寄り添う心
使命……ロウェルの口から出た言葉にラーミルの身が引き締まる。一体何があるというのだろう。
「その立花朱鳥殿のお命が狙われておる」
「なん……ですって」
にわかに信じがたい話だ。
けれど、ロウェル様はそんな冗談をいうお方ではない。
何よりその瞳に映る燦然たる輝きが、真実なのだと物語っている。
ラーミルの中で、ドクンと心の臓が跳ねた。
ラーミルの頭の中で走馬灯のように、立花朱鳥の姿が流れる。
着物を着て御当主様の部屋へ案内した時に向けられた笑顔。
審査会の集計を欠伸をしながら頑張っていた無邪気な顔。手伝うと言った時の喜んだ顔。
公布の場での堂々たる様。あの場の全員を魅了したあの美しさ。あの手に触れ、壇上を上がった時は心臓が壊れるかと思った。
その彼女の命が、狙われている?
「そして、お主は知っておるじゃろうか。朱鳥殿といつも一緒におる猫じゃ」
猫……
忘れられるはずがない。
ヤマトと名乗ったあの黒い猫。
謁見の間での出来事は緘口令が敷かれたが、誰も忘れるはずなどなかった。
息が止まるかと思うほどの威圧、浮き上がった黒猫。禍々しいオーラ、地の底から聞こえたような声は心臓を鷲掴みにされた想いがした。
今思い出すだけでも肌が粟立つ。
しかし、あれ以降は静かにしていたはずだ。
朱鳥殿も恐れることなく接していたし、集計のときも静かに彼女の傍らで見守っていた。
またあの猫が何かしたのだろうか。
「ヤマトと申した猫ですか」
「左様。立花朱鳥殿と同様に、あのヤマト殿も狙われておる」
「あの、猫も……」
ラーミルは、あの謁見の間での出来事を忘れることなど出来なかった。
三日三晩はあの出来事を思い出し、寝る前には震えたこともある。
だからこそ、今でもハッキリと思い出せる。
「しかし、あの者は『導く者』と言いました。神々からの遣いだとも。巫女は導く者の力を借りて加護を得るのだと。あの者がいなくては、事は成しえません。それなのにあの猫を狙うなど……どこの誰がそのような事を考えるのですか」
「それは分からぬ。じゃが、ラーミル殿の言う通り、朱鳥殿が巫女であろうとするのならば、ヤマト殿の協力は不可欠。情報源は言えぬが、今まさにその二人の命が何者かに狙われておる」
由々しき事態だ。
ラーミルの心に動揺が生まれ、不安に駆り立てられる。
朱鳥殿はこの国の巫女になるつもりはないと言った。
けれど、セノーリア入国後、その恩は返すとも言ってくれた。
仮に朱鳥殿がこの国の巫女にならずとも、彼女が生きていれば、いつかこの国にも恩恵を与えてくれる日も来るかもしれない。
ラーミルはそう思っていた。
しかし、同時に考える。
わざわざライザー様にも口外無用と釘を刺すからには、そこにライザー様が関与していると言っていると同義。
だが……あの二人が重要人物だということは、ライザー様とてよく分かっていたはず。
そうか……だからロウェル様はあの様なことを仰ったのか。
『躊躇い、葛藤する行動を取るからこそ、お主にその責務を背負わせたりはせぬ』
恐らく……指示したのは、あのお方なのだ。ライザー様は決してあのお方の意に反する事はしない。
だが、それが本意であるとは限らない。そのお気持ちを汲み取れと、そういうことなのだろう。
御当主様の命令は絶対だ。
しかし、ライザー様も自分と同様に朱鳥殿もあのヤマトという猫にも危害を与えないように心得ていたことは知っている。
ならば、矛盾がある。
その矛盾するどちらかの気持ちに寄り添うことが出来るなら、ラーミルはライザー様の本心に寄り添いたかった。
「わたしは、何をすれば宜しいのでしょうか」
「急ぎサワナへ赴き、巫女殿とヤマト殿の救出に向かうのじゃ。御当主様の命令に関係なく動けるのは、ライザー殿の腹心である其方にしか出来ぬ。しかし、決してライザー殿に気取られてはならぬぞ」
サワナ。
朱鳥殿は、公布と同時にさらなる協力を得るためサワナへ領主と赴いたと聞いていた。
そうか。そういう事だったのか。
この城にいては手出しが出来ない。
夜中に急遽決まったことだとライザー様は言っておられたが、違和感があったのを覚えている。
そこで、命令を全うなされるおつもりですか。
「分かりました。ライザー様には上手く言って外出の許可を頂きます。お任せ下さい」
そう言ってロウェルに頭を下げ、立ち上がったラーミルをミズノが呼び止めた。
「ラーミル殿。この度は大変な任を頼んでしもうたこと、申し訳なく思う。お主も苦しいじゃろう。気持ちはよう分かる。じゃが、巫女殿もヤマト殿も決して失うことのできぬ者たちじゃ。頼んだぞ」
ミズノは真っ直ぐにラーミルを見つめて、頭を下げた。
「おやめください。ミズノ様。わたしは愚かで、実に単純な男なのです。前々よりわたしはライザー様のお力になりたいと、強く望んでおりました。その機会がやっと訪れたのです。御当主様からの罰は、受ける覚悟も出来ております。何も心配なさらず、わたしにお任せ下さい」
では失致しますと言ってラーミルはその場を早々に後にした。
「確かにあの者はライザーの命令で動く権限を与えられておるが、そう上手くいくじゃろうか……」
閉じられた障子を見つめ、不安そうにミズノは漏らした。
「信じるしかあるまいのう。あれはライザーとよく似て、心根の優しい男じゃからのう」
ロウェルの瞳には優しい光が宿っている。
ロウェルもミズノも不安なことに変わりはない。
今にも駆け出したい衝動を抑え、己自身が動けないことに腹立たしさと苛立ちを感じる。
二人の命の危機に、救出を他人に頼み、結果を待つことしか出来ないのこの耐え難い苦しみに、あとはじっと耐えるしかないのだ。
「巫女殿……どうか、無事でおるのじゃぞ……」
ミズノはそう呟き、そっと懐に手を添えた。
そこには、朱鳥が旅立つ前に書いた手紙が綺麗に折り畳まれてしまわれていた。




