌々ながらも手作り料理を運んでユリウスと食事を取ったりもした。
思い出……というにはささやかだけれど、行き来したぶん、ここもまた心が慣れた場所だ。
火の粉が爆風に煽られて頬をかすめる。
燃え上がる炎の中に陽炎のように揺れるセンターテーブルと、元の世界に帰る時に持ち帰ろうと目をつけていたキャビネットが足から崩れ落ちるのが見えた。窓があった壁は外壁ごと大きく崩れ落ち、炎の息吹を加速させるようにありのまま外気を取り込んでいる。
わたしが知るこの部屋の面影はいまやどこにもない。ただただ、熱気に満ちた炎の世界が目の前を覆い尽くしていた。
「ユリウス……」
一体何があってこうなったのか。そんな疑問は後回しだ。わたしはしばらく茫然と立ち尽くしていたけど、彷徨うようにユリウスの姿を探し始めた。
「ユリウス! いるの!? いたら返事をちょうだい! ユリウス!」
喉から絞り出すように叫んでいるのに、あっという間に周囲の炎に飲みこまれる。いまにも落ちてきそうな天井を見上げ、大きな炎を避けながら周囲を見渡し何度も金切り声をあげる。
本当はとても恐ろしかった。
いまにもわたしを飲みこもうと四方八方から手を伸ばしてくる炎と、ユリウスの無事を確認できないことがとても不安で怖くて、いますぐにでも逃げ出したかった。
でも、と。ここに続く転移陣は作働していなかった。だからユリウスはまだここにいるはずだと、逃げ腰になる度に必死に思いとどまる。
「ユリウス――ッ!」
居室にユリウスの姿は見当たらない。あとは隣の寝室だけだ。寝室へ続く扉は炎を纏いながらも、未だにしっかりと行く手を閉ざしている。わたしはその扉を力一杯蹴り飛ばした。
脆くなった扉は蝶番ごと綺麗に吹き飛んでくれて、やった! と気分が少しばかりスカッとしたけど、寝室に踏みこんだわたしは新たに飛び込んできた光景にまたもや茫然とするのだった。
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