宿屋の騒ぎ
自然豊かな超特大の露天風呂を満喫した私は、ほかほかになった身体で宿へと戻り、そのままベッドにダイブして、それはもう久しぶりにぐっすり寝る事が出来た。
朝になってみたら、私の身体はベッドから落ちて床に転がっていたんだけど、よくある事なので気にしない。
「もう、本当に驚きました。どこか痛いところはありませんか?」
ミカンが頭や顔、手足などを万遍なくチェックしながら問いかける。
「全然平気よ。いつもこうだから」
「巫女様ったら……」
「さて、お腹が空いたわ。朝ごはん、食べに行きましょうか」
グルグルと鳴るお腹を抱えてそう言うと、ミカンはふふっと笑って立ち上がった。
「大変だっ! 大変だっ! あっちの宿もだってよっ!」
「おいおい、嘘だろ!?」
ドアノブに手をかけた途端、廊下の方からバタバタと慌ただしく駆け回る足音と、混乱したような叫び声が行き交っているのが耳に入る。
「何かしら」
「さあ……」
私達は首を傾げて顔を見合わせ、部屋を出た。
そこには寝ずの番をしていたオスカーさんが、疲れも見せずに涼し気な表情で立っていた。
「おはよう。よく眠れたか」
「はい。なんだか騒がしいですね」
「明け方からこの騒ぎだ。この宿屋だけではなく、この周辺一帯に何かあったようだな」
「そうみたいですね。どうしたんでしょうか」
キョロキョロと辺りを見渡すと、下の階の方でもバタバタと駆け回る音が聞こえる。
一大事だ! 一大事だ! と騒ぎ立てる声に、時代劇の関所侍を思い出した。そんなくだらない事を考えていると、隣の部屋からテオがトキを伴って姿を現した。
「なんか騒がしいよな。俺見てくる」
「うん。お願い」
そう言ってテオが階段を駆け降りようとした時だった。
「アスカ殿っ! おはようございます!」
奥から丸々太ったハムスターのような男が興奮したように頬を赤らめて、ぽてぽてと走って来る。
「モルモットさん。おはようございます。何かあったんですか?」
私がそう尋ねると、モルモットは心外そうに驚いた顔をしてパチパチと瞬きを繰り返した。
「てっきり私はアスカ殿がされた事だと思っておったのですが、違うのですか?」
一体なんの事かしら。私がしたのは、超特大露天風呂を林の中に作った事だけだ。
それがもう噂で広まってしまったのかしら。
「なんの事でしょうか」
的を得ないモルモットの言葉に、とりあえずすっとぼけてみる。
「この宿屋街の温泉が、朝になったら全てお湯になっておったのですよ。ここの風呂場も、朝方番頭が風呂場から湯気が出てる事に気付いて、大騒ぎしとるんです」
「風呂場が……」
「全部お湯に……?」
オスカーさんとテオがぽつりと呟いた。
暫しの間、私達は全員沈黙した。
きっと皆考えた事は同じだったと思う。
お湯って聞いて思い当たるのは、あそこしかないもの。
もしかしてあそこって……嫌な予感が私の脳裏をかすめる。
嬉しそうにニコニコと笑うモルモットに対し、それぞれが神妙な面持ちで沈黙を守る中、パタパタと下から階段を駆け上がってくる音がした。肩で息をしながら姿を現したのは、昨日泉に案内してくれた中居さんだった。
中居さんは私達を見つけると、駆け寄って来て申し訳なさそうに眉を寄せて頭を下げた。
「皆様、おはようございます。騒がしくて申し訳ありません。朝食の準備が整っておりますから、一階の大広間へお越し下さい」
「あ、あの、中居さん」
「はい。なんでしょう」
嘘だ、違う。きっと思い過ごしよ。
私は複雑な願いを込めて口を開く。
「昨日案内してくれた源泉の泉って」
「はい?」
「あの泉って、もしかしてこの温泉街のすべてのお風呂に繋がってたり……しませんよね?」
恐る恐るそう尋ねてみると、中居さんはキョトンとしたような顔をして瞬きをすると、笑顔でこう言った。
「あら。よくご存知ですね、お客さん。この温泉街は昔、源泉の泉が温泉だった頃にお湯を引いて商いをしていたんです。今朝方、すべての宿屋の風呂場にお湯が沸いたと大騒ぎになっていまして、源泉の泉を見に行ったら、泉に恩恵が戻っていたんです。それで皆大慌てで……」
『………』
中居さんの言葉に全員がさらに沈黙した。
温泉街の恩恵って、あの源泉の泉が元だったのね……どうして消えたんだろうと思っていたけど、簡単な話だった。
源泉の泉からお湯を引いていたからなんだ。
てっきりこの宿屋街全体に温泉の恩恵があったのだと勘違いしてた。
大ごとにならないようにと思って、離れた源泉の泉で試したつもりだったのに、まさか全部の宿のお風呂に繋がっていたとは。
ここは……誤魔化そう。
うん、それがいい。
「それは、良かったですね」
若干の冷や汗をかきながら、にっこり笑って私はそう答えた。
「そっ、そうですね! 良かったですね。これで皆これからはお湯に浸かれます」
私の意図を察したミカンも慌てて同意する。
「ああ、そうだな。大変喜ばしい事だ」
「あっ、ああ! 良かったじゃねぇか」
「……」
トキだけが、何も言わなかった。




