夜の夢
「アスカ……これは、少しやり過ぎではないのか?」
私の声を拾ったオスカーさんが渋い顔をして泉を見ていた。
あ、やっぱり?
丁度私もそう思っていた所でして。
次第に泉から白い湯気が立ち昇り始めた。
薄かった湯気がその密度を徐々に増して泉全体を覆い、林へとその手を伸ばした。
じんわりとした温かい空気が私達を包み込む。
「凄いな……」
その泉の変わりように、辺りを見渡しながらオスカーさんが感嘆の声を漏らした。
本当に、あの小さな精霊のどこにこんな力があるのかしら。
せめて私が浸かれるくらい、泉の一部だけでも温かくなったらいいなぁくらいにしか思っていなかったのに。
それが。
まさか……泉全体が釜茹でになるとは。
そうして、泉と林全体に湯気が満ちた頃。
泉の中央から小さな紅い光が浮き上がった。
__ふふふふ。楽しかったね。
__うんうん、楽しかった。
__器の子、また呼んでね。
__待ってるよ。
木霊するように林に響いたその声は徐々に小さくなり、ふわりとかき消えた。
「あ……ありがとう」
思わずお礼を言って頭を下げる。
彼らは実に立派に頼んだ仕事をこなしてくれた。
それは、予想以上の働きぶりで。
「お、終わったのか?」
後ろを振り返ると、ミカンとトキを庇うように抱きしめながら、テオがこちらを向いていた。
「うん。そうみたい」
私がそう言うと、やっと回していた腕を離して辺りを見渡す。
「精霊の恩恵って初めて見たけど、ほんとにすげぇ」
そのテオの脇を擦り抜けて、ミカンとトキが私に走り寄って来る。
「巫女様! ご無事ですか?」
「うん、大丈夫よ。水がかかったくらいだもの。ミカンもトキも大丈夫?」
そう尋ねると、二人とも頷いた。
「ビックリした……。精霊様って本当に凄いね」
うんうん、私が一番驚いてるわ。
火柱立ち上がった時は天変地異でも起きたかと思った。
あとは……
私は二人に背を向けて、泉の……いや、釜の側へと歩み寄る。
淵の水面も未だにこぽこぽと音を立てているけれど、そっとその上に手をかざしてみると、柔らかな温かさが手のひらに伝わった。
「あれ……」
「どうした」
オスカーさんがあまり近寄ると危ないと、私の腕を引いて下げさせる。
「なんか、思ったより熱くなくて」
「熱くない? しかし……中央はあのままだが」
そう言うオスカーさんの視線を追うと、ごぼごぼっと大きな音を立てて水泡が湧き上がっている。
「そうなんですけど、この淵のところ。もしかしたら、そんなに熱くないかもしれません。ヤマト、ちょっと触ってみて」
自分で触るのは少し怖かったので、ヤマトに頼んでみた。
「ヤマトにそんな事頼むなよっ! 俺が触るっ!」
ヤマト崇拝者のテオが代わって名乗りを挙げてくれたので、私はご好意に甘える事にした。
そろそろとお湯の上に手をかざし、テオも少し首を傾げる。
「あれ? なんか本当に熱くねぇかも」
「そうでしょう? なんかいけそうな気がするわよね?」
「うん。そんな感じする」
今度は人差し指を突き立てて、静かにお湯の表面に触れた。
パッとすぐ指を離して首を傾げ、また指を浸ける。
「おっ? おおっ? これ、お湯だぜっ! 熱くねえ!」
そう言ってテオは手首までお湯の中に入れてかき回した。
「ホント!?」
その様子を見て、私は泉に走り寄り、勢いよく手をお湯の中に突っ込んだ。
「あったかい……」
少しだけ熱いかな、という程度だ。
この程度なら全然我慢出来る。
私と隣にいたテオの視線がぶつかり、自然と互いに笑顔が浮かび上がる。
「やったーーーーーっ!!」
私達は飛び上がって抱き締めながら喜びあった。
やったー! やったわ!!
取り返しのつかない事やっちゃったかもと思ったけど、この淵の辺りならそのままお風呂として入れそうな温度だ。
私達は何度も抱き合って飛び跳ねて喜んで、最後にはオスカーさんとトキに無理やり剥がされた。
なぜ。
「よしっ! 私ここで入りますっ!!」
「巫女様!? 何を仰るのですか! ここには男性の方もいらっしゃるのですよっ!?」
「離れてて貰えばいいじゃないの」
慌てふためいたミカンに私は溜息をついてそう言った。
今度は絶対ミカンに負けないわ。
だってそこに温泉があるのよ?
私の精霊が温めたのよ?
それを目の前にして、むざむざと帰れる訳がないでしょう!
「絶対!! 入るからっ!!」
力を込めてそう叫ぶと、オスカーさんとテオがぽんっと同時にミカンの肩に手を置いた。
「ミカン。元々風呂に入りたくてした事なのだ。無事に成功したようだし、アスカの言う通り、私達は見ないようにする。だから、ここは折れてやってくれないか」
「そうだぜ、ミカン。精霊様まで使ってこのでかい風呂作ったんだぜ。朝まで粘るぞ、絶対絶対」
二人にそう説得されて、ミカンの眉が下がった。
「そう……ですね。巫女様は長旅で疲れておいででした。お風呂にも入りたいと仰っていましたもの。
分かりました。では、そのように致しましょう」
その言葉を聞いて私はミカンに抱きついた。
「ミカンっ! ありがとう! 大好きよっ!」
「ふふっ、巫女様ったら。ミカンも大好きです」
「じゃあ、ミカンも一緒に……」
「それは結構です」
「あ、そう……」
そういう流れで、私は念願の温泉を堪能したのだった。
その一連の出来事を林から見てる連中がいたなんて、つゆほども知らずに。
◇◇◇◇◇◇◇
「なっ、なんだよ、ありゃあっ」
「しっ! 黙れっ」
思わず叫び声を漏らした男の口を隣にいた仲間が慌てて塞ぎ込む。
周囲を見渡すと、他の仲間達も皆同じように、口を手で塞いで目を白黒させていた。
「見たかっ!? 見たよなっ!? 夢じゃねぇよな、おいっ!」
隣にいる仲間の肩を掴んで、男はがしがしと揺さぶった。
「あっ、ああ。夢じゃねぇよ。俺も見た」
混乱する野盗共の中でただ一人。
銀髪の男だけは、その様を冷静に保っていた。
__巫女様。
アスカと言う女と一緒にいたおかっぱ頭が、確かにあの女をそう呼んだのを銀髪の男は聞いた。
紅い光の渦、立ち上がった火柱。沸いた泉。
精霊の恩恵……
「巫女様、ね」
その呟きは、林に立ち込める湯気と野盗達の騒ぎ声にかき消えた。




