涙のかげり
寝起きにミカンのヘッドロックをくらい、イッちゃってるナルシストをミカンが名探偵さながらの子芝居で撃退するところを見せられて、私はすでにお腹いっぱいだ。
しくしくと泣き崩れるナルシストを放置して、私はようやく心穏やかに現状確認を行うことにした。
記憶をたどり、バーグラーのゲスなセリフや暴力行為を思い出す。
プッツンした炎の精霊がバーグラーを燃やし、死にぞこないの火だるまバーグラーは小屋に己の火を引火させた。
なんて迷惑。
死にかけた私を助けるべく、炎の精霊は助けを呼びに小屋を飛び出し……
何度、思いだそうとしてみても、そのあたりから記憶があやふやだった。
いつまで待っても誰もこない小屋の中で、私の最期は自分が放った炎の精霊による二次災害という自爆なのだと、鼻で笑った記憶はある。
その間抜けさは元の世界で引き起こした、バックパック自殺未遂事件を彷彿とさせるものがあり、死にぎわに私は、燃える小屋の中でとち狂ったような笑い声をあげていた気がする……実際は死んでいないようだけど……
そして――なぜかモルモットの屋敷のベッドで寝ていた。
……ミカンは私が三日間寝たきりだったと教えてくれた。
私は膝の上に放り出した自分の両手に視線を落とした。かすり傷一つない綺麗な手首。
小屋が燃えた時、枷は熱を帯びて私の皮膚を焼いた。あまりに痛くて泣いたからしっかり覚えてる。それなのに、なぜ。
手鏡で顔を覗いてみても、あれだけバーグラーに殴られた頬は内出血も腫れもない。鏡の奥で、元の私の顔が変わらずに私を見つめ返していた。
そう、まるで最初から何もなかったみたいに――
何か悪い夢でも見ていたんじゃないかと思う程、変化のない自分の身体に首をひねる。
だけどサワナの火事も、モルモットの屋敷で起きた事件もすべて現実に起きたことで、それはすぐに証明されることになった。
「アスカ! やっと目が覚めたんだな! 本当に良かった!」
開け放たれたドアからテオが涙をためて駆け寄ってきた。
テオの後にはオスカーさんとヤマトを抱えたトキがいた。
この三人の顔を見るのもとても久しぶりな感じがする。
心に温まるものを感じながら笑顔を向けると、ドアの前で立ち止まっていたトキが俯いて、ぼろぼろと泣き出した。
「トキ……ほら、おいで」
オスカーさんに背中を押されて、私のそばに歩み寄ったトキは私の手を強く握ったまま、溜めていたものを吐き出すように、しばらく泣き続けた。
小さな肩を震わせて、私の膝に顔を伏せたまま泣き続けるトキに、私まで涙が込み上げる。
「みんな……心配してたんだからな……」
いつもは女の子にくっつくなと口うるさいテオも、そんなトキを見守りながら涙を浮かべた。
「うん……心配かけてごめんね……」
「アスカ。目覚めてすぐのことで申し訳ないが、おまえの体調が回復次第、我々は急遽、ユーラに帰還することになった。おまえ達の安全を考慮してもこれ以上ここに留まることはできない。モルモット殿は事後処理に終われ無料配布どころではないからな」
テオから一歩後ろに下がった場所でオスカーさんはそう告げた。
だけどその綺麗な顔が、どことなくかげりを帯びているように見えて、胸にじわりと広がるざわつきを感じる。
言いようのない不安を取り払うように、私はオスカーさんに笑顔を向けた。
「よく眠れたみたいで体調はいつになく万全ですし、出発のタイミングはお任せします」
「無理はするな」
心配そうな視線を私に向ける、オスカーさんの言葉は優しさで満ちているのに、その場から一歩も私に近寄ろうとしなかった。
普段なら気にも留めないこの微妙な距離感が、なぜその時、心に引っかかったのか気付くことになるのは、まだ先のこと――
ひっくひっくと小さな嗚咽をもらすトキの頭をなでる私の前に、布団を踏み鳴らしながらヤマトが歩み出た。
__痛むところはないか。
「ヤマト。あなたは無事で良かったわ。私は見た通り全然平気よ」
ヤマトを胸に抱きかかえ、顔をうずめて久しぶりのもふもふを堪能すると、不意に胸にチクリとしたものが刺さった。
その感覚をなんと表現すればいいのか。指のささくれを無理やり剥がした時、その痛みが心臓に突き刺さるのと似ている。
「ヤマト?」
なぜそう思ったのかなんて、分からない。
だけどそれはヤマトの痛みだと、私は知ることができた。
そっとヤマト持ち上げ、顔の前にかかげてみる。もふもふの黒い毛に覆われた猫の体は一見、傷が分かりずらい。
だけど目を凝らしてよく見れば、頬に小さな切り傷の痕があった。お腹や背中にも出血こそしてないけど傷の痕がある。
私は思いっきり顔をしかめた。
「あなた……どこの猫と喧嘩してきたの?」
ヤマトの金色の目がギラリとした輝きを放ち、私の問いかけをあざ笑うように答える。
__ユーラの飼い猫よ。
しかし、いつの間に喧嘩したのかしら。でも猫同士で喧嘩するなんて、ヤマトも所詮は猫よね。
猫同士の喧嘩って結構ハードだから、この程度で済んで良かったわ……なんて心で呟いたその時、私を見つめるヤマトの金色の目を見て、私はある人のことを思い出した。
「…そうだ! ヤマダさん!!」
突然、覚醒した私はヤマトを放り投げてベッドから飛び起きた。
寝起きには覚えてたのに、ナルシストとミカンの小芝居で忘れちゃってた!
「あのっ! 私のそばに誰かいませんでしたか!? その人、私を助けてくれた人なんです!」
「彼はヤマダさんというのか。実はつい先程までこの屋敷で休んでもらっていたのだが、どこに行かれたのか姿が見えなくなってしまったのだ。わたしからも礼を言っておきたかったのだが……」
「ええ!? そんなあ……」
綺麗な顔に眉を寄せるオスカーさんに、私はがくりとうなだれた。
どこに行っちゃったんだろう。
この辺りの人なのかな。家に帰ったとか?
その後、みんなで屋敷内を探してみたけどヤマダさんの姿はなく、ひと段落ついたと戻ってきたラーミルさんと対面して助けてもらったお礼を伝え、わたし達は翌日、サワナを後にすることが決まった。
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