ミカンの奮闘
「巫女様……! 起きて下さい巫女様っ!」
ドンドンドンドン!
先ほどからミカンがしきりにドアを叩いているが、部屋の主からは依然として返事がない。
領主であるモルモットからは各々に個室があてがわれた。ひとつひとつが大きな洋室で、ベッドもひとつずつしか備えられていなかったために、アスカも一人で寝ることになったのだが――
アスカの寝起きの悪さを嫌という程、理解していたミカンは早朝からアスカを叩き起こすべく部屋にやって来た。だが、しっかりと中から鍵を掛けられてしまい、中に入ることすら出来ないでいた。そんなミカンの顔には焦燥の色が濃く滲み出している。
「アスカーーーッ!! 起きろ、寝坊助っ!!」
今日は領民に向けておから料理公布の件で挨拶をする予定になっている。準備もあるし、なんとしてでも起こさなければならない。
寝ずの番をしていたテオも早朝から大声をあげて懸命に呼びかけてくれている。その傍ではトキも困った顔をして小さくアスカの名前を呼んでいたが、やはり一向に中からの反応はない。
ドアの奥からはカリカリと爪を立てる音がした。きっとヤマトだろう。賢い猫であることはミカンも知っている。きっとドアの鍵を開けようと四苦八苦しているに違いない。
「仕方がないな。領主様から部屋のマスターキーを借りてくるしかなさそうだ」
難しい顔をして様子を見守っていたオスカーが、これでは埒が明かないと扉に背を向けた。視線を向けた先に優雅な動きで階段を上がってきたナルシスの姿を見つけて、動き出そうとした足を止めた。
「やあ、皆さん。おはよう。今日は実に素晴らしい朝だよ。僕の愛しいアスカを迎えに来たんだけどね。みんなで集まってそこで何をしているんだい?」
今日も相変わらずフリル満載のシャツを身に着けて、長い髪をかき上げながら登場したナルシスに、テオは隠そうともせず思いっきり嫌そうに顔をしかめた。
「いつからおまえのアスカになったんだよ」
「やめないか、テオ。ナルシス様おはようございます。アスカ殿はまだ寝ておられるようなのですが、内から鍵がかかってて中に入れないのです。今、ちょうどマスターキーをお借りしに伺おうと思っていた所です。ナルシス様はお持ちではありませんか」
嫌悪感をあらわにするテオをすっと腕を伸ばして押し留め、落ち着いた面持ちで尋ねたオスカーにナルシスはくすりと小さな笑みを返した。
「おや。僕の愛しいアスカは眠り姫なのかい? それはそれは。余計に愛おしくなってしまうね」
クスクスと笑いながらオスカーの反応を窺うような視線を向けるナルシスに、むすっとしたままテオが苛立たしげに答えを催促する。
「それで、鍵持ってんの……持ってるんですか」
明らかに苛ついている様子のテオをおもしろそうに見つめて、ナルシスは胸ポケットから金色の鍵を取り出して、目の前でゆらゆらと揺らして見せた。
「あるよ。僕に入れない部屋などないからね」
その気になればいつでも自由に入れるんだよ、とでも言いたそうなナルシスの言葉に、それまで表情を崩さなかったオスカーの眉がピクリと反応する。
「僕が起こしてあげよう。君たちはここで待っているといいよ」
その小さな変化をナルシスは見逃さなかったが、見なかったフリをしてオスカーの横を通り過ぎ、ドアへ歩みを進めた。
護衛騎士はあくまでも護衛だ。明らかな危険がない限り、護衛騎士はその行為を妨げられない。加えて相手は領主の一人息子だ。
今後、おから料理を国民に周知させるためにもサワナ領主の協力は必須。余計な口出しをして万が一、気分を損ねられて出し惜しみされるようなことがあっては困る。
この男をアスカに近づけたら何をするかわからないのに……テオは無言で奥歯を噛み締めた。
しかし、そこで気丈にも待ったをかけたのはミカンだった。ナルシスから見れば見下ろす程に小柄なミカンだが、すっとナルシスの前に歩み出ると顎をあげて厳しい目つきをナルシスに向けた。
その立ち居振る舞いは、長年ユーラ城にて務め果たしてきた侍女としての自負に溢れ、実に気品高く堂々としたものだった。
「ナルシス様。それはわたくしのお役目でございます。わたくしは御当主様より直にアスカ様の教育指導にあたるように任ぜられたミズノ様から、身の回りのお世話をするように命ぜられた付き人でございます。鍵を開けて下されば、わたくしがきちんと起こして差し上げます」
普段はオスカーやキッシュなどの男性陣の介入に口を出さないミカンだったが、その厳しい目つきと改まった口調からナルシスを警戒しているのは明らかだった。
「アスカ様はアイゼン国にとって大切な要人なのです。まだ目覚めてもおられないそのお方のお部屋に、男性であるナルシス様がお一人で入られるなど、騎士でなくても慎むべきではないでしょうか」
きゅっと唇を結んで少し怒ったようにナルシスを咎めたミカンを、ナルシスは驚いたように見つめた。
「おや、そんなに怒らないでくれよ。君の可愛い顔が台無しだ。女性に怒られるのは本意じゃないからね。はい、これ。優しく起こしておくれよ。彼女は国の要人なのかもしれないけど、僕にとっても大事なお姫様なんだからね」
唇に人差し指を当て、茶目っ気たっぷりにウィンクをしてみせたナルシスから鍵を受け取ると、鉄仮面のような表情をしたミカンはうやうやしく頭を下げた。
「お任せください」
いつものニコニコ顔はどこへやら。厳しい顔つきのミカンは一言そう返事をして鍵を開け、さっさと中に入ってしまった。
「じゃあ僕はダイニングで姫の登場を待つよ。君たちもあまり怖い顔をしないでくれよ。素晴らしい朝が台無しだ」
やれやれといった様子で手を振ると、ナルシスは背を向けてその場を後にした。その背中を見送りながら、ぽつりとつぶやくように声を漏らしたのはトキだった。
「ねぇあの人、アスカのことが好きなの?」
「知らねぇ」
不機嫌なままでテオは顔をしかめながら短く答える。
「でもアスカは嫌いだよね、あの人のこと」
「なぜそう思うんだ、トキ」
「なんとなく……初めてあの人を見た時から、ピリピリしてる」
「そうか」
「うん」
オスカーは小さな笑みを浮かべてトキの頭をなでた。くすぐったそうに目を細めたトキの言葉に、少しだけ心が軽くなった気がした。




