悪魔の咆哮
未だ家主の戻らないサワナ領主宅にて。
騎士達の働きで亡骸や散乱した家具などは、一通り片付けられた。
血飛沫の飛び散った壁や床をゴシゴシとモップで吹き落とす、騎士達や近隣の者達の手助けを借りながらも清掃作業が進む中、その屋敷のとある一室で用意された鳥用の檻の中にラーミルはヤマトをそっと下ろす。
「君とアスカ殿の命が狙われている。
ロウェル様もミズノ様も大変心配されておられた。
アスカ殿のことは、我々に任せて君はひとまずここに居てくれないか。
見張りも立たせておくし、君に何かあっては困るんだ」
知恵のある猫。
そう分かっていても、見た目が猫だとどうも目を離すのが不安だ。
檻の入口前でヤマトは身動ぎせずに、じっとラーミルを見つめた後、諦めたように檻の中へと身を投じた。
朱鳥が連れ去られた今、頼みの綱はオスカーとあのザックとかいう野盗だけだ。
このラーミルとかいう男は、自分を単なる猫として扱っているわけではないようだし、あのふたりが動き回っている最中、自分がここを離れて大事になっては面倒なことになる。
朱鳥のことは心配だが、当てもなく外に出て探すわけにも行かない。
ここはまず、ラーミルの手のかからないように、身を投じることにしようと、ヤマトは思惑した。
籠に黙って入ると、ラーミルは鍵をかけた。
「本当に申し訳ない。
君の存在意義は理解しているつもりだが、他の者は事情を知らない者ばかりだ。
一先ず、猫として過ごしてくれると助かる」
初めて朱鳥とヤマトが城を訪れ、ヤマトが怒り露わに声を発したあの時のことを思い出せば、声に出して反応をして欲しいような、して欲しくないような、複雑な気持ちに駆られる。
そんなラーミルの気持ちを読み取ってか、ヤマトはその大きな金色の瞳をじっとラーミルに向けてから、にゃあ、と鳴いた。
鳴き声は確かに猫以外の物ではない。
だけどこのタイミング、顔色を窺うような金色の瞳。
――やはり、こちらの言葉を理解している。
分かっていても、そう再確認したことに怖気付かないわけではなかった。
だが、かろうじて表情に出すのを堪え、ラーミルは小さく頷いた。
「領主様が戻られるまでは、わたしもなかなか顔を出せないと思いますが、時々様子は見に来ます。それでは、ヤマト殿。これにて失礼致します」
そう言ってバタンと音を立てて部屋からラーミルは出て行った。
その扉の外に騎士が一名と、旅路で何度か見かけた領主の従者の顔があるのが見えた。
鳥籠の中には小さな受け皿の中にミルクが入っている。
それを冷めた瞳で見つめ、顔を背ける。
朱鳥の命を狙う者。
神々より定められし巫女の器。
恐れ多くも神々の意思を挫こうとする者がいる。
誰もいない部屋の中でヤマトの毛がぶわりと逆立ち、金色の瞳の中で紅い瞳孔がすっと伸び上がる。
黒い毛で覆われた身体に緋い光が満ち溢れ、その場の空気は凍り付くように冷え切った。
――一体何者だ。
誰が朱鳥を狙い、自分にも狙いを付けたのか。
朱鳥が巫女の器だということは、まだ世間一般には広がっていない。
可能性で考えればアイゼン国の城の者だろう。
すっと目を細めながら考えに耽るヤマトの耳に、廊下から話し声が聞こえた。
扉に隔てられ、小さな音だが猫の聴力を以てすれば、聞き取れないものではない。
――ラーミル様に頼まれたのだ。猫に餌をやるのを忘れたので届けて来てくれないかと。
――それならば、自分が届けます。お貸し下さいルドルフ殿。
――いやいや、餌を届けるだけですから。
