忘れていたもの
「よいですか巫女様。あの者には気をつけなければなりません」
ミカンに叩き起こされた私は身支度を整えながら、なぜかお小言を受け続けていた。
ミカンの機嫌が悪い。チラッと顔をのぞき見ると、口を尖らせたミカンの顔が目に入る。
__廊下で何かあったようだな。
ヤマトも気になったのか、ミカンの様子を見て目を細めた。
「ミカン、何かあったの?」
「あの者は寝ているアスカ様の部屋にお一人で入られようとなさったのです。あのまま侵入を許していたら、何をされたか分からないのですよ」
「はあ。別に良いじゃないの、それくらい」
「何を仰るのですか! 貞操を奪われるようなことがあったら、どうするのですっ!?」
「貞操って……」
朝から激しい妄想が真っ盛りね、ミカン。男が一人で女の部屋に入ってきたら貞操を奪われるのか、この世界では。じゃあ女が一人で男の部屋に入ったら、今から取って喰うよって意味になるのかしら。
「さすがに、朝からはちょっとねぇ」
「そっ……そういう意味ではございませんっ!」
冗談のつもりで言ったのに、ミカンは顔を真っ赤にして怒ってしまった。腰紐を力いっぱい絞められてぐえっと声が漏れた。
「心配いらないわよ、全然好みじゃないから。むしろあの手の人種は生理的に無理です」
「そう……ですか」
「そうですよ」
まったくこの世界のひと達は男女間の関係に過剰に反応し過ぎじゃないのかしら。
ミカンは男性との交友……なさそうだもんね。わたしそっとため息をついた。
__では、どういう者が好みなのだ?
おや? ヤマトさん私と恋話する気?
わたしは少し面白くなってヤマトを抱き上げた。金色の瞳がじっと私をのぞき込む。
「そうねぇ。まずは、イケメンであること」
__イケメンとはなんなのだ。
「男前ってことよ」
__人間の顔の価値はよく分からぬ。
そりゃそうだろう。わたしだって、猫顔のイケメンブサメンの違いなど判断できない。
「うーん、細かく言えば。私は茶髪よりは黒髪の方が好きで。目元は切れ長で色気がある方が良くて。身長は高い人が良くて。ダボついたモルモットみたいな身体じゃなくて、しなやかに引き締まった体つきの人が好きなの」
__それがお主の好みというものか。
「そう。イケメン大好き」
__我のことは、どう見える。
「猫」
ひとことそう言うと、ヤマトは沈黙した。
何を言わせたかったのだろう。イケメンの猫だねっとかそーゆーこと? だいたい性別ないって言ってたじゃない。イケメンだか美人だか分かんないし。
それから私達はあわてて朝食を取り、午後からの挨拶までには時間があるということで、ナルシスが商店街の案内を申し出てくれたので受けることにした。
商店街は馬車で通り過ぎただけだったし、この世界に来てこんなに人で賑わう場所に来たのは初めてだったから、自然と気分は高まった。
「さあアスカ。はぐれるといけない。僕がエスコートしてあげよう」
玄関を抜けて目の前に広がる商店街を見渡していると、そう言ってナルシストが手を差し伸べてきた。
特に意味はないが、嫌だった。
だってナルシストだよ? 釣り合いがどーこーいうような奴よ? 私はあんたのお飾りじゃないってのよ。
私は顔をしかめて反対側にいたオスカーさんの腕を強引につかんで引き寄せた。
「私は護衛の騎士と一緒に参ります。それならば何よりも安全でしょう?」
「アスカ……」
オスカーさんは少し驚いたように身を引いたけど、私はグッと力を入れて再び引き寄せる。逃がさないんだから。
「おや。僕のエスコートじゃ不満なのかい? このサワナの女性は皆、僕と一緒に出歩くことを夢見ているというのに。ああ……分かったよ。僕のエスコートを他の女性に見られて嫉妬されないか心配しているんだね? 本当に君は可愛いな」
自分大好きナルシストは決して自分に問題があるとは思わない。すべてを都合よくねじ曲げて解釈し、寝言まがいなセリフを吐いて、うっとりとした視線を向けると私の顎にそっと手を伸ばした。
またっ! こいつに触られると鳥肌が立つのよっ!
近寄られてゾワッとするものを感じて逃げるように顔をそむけると、オスカーさんをつかんでいた腕が逆に引っ張られて、直後ふわりとした風が舞った。
……え?
一瞬の間。
目の前にはオスカーさんの胸があって、私の背中に触れる腕の感触に抱きしめられたと認識する。
「アスカ殿も恥じらわれているご様子。まだ日も高く人の目もありますから、この辺で許して頂けませんか」
わたしの耳元で低く滑らかなオスカーさんの声が聞こえた。
耳元をくすぐり、息づかいさえ感じるその距離で、心地良いその響きは私の脳内を甘く刺激する。
その途端、ドクンと心臓が音を立てて、突然記憶が逆行した。
この、声――あの時の……
砂漠で……私の目を覆った、あの手。
深呼吸を繰り返せと、何度も優しく言ってくれたあの声。
なんで今まで気付かなかったんだろう。
こんなに近付かないと分からないなんて。
ああそうか、あの時わたしを助けてくれたのは。
オスカーさんだったんだ―――




