頼りの綱
「猫。そう言ったのか、それは真か!」
途端に形相を変えたロウェルの勢いに豆腐屋の爺は狼狽した。
確かに猫と言ったが、それほど動揺する事だろうか。
「それがどうかしたのですか、ロウェル様」
「落ち着くんじゃ、爺。あれは、一見、普通の猫なのじゃが、実のとこは違うんじゃ」
首をかしげて問いかけた豆腐屋の爺に対して、わなわなと震え出し、言葉が耳に届いていない様子のロウェルに代わってミズノが答える。
「違う、とは?」
「あれは、『導く者』と言って巫女となる者を支えるべき者。あの巫女殿には、あの猫の話し声が聞こえるというのじゃ」
「話し声が、聞こえる?」
にわかには信じられない話だ。
豆腐屋の爺は、目を白黒させた。
そんな事を信じているのだろうか?
「左様! 以前、巫女殿が講義に参った時じゃ。あの猫殿を見て話し始めたので、わしも興味をそそられての。その声をわしにも聴かせてはくれぬかと頼んだ事がある」
「それで聞けたのかよ、ロウェル様」
キッシュも疑っているようだ。
確かにあの猫はずっと嬢ちゃんと一緒にいる。
でも話せるだって?
そんな事は常識じゃあり得ねえ。
「おお……。それはそれは、素晴らしい叡智の持ち主じゃった。古の神々を知り得る者。この国が建国した歴史、あの城の神の聖域についてまで、あのヤマト殿に知らぬ事は何もないのじゃ。巫女殿は、おそらくその叡智を借りて巫女になるのじゃろう。そのヤマト殿を狙うとは、なんと不届きな」
「マジかよ……」
「ふむ……わしは、あの猫が話したところを聞いた事はないんじゃがの。時折、こちらの話を理解している素振りを見せる事があるんじゃ。おそらく事実なんじゃろう」
ミズノもあの猫の奇妙さは、薄々と感じていた。
特に朝、巫女殿を起こしに行く時だ。
ミズノが部屋に入ると、焦ったかのように巫女殿の顔を叩いたりする。まるで、ミズノが叩く前に起こそうとしているように。
「もし、本来の標的が巫女殿ではなく、ヤマト殿であるならば、合点がいく。あの猫殿の持つ叡智は、実に素晴らしいものじゃが。それ故にその知恵が邪魔になることもあろうて。政治とは、そういうものじゃ」
「どっちでも良いじゃねぇか。とにかく、どっちも狙われてんのに変わりはねぇんだろ。助け出す方法を考えようぜ、ロウェル様」
あの猫が話せようが関係ねぇ。
厨房に来る時は、お好み焼きをうまそうに食う普通の猫だ。
「そうじゃ、キッシュの言う通りじゃぞ、爺。どちらにせよ、早く本人に危険を知らせねばならん」
ミズノの言葉に一同が同意した。
「そうじゃな。まずはサワナに向かい、知らせる必要があるのう。同時に、事に対応出来る者が良いじゃろう。わしに思い当たる人物がおる。そこは任せてくれんか」
「俺も行きてぇとこだが、コックが城を出たんじゃ目立ち過ぎる。理由もねぇしな。頼むぜ、ロウェル様」
しかめっ面で唸りながら、キッシュがそう言うとロウェルは頷いた。
「もちろんじゃ。巫女殿も大切なお方じゃが、ヤマト殿をとて同じこと。決して殺させたりはせぬ」
「わしも、行った方がいいじゃろうか」
そう切り出したのは、豆腐屋の爺だった。
「いいや。爺、お主はここにおれ。城への定期的な納品もあるじゃろう。城下町唯一の豆腐屋が来なくなったと知れば、皆不審に思う。ここからサワナまでは一週間。往復で二週間じゃ。誤魔化せんわい」
「そうですな……」
居ても立っても居られないというのに、ここでただ待つしかないとは。豆腐屋の爺はがくりと首を下げた。
「豆腐屋の爺さんよ。あんまり落ち込むなよ。行きたくても行けねぇのは、俺も同じだ。城で信用出来る人間なんざ俺は知らねぇし、ここはロウェル様に任せた方が良いに決まってる。下手に動いて、俺らの行動がバレるよりはいい」
「わしも長年勤めてはいるが、ライザーが動いておるとなると、ちと厳しい。あれは鼻が効く。爺や、お主も注意して動くんじゃぞ」
厳しい視線を向けたミズノにロウェルは力強くうなずいた。
「うむ。なるべく早く動いた方が良いの。その野盗は夜中のうちに動いたのであろう。だいぶ時間が経っておる。急ぎ城へ戻るぞ、婆や」
皆一同にうなずき、部屋を後にする。
店先で、豆腐屋の爺がロウェルの手を握った。力強く握り締められた爺の手は震えている。
アスカを狙った黒幕。その正体を知って怖気づかないわけがない。相手はこの国の頂点に君臨する者だ。下手を打てばロウェルやミズノでさえも、その意思に従わねばならない。
だが二人は助けてくれると言った。
たったそれだけの不確かな約束。今はその約束だけを頼りにすがりつくしかない。
豆腐屋の爺は神にでも祈るような気持ちで言葉を発する。
「ロウェル様。どうか、どうか宜しく頼みます。あの娘さんを助けてやって下さい」
「分かっておる。わしとて、ヤマト殿を師匠と崇めておるのじゃ。死力を尽くすわい。急ぐ故、これで失礼する」
そう言うと足早に三人は店を立ち去った。
後はあの方達に任せるしかない。
豆腐屋の爺は、去りゆく三人に向けてその姿が見えなくなるまで深々と頭を下げ続けた。




