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駆け出す

 黒猫はスタスタと(かしら)の前に進み出ると、その足元を爪で引っ掻き、抱き上げろとばかりに何度も要求する意図を見せる。


「なんだよ。……ったく、しゃあねぇな」


 面倒臭そうに顔を顰めて猫を抱き上げると、男の胸元を駆け上がり、首に巻きつくように位置を取った。


「あ……?……なに?」


 猫に耳を寄せ、は独り言のように何かをごちる。


 ルドルフはその様子を不審に思い、耳をそば立てたが声が小さ過ぎて何も聞こえなかった。


 なんだ?何を話している?


「ああ、あいつなら……」


 向かいに立つ大男は何も話していないのに、銀髪の男は難しそうな顔を浮かべ、コソコソと小さく口を動かした。


 その不自然な行動に疑問を抱きながらも、ルドルフはその視線の先に猫を捉えた。


 なんにせよ、あの猫はここにいた。

 後はこの手に猫を受け渡して貰えば済むのだ。


 かける言葉を決めて、ルドルフは改めて銀髪の男に向き直り、歩みを進めようとした。


 だが。


「ここにいたのか。

 ヤマトは無事か」


 背後から聞こえた声に思わず身体が強ばる。

 そう声をかけて自分の横を通り過ぎ、銀髪の男に歩み寄ったのはオスカーだった。


「ああ、ほらよ。

 うちのモンがちゃんと捕獲しといたぜ」


「捕獲って、(かしら)……

 せめて、保護って言って下さいよ。

 (バチ)が当たっても知りやせんぜ」


 やたらと猫を敬い臆する男と裏腹に、(かしら)と呼ばれたその男はそう言うと、乱雑に肩から猫を掴んでオスカーに引き渡した。


「あとはてめぇらの仕事だろうが。

 ちゃんと守っておけよ」


 そう言ってひらひらと手を振り、立ち去ろうとした男をオスカーは引き留めた。


「待て。お前達にも聞きたいことはある。

 助けて貰った事に感謝はしているが、それだけで黙って帰すわけにはいかない」


 表情を崩さずそう言ってのけたオスカーに、苛立ちを隠さず銀髪の男は舌打ちをしてみせた。


「いいか、よく聞けよ。

 あの女はバーグラーの野郎に連れ去られたんだ。

 事は一刻を争う。

 こんな所で優雅に茶を飲んで、お話し合いしてる余裕はねぇんだよ。

 俺らは勝手にさせてもらう、いいな」


 オスカーの制止を跳ね除けてそう言うと、男は仲間を連れて颯爽と屋敷から飛び出して行った。


 強制的に制止するでもなく、その様子をオスカーは黙って見つめていたが、その瞳に滲んだ物憂げな色が、本来ならば自分もそうしたいのだと、告げているようで、傍に佇んでいたテオも顔を歪めた。


「隊長。ヤマトは無事だったんですし、一刻も早くアスカの捜索を始める為にも、まずはここを何とかしなきゃなりませんね」


 励ますようにそう言ったテオにオスカーは頷いた。


「そうだな。サワナ領主の邸宅だ。

 このままには、してはおけないだろう」


「いえ、それは我々が引き受けましょう、オスカー隊長」


 新たにその場に姿を現したのは、ラーミルだった。


「ラーミル殿ではありませんか。

 なぜこちらに」


 目を見開いて問いかけたオスカーを、ラーミルは手を上げて制止しながら、オスカーの前で立ち止まり、乱れた衣服の襟元を直して一呼吸つくと、チラリと周囲に視線を向けて近くに怪しい者がいないか確認した。


 ルドルフは慌ててそっぽを向き、屋敷内の残骸を処理しているフリをして、聞き耳を立てる。


「アスカ殿のお命が狙われております。

 その事を聞きつけ、ここに参った次第。

 ですが、わたしは闘いには不慣れな為、このように無様な姿を晒してしまいました。

 ですから、ここは我々に任せて隊長はどうかアスカ殿の救出に出向いて頂きたいのです」


「アスカの……命が狙われている?」


 オスカーの瞳が驚愕に見開かれた。

 隣に立つテオもまた、驚きを隠せず、口を開けて放心する。


「狙われてんのは、ヤマトじゃないんですか?」


 言葉を失い呆然としたオスカーと、否定するように首を横に振りながら、そう問いかけるのはテオだ。


 ラーミルはテオに視線を向け直し、小さく頷く。


「ご存知だったのですか。

 ヤマト……その黒猫も、狙われているのは確かです。

 しかし同時に彼女も狙われているのです」


「嘘だろ……なんで、アスカが狙われるんだよ」


 愕然として敬語を使うことさえ忘れ、テオは独り言のように呟き、その瞳に怯えた色を宿した。


 確かにここに現れた野盗は、アスカとヤマトを狙っていると言った。


 理由も分からないまま襲われて、戦うハメになったけど、そうハッキリとラーミルの口から告げられると現実を突きつけられたようで、途端に怖くなる。


「狙われている理由は、ご存知なのですか」


「そこまでは。わたしも確証はなかったのです。

 しかし、現状を見る限り、真実だったと言わざるを得ないでしょう」


 冷静を取り戻したオスカーにラーミルは首を振ってそう答えた。


 まさか、領主宅に侵入して事を起こそうとするとは。


 どれほどの組織なのか、人数も多いようだったし、まだいつどこに潜み、何をしでかすか分かったものではない。


「さあ、ここはわたしに任せて行って下さい。

 どうかアスカ殿を頼みます」


 瞳に力を込めてオスカーを見つめるその視線を、オスカーは真摯に受け止めた。

 迷う必要など、どこにもない。

 自分は今すぐにでもアスカを探しに行きたかったのだ。


「隊長!ラーミル殿もこう仰られているのですから!行きましょうよ!」


 隣に立つテオが顔を輝かせ、オスカーの肩を掴んみ催促するように袖を振った。


 早く、早く!


 そう、急かすようなテオの表情にオスカーは力強く頷く。


「では、ご厚意に預かりこの場はお任せして我々はアスカ殿の捜索に向かうことにします」


「急を要します。どうかお気をつけて。

 ああ、それと、その猫ですがわたしがお預かり致しましょう。

 その猫はアスカ殿が飼われている大事な猫だとお聞きしました。

 外に出てまた野盗に狙われでもしたら、大変ですからね」


 そう言って手を差し出した。

 オスカーは逡巡するも、また外に連れ出すよりはこの屋敷内で保護して貰った方が安全だと考えた。


「では、お預けします。

 旅の途中で野盗に狙われたこともありましたから、くれぐれも目を離さないで下さい」


「分かりました。誰にも触らせたりしませんから、どうか安心なさって下さい。

 アスカ殿を宜しくお願いします」


 ヤマトを胸に抱き抱え、ラーミルはそう言って頭を下げた。

 テオは心配そうな視線をヤマトに向けて、歩み寄り、そっと頭を撫で付ける。


「いいか、ヤマト。どこにも行くんじゃねぇぞ。

 いい子にしてろよ、な」


 子供に言い聞かせるようにそう言って、オスカーを見やり、二人で頷くとラーミルに一礼して屋敷を飛び出して行った。


 その一連の様子をルドルフは黙って見守り、内心ほくそ笑む。


 あのまま、オスカーに連れて行かれたら面倒だと考えたが、運は自分に向いているらしい。


 ラーミルもあの黒猫のことを放ったりはしないだろうが、四六時中抱き抱えている訳にもいかない。


 きっと、隙はあるはず。


 その機会を窺うのだ。


 それまでは、警戒されぬようにしなければな。








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