桜の木の下で
「オスカーさん。みんなで、この桜の木の下でお花見をしませんか」
「お花見?」
「美味しいものを食べながら、みんなでこの桜の木の美しさを眺めるんです」
「……それができれば、楽しいだろうな」
「楽しいですよ。この美しい桜を見ながら美味しいものを沢山食べて、お腹が痛くなるほど笑ったら、つらいことなんて忘れちゃいますから」
オスカーさんは私が何を言いたいのか悟ったように、小さく眉を寄せた。
「だが……わたしは……」
「なんでも自分の責任にしなくていいんです。そりゃオスカーさんは隊長だし、大きな責任感が伴うのは分かっていますけど。そもそも私は砂漠でオスカーさんに助けられなければ、生きていなかったかもしれないんですから」
「そのことについて、一度きちんとおまえと話をしなければいけないと思っていた。わたしが、ここを去る前に」
ザアッと風が凪いで桜の花びらが、私とオスカーさんの間を流れた。
束ねたオスカーさんの長い髪が桜と共に靡いて、漆黒の瞳が私を捉える。
その様の、なんと美しいことか。
春は別れの季節だと誰かがいった。
それを予兆させる雰囲気を纏わせて、切なげに揺れるオスカーさんの瞳を、私は目を逸らさずに見つめる。
「私のことを責めてはいないか」
「なぜそうなるんです」
ピクッとこめかみが引きつるのを感じる。
「緊急的な措置とはいえ、きみの……唇を奪ってしまったことに責任を感じている。あのとき、私は責任を負う覚悟を決めていた。だがここで城を去ることになれば、それは叶わないだろう。それだけが心残りだ」
私は内心深々とため息をつく。
テオにせよオスカーさんにせよ、この国の男ってのはなぜ、みんなこうなのかしら。
明らかに違うのはナルシストだけど、アレは例外だ。
過呼吸に陥った私を助けるためにキスをしたからといって、なぜオスカーさんが責任を感じる必要性があるのか全く理解できない。
『キスなんて大したことじゃない』と返すのは簡単だけど、オスカーさんがそれで納得してしまったら、さっさと城を出て行ってしまう気がする。
だいたい「責任を負う」ってどーゆー意味よ。
嫌な予感に私は思わず顔をしかめる。
似たようなことをユリウスの部屋で目覚めた時に考えたことがあったからだ。
「それってつまり、どういうことですか?」
問いかけた私をオスカーさんは、しばらく黙って見つめていた。
だけど間もなくして、唇を開く。
「この世界で、騎士が女性の唇に口づけをするということは、『あなただけにこの心を捧げる』という誓いを意味するのだ」
「……好きでもなんでもない相手に緊急的にキスをしても、そうなるんですか?」
中世ヨーロッパあたりの淑女なら頬を染める言葉なのかもしれないけれど、あいにく私は違う。
決してキスを軽んじてるわけじゃない。飲んだ勢いで、雰囲気に流されて。私のいた世界では残念ながらキスというのは、それほど重い意味を伴わない場合が往々にしてある。
オスカーさんやテオが知ったら卒倒してしまうかもしれないけど、それが私とオスカーさんの『常識のズレ』なのだ。
私は頭を抱えて叫びだしたいのを、かろうじて堪える。
「私はそんなのは嫌です。自分を本当に愛していない人に『愛を誓う』なんて上辺だけの誓いを立てられても、全く嬉しくありませんから」
私が唸りながらそう伝えると、オスカーさんは驚いたように目を見張った。
「オスカーさんは私を愛しているわけじゃないんでしょう? それなら、そんなことする必要はないですよ」
私は呆然するオスカーさんの横を抜けて桜の木の真下へと歩み出て、上を見上げる。
六百年もの間、異世界で育った桜の木は、私の世界のものと何も変わらずに美しい。
「わたしは、きみのことが好きだと言ったらどうする」
再び、風が凪いだ。
桜の花びらを乗せて風が舞う。
靡く髪の毛をそっと首元で抑え、私はオスカーさんを振り返った。
オスカーさんは真っ直ぐに私を見ていた。その瞳を見つめ返し、私は口を開く。
「私から愛を誓うことは、まだできません」
オスカーさんことは好きだ。
だけどそれは、テオやトキを好きなのと同じ気持ち。
人の気持ちに「絶対」はない。いつかは好意が恋に変わる可能性も捨てきれない。だけど。
「好きだと伝えた相手を護れる立場にあるのにも関わらず、自分勝手にその立場を降りて目の前からいなくなるような無責任な人を、私が今後好きになるとは思えません」
ズルイだろうか。
こうして繋ぎ止めてしまうのは、計算高いだろうか。
だけどそれでも。いまこの人には「ここにいるべき必要性」を与える必要がある。
この人をそばに置くためなら、私は誰になんと言われても姑息な手段を使うことすら厭わない。
「私を好きだというのなら。その気持ちに嘘偽りがないのなら。それがあなたの責任の取り方だと言うのなら」
残酷かもしれない。分かっているけれど、言葉は止められなかった。
オスカーさんがいなくなるということが、何よりも我慢ならなかったから。
「護衛隊長として、私のそばにずっといて下さい」
オスカーさんはその綺麗な顔を、グシャリと苦渋に歪ませ、押し殺すように声を絞り出した。
「きみは卑怯だ」
「分かっています」
「わたしの心を受け止めず、それでもそばにいろと言う」
「ええ」
「オスカーさんに、そばにいて欲しいんです。手放すことなんて、死んでもできません」
キッパリとそう告げた私に、オスカーさんは困ったように眉を寄せて……そして力なくため息をついて、笑みをこぼした。
「まったく……本当にきみには敵わない」
「ふふ。ワガママは私の得意とするところですから、折れてくれると助かります。納得してくれたなら、この桜が散る前にお花見の準備をしませんか」
「ふ……いいだろう。みんなを呼び集めなけらばな」
「ええ!」
桜の下で私とオスカーさんの顔に笑顔が咲いた。
ひとつの想いを捨てて、新たな気持ちを生み出して。
桜の花びらが、そんな私たちを祝福するように頭上に舞い落ちた。
互いの髪の毛にくっついた桜を指先で挟み、私たちは笑い合う。
そんな光景をヤマトは桜の木の下に寝そべりながら、静かに眺めていた——