――ラーミル様よりこの部屋には誰も入れるなと仰せつかっておりますので。
――そうですか……それでは致し方ありませんね。
そんなやり取りの後、ドカッバキッという鈍い音と共に小さな呻き声が聞こえ、扉の奥は静かになった。
ガチャリとノブが回り、扉が開かれる。
そこに姿を現した男にヤマトは見覚えがあった。
頬骨が突き出て、目が窪んだ男。
朱鳥がしきりに骸骨と呼んでいた男だ。
砂漠や城に向かうまでの間に朱鳥と何度か揉めた男だったが、城に到着してからはその成りを潜めていた。
――この者だったか……
すっと目を細め、警戒心露わに毛を逆立てた。
「おやおや、そんなに警戒しなくても良いのですよ。まあ、わたしとは砂漠でお会いして以来ですがね」
廊下で倒した二人の見張りをズルズルと部屋の中に引き込みながら、独り言のようにルドルフは言葉を発した。
「まったく御当主様もなぜこのような猫を殺せなどと仰ったのか……」
――当主。あの者か。朱鳥が常々胡散臭い笑顔だと毒付いていた男。
朱鳥はやはり人を見る目があるようだな。
ヤマトを単なる猫だと思い込んでいたルドルフは、誰も聞いていないことを良いことに、ひとりで愚痴をこぼす。
その全てをヤマトは黙って聞き取った。
「ライザーめ、これでわたしの方がお前よりも早く御当主様の命を遂行出来るというもの。結果を知った時のあやつの顔色を思うと笑いがこみ上げるわ」
上機嫌でくつくつと笑いながらドアを閉め、ルドルフはやっと籠の中のヤマトをその視線で捉えた。
「あのクソ生意気な女が飼う猫だと思うと、この猫も忌々しいものだな」
そう言いながら、おもむろに懐から短剣を取り出し鞘から抜き去った。
鳥籠の中にいては猫の身だろうと、それほど動き回れるものではない。
ルドルフはギラリと光る短剣を握り締め、じりじりと近付き、勢いよくヤマトに向けて籠の隙間から突きを繰り出した。
鉄格子の柵に短剣が擦れ、ギィン……と音が鳴る。
しかしヤマトはかろうじてその剣先を飛び退いて避けた。
「ちっ、やはり生意気な猫だな」
苛立つように舌打ちを打って、鳥籠ごと抱き抱え、再び突きを繰り出した。
その度にヤマトは籠の中ギリギリを跳び回り、体を打ちつけながら、避け続ける。
それでも幾度となく突き出される短剣の剣先に、身体のあちこちは傷だらけとなった。
「このっ、動くなっ!」
籠の中に短剣を刺したまま、左右に刃先を動かし斬りかかる剣先が、ついにヤマトの頬を大きく斬り裂き、深い傷を作り出した。
黒い毛並みがパクリと割れて、赤い血が流れるのをルドルフはニヤリとした笑みで見つめた。
その時、急に部屋の温度が下がり、ピキピキと何かが割れるような小さな音が床下から聞こえたのを、ルドルフは聞き取った。
不思議に思ったルドルフは、猫から目を逸らし床を見つめる。
そのルドルフの視線に入ったものは、部屋の四隅から冷気を纏った青白い氷が、床に張り付き覆い隠そうとする光景だった。
それは、恐ろしいほどの速さで中央目掛けて凍りつき、ルドルフは慌てて鳥籠が乗っていたテーブルの上に飛び上がり、目を見開いた。
「な、なんだ、これは!」
部屋全体が吐き出す息を白く染めるほどの冷気に包まれ、身体が凍え、縮み上がる。
そんなルドルフに、地獄の悪魔の咆哮が襲いかかった。
――この愚か者があああああッ!!
皆さまこんにちは。
ブクマを剥がさずに待って頂けて感謝です。
これからもゆっくりではありますが投稿していきますので
宜しく付き合い下さい。




