ラーミルの心、ライザーの心
緊張する面持ちで扉の前に立ちコンコンとノックをすると、入れと短く返事があった。
「失礼します」
扉を開けてラーミルが足を踏み入れたその場所は、通いなれたライザーの執務室だ。
重厚感のある木製の机を中央に構え、両サイドの壁には大きな本棚が隙間を埋めるように備え付けられている。
ライザーは書類整理をする手を休めずにチラリと入室してきた男――ラーミルに視線を向けた。
「ラーミルか。なんだ」
「はい。じつはご相談があって参りました」
ライザーはそのまま黙々と作業をし続ける。
これは、そのまま話せということだ。長年の付き合いからラーミルはそう解釈した。
「この度のおから料理の公布についてですが、わたしもサワナに赴き立花朱鳥殿の補佐に就きたいと思います」
ライザーの淀みなく動いていた手がピタリと止まる。書類から顔を上げると、ひとつため息をはいた。
「立花朱鳥殿は挨拶をして来るだけだ。補佐など必要ない」
「しかし、サワナの領主も一緒に帰還なされるのであれば、その場で無料配布を始めるのではありませんか? 公布が各領地に行き渡れば、大豆が今より売れるのは明白です。その機会をサワナの領主が二の足を踏んで待つなどあり得ません。コックが集まるより早く朱鳥殿の協力を得て、行動に移すのではありませんか」
「あの領主ならやりかねんな」
「はい。同行した騎士はあくまでも護衛として就く者たちです。おから料理の普及はあの時見の巫女様の念願を叶えるためのもの。おそらく、無料配布が始まればサワナは国内一の規模となるでしょう。その中で朱鳥殿の身に万が一のことが起こった場合、騎士二名だけでは到底対応しきれません。それゆえ、朱鳥殿の護衛の増員が必要かと思ったのです」
ライザーは背もたれに身を預けて腕を組むと、探るような視線をラーミルに向けた。
「朱鳥殿に万が一の事があっては困る、と?」
射貫くような視線を向けられて思わずゴクリとラーミルの喉が鳴る。
悟られたのだろうか。
「……はい。朱鳥殿はこの国の巫女様になるお方です。万全を期すのは当然かと」
「……で、おまえがみずから参りたいと言うのだな?」
通常、護衛の増援を求めるなら騎士団を向かわせれば済む。そこにラーミルが赴く必要などない。
やはり苦しいか……冷や汗がラーミルの額を伝う。
だがいくら言い訳が苦しくても、ここで引くわけにはいかない。
「はい。わたし個人と致しましても、とても大切なお方なのです」
それは苦し紛れに言い出した嘘でも何でもない。
あの方の笑顔が、立ち居振る舞いが、目に焼き付いて離れない。
そのお命が狙われていると知って、不安で今にもどうにかなりそうだ。
その動揺を隠し平然として見せるのは、今まで何度もしてきた中で正直一番きつい。
「ほう。個人的に大切に思っていると」
抑揚のない声でそう返しつつも、ライザーは勘ぐるような表情を崩さない。
ただその言葉の裏にある真意を、ひたすら探ろうとしているように見える。
「はい。ですからぜひ、わたしに向かわせて下さい」
なんとしてでも行かねばならない。
そんなラーミルの決意が込められた視線からふと目をそらし、ライザーは手にしたペンをコンコンと机に打ち鳴らした。
どう答えようか悩む時のいつもの癖だ。
最後にコンッと鳴らし終えたあと。
ライザーはラーミルを見上げてうなずいた。
「ふむ。そこまで言うのならよかろう。騎士を伴いサワナへ行く事を許可する」
「は。ありがとうございます。ではさっそく準備に取りかかりますので、これで失礼致します」
「ああ」
こともなげに短く返事をすると、ライザーは再び書類に向き直った。
予想していたよりも追及が甘かったことに胸をなでおろし、ラーミルは頭を下げてその場から退室しようとドアノブに手をかけた。その時、ライザーの射るような声がラーミルの背中に向けられる。
「待て」
反射的にドアノブにかけた手を止めてラーミルは息を飲んだ。
やはり変だと思われたのか。ダメだと言われるのか。
ライザーの次の言葉を恐れながら待つラーミルにかけられた言葉は、そんな彼の予想に反して肩透かしを食らわせるものだった。
「厩舎に言って駿馬を出させろ。わたしが許可する。ああそれと、立花朱鳥殿といつも一緒にいる猫もちゃんと一緒にいるか確認してこい」
変わらず視線を書類に向けたままペンを走らせ、「ついで」とばかりにそう申しつけたライザーの言葉に、ラーミルは息を飲みその場に固まった。
駿馬は緊急を要す時にしか使われない大事な馬だ。
万が一などという、曖昧な事柄に使用される馬ではない。
しかも朱鳥殿は時見の伝承の巫女と噂されているものの、まだ承認もおりていない一介の女性なのだ。
それを彼女に使用する許可を与える意味は。
あの猫の事までわたしに頼んで。
ラーミルには早く行けというライザーの声が聞こえるようだった。
ロウェル様には気取られるなと念を押されたが、所詮、わたしごときがライザー様に隠しごとなど出来るはずがなかったのだ。
「……ありがたく使わせて頂きます。あの猫のことも……お任せ下さい」
「ああ。頼んだぞ」
こちらを見向きもせずにそう答えたライザーに頭を下げて、ラーミルは部屋を後にした。
それからラーミルは騎士団をひとつ借り受け、サワナへ向かう任務を通達し、厩舎に行ってすべての駿馬を出した。
一頭は残した方が良いのではと考えたが、係の者からライザー様より全て出してよいと許可が降りていると話された。
それを聞いてまたラーミルの胸は絞めつけられるものを感じた。
ラーミルは隊長のいなくなった第四騎士団と共に駿馬にまたがり、ユーラを飛び出した。
早く、早く着かなければ!!
気がはやる。
出来るだけ休憩を挟まずに向かわなければ。
手綱を握る手に力を込めて、ラーミル率いる騎士達は駿馬を蹴り、駆け出した。




