癒しの涙
サワナ入口、大豆畑——。
炎の海と化した大豆畑は、もはやいくら人が汗水垂らして水を投げ入れようと焼け石に水の状態だった。
絶望し、その場に座り込んで嘆き悲しむ人々の声を聞きながら、ザックは火の海に向かって歩み進める。
人々の喧騒やあざ笑うかのような炎の轟々としたうめきも、ザックの耳には入らない。
ただ、清涼なる声が彼の頭に響き渡る。
__さあ、僕らを呼んで
__僕らは君の力になる
__君が望むまま
__君が想うまま
邪気のない純粋な子供の声が、次々と重なって聴こえる。
その声に誘われ、どこか意識は虚ろで、自分の身体が自分のものではないような、そんな感覚にとらわれながら、ザックは火の海を見つめる。
懸命に消火活動を行っていた男が、ゆっくりと大豆畑に進み出るザックに気がついた。
その男は広場でザックを見つけ、ここに引っ張って連れて来た男だった。
火の手は勢いを増し、瀬戸際で消火活動を行う連中にも隙あらばその手を伸ばそうしている。
「おい! それ以上近付いたらあぶねぇ……」
慌てて声を張り上げた男の言葉は、途中で小さくなって消え失せた。
すっと腕を前に差し伸ばしたザックの指先から、透き通った海色の輝きがキラキラと零れ出した。夜空に輝く星々よりも強い光を発し、その煌めきは懸命に消火活動をしていた周囲の連中の視線を奪い取る。
「お……おかしら……」
零れ出した海色の煌めきは、銀色の髪を揺らしながらザックの身体全体から浮かび上がり、彼を包み込む。
「お……おい、見ろよ。あれ……」
その異変に気付いた周囲の人間は、思わず目の前に広がる火の手のことなど忘れて、不意に夢の世界にでも入り込んだかのようなその不思議な光景を、固唾を飲んで見守った。
そんな周囲の様子など気にも留めず、ザックは自分の身体から浮かび上がる蒼い光を静かに見つめる。
「いるのか?」
その問いかけは、誰に問うものでもなかった。だけど答える声はある。誰にも届かいない声。自分にしか聞こえない声。その声が答える。さあ、呼べと。
「来い、時雨の精霊。アヴェルス!」
その声と共にザックの身体を纏っていた海色の煌めきは、ザアッと音を立てて彼の身体を離れ、螺旋を描きながら天高く舞い上がった。周囲の人間たちの視線も一緒に高みへと誘われる。
その視線の先で、海色の煌めきは、弾けるように空へと広がった。
「あ……あれは……!?」
火の海を天から覆う海色の煌めき。
眼下でくすぶる火の手など意にも関せぬ澄み切った青空は、その煌めきを纏って神々しい輝きを解き放つ。誰もが手を止めて空を仰ぎ、呆然とその光景を目にした。
「救ってくれ、この土地を」
ザックの口から小さく漏れたその言葉は、誰に向けたものだったのか。
精霊が自分に応えてくれようとしているのは分かっている。
だけどその言葉は精霊に向けた言葉ではなかった。
瀕死のアイゼン国。生きることの厳しい世界。生きたくても生きられない世界。生まれたばかりの小さな命でさえも、この世界の厳しさに耐え切れずに、その命の灯を儚くも失ってしまう。
家族が家族として生きられないこの世界で、この世界はどれほどの命を奪ってきたのか。
神だ精霊だ巫女だといくら夢を見ても、この世界の現実は変わらなかった。
その現実を嘆いてみても、恨んでみても何も変わらない。
だけど本当にこの世に神様ってもんがいて、俺に手を貸してくれるっていうなら、貸してくれよ。
この世界を救ってくれるなら、俺がしてきた全ての罪を一生かけて償ってやる。俺が出来る限り、力の全てをかけて償ってやるから。
「だから、助けてくれよ……」
ぽつりと、冷たい一粒の涙がザックの頬に落ちた。
それはザックの想いに心を痛めた天の涙。
傷つき、哀しみ、痛みを負った者、皆平等にその頭上に降り注ぐ。
泣くなと、悲しむなと、優しい声が降って来る。
ザアザアと音を立てて降り注ぐ天の涙は、この地の嘆きを具現したかのような火の海をも慈しみながら、その怒りをそそいだ。
天を仰ぎ、降りしきる癒しの雨を一身に浴びながら、ザックの傍でひとりの老人が崩れ落ちるように膝をついて顔を覆った。
「おおお……ありがたい……ありがたい」
ひとり、またひとりとその場に膝をつき、天を仰ぎ見る。未だ降りやまぬ天から降り注ぐ恵みは、彼らの心に沁み込んだ。
ありがとうございます、ありがとうございますと、幾人もの人間が天に向けて言葉を発する中、ザックは静かに天を見つめる。
その瞳には雨とも涙とも判別のつかぬものが、薄らと浮かんでいた。




