着せたいもの、増やしたいもの、広がるもの。
誤字脱字報告に感謝致します。
「うーん……やっぱり、目指すのは庶民として育ってきたけど、ある日突然男爵家の養子になっちゃった系女子かなぁ……」
朝っぱらから考え込んでいたエマが決めたわっと、勢いよくペンを走らせる。
コンセプトが決まると長々と考えていたのが嘘のようにするする服のデザインが頭に浮かんでくる。
「ん? おおう……。姉様、何ですかその悪役令嬢に転生した系の少女漫画によくいる、不自然なほどに攻略対象に愛されまくる鈍感系あざとウザ女子みたいなキャラは……」
机を挟んだ向かい側で、騎士に関する分厚い本を読んでいたウィリアムが、姉の描いた絵を一瞥して女子ウケ悪そうだなぁ……と呟く。
ぱっと見は愛らしい美少女だが、ウイリアムの前世の記憶が、こいつはやべぇぞと警鐘を鳴らしていた。
エマが描いた淡いピンク色のふわふわした長い髪の少女は現実にいたならば、あまりお近づきにはなりたくないタイプだ。
女の子らしさを前面に押し出したようなドレスに、ねっとりとした上目遣い、媚びた表情。
……なんというかトータルで、やり過ぎだった。
前世は少女漫画も好んで読んでいたぺぇ太だからこそ、よくあるチョロい攻略対象達のようには騙されない。
そこのところの嗅覚は鋭くありたいと常日頃から気を付けている……とはいえ、前世では全く以てその嗅覚が働く場所はなかったが。
同じピンク髪でも媚び媚びの上目遣いより、ガーデンパーティーで会ったマリーナ嬢みたいなちょっとおませな感じの方がタイプだなぁ……と、ぺぇ太は誰も訊いていないのにぶつぶつと己の好みを語り始める。
「うわぁ……何言ってんだか。これはマリオン様に着てもらうためのお洋服よ」
エマは冷たい目でお前の好みは知らんがな、と一蹴する。
「は? いや、いやいや、マリオン様!? なんで!? さすがに……無理がありますって!」
想定外の絵のモデルに驚きを隠せないウィリアムは、持っていた本を置いてぶんぶんと首を横に振る。
昨日、姉様がマリオン様に女装させるとか言ったのを聞いてはいたが、さすがにこれはない。
普段の爽やかイケメンのマリオン様とあざとさが限界突破している絵の少女に、共通点がどこにも見当たらない。
フリルたっぷりの、胸元に大きなリボンまでついた甘々ピンクのワンピースを、あのイケメンに着せる?
誰がそんな姿を想像できるだろうか。
ウィリアムの大好物であるフリフリの甘々ワンピースが泣いてしまう。
さすがに一言言わねばならない。
解釈違いもいい加減にしてくださいと。
「ウィリアムはまだまだね。マリオン様ならフリフリのレースだって似合うに決まっているでしょう?」
エマがハァ……と、ため息を吐いて悲しきモンスターを見るかのような視線を弟へ向ける。
「え……? 何を根拠に? エビデンスどこよ?」
ウィリアムはそんな姉の視線を華麗にスルーした。
今、イケメンオーラ全開のマリオンに、ぶりっ子ロリ美少女服を着せようとしている姉を止められるのは自分しかいないのだから。
「だって、マリオン様。男装も大変お似合いだけど可愛いものも大好きなのよ。それにサービス精神旺盛なところがあるし……あの感じはきっと……」
「えぇー……無理ですって」
一体姉にはマリオンの何が見えているのか……ウィリアムには想像できない。
そもそも右斜め上を左折する姉の思考についていけるはずもないのだ。
あの姉が言うならば、イケメン過ぎる公爵令嬢ことマリオンが、悪役令嬢に転生した系の少女漫画によくいる不自然なほどに攻略対象に愛されまくる鈍感系あざとウザぶりっ子女子になれる……のかもしれない。
……いや? 無理だよな。
「うーん……」
ウィリアムは納得できないと唸って天を仰ぐ。
と、そこへ。
「ふぃ〜、あちぃ~……。おい、凄いぞ。マリオン様、めっちゃ速ぇ!」
マリオンを誘って、朝稽古に行っていたゲオルグが意気揚々と汗だくで戻ってきた。
「あんなに速く動けるの、うちの狩人にもそうそういないぞ。すげぇ!」
マリオンとの手合わせが相当楽しかったのか、ゲオルグは満面の笑みである。
「へぇ……兄様がそこまで言うならマリオン様、騎士になる実力はちゃんと備わっているみたいですね」
「ああ、でも速さに比べて力が弱いのが気になるかなぁ? もう少し腕力つけないとデカい魔物を仕留めるのは、うーん……ちょっと厳しいんだよなぁ……」
ウィリアムの言葉にゲオルグが悩ましげに唸る。
「デカい魔物って……兄様の基準で人類を判断してはいけませんよ」
待て待て、とウィリアムが兄の言葉に首を横に振る。
スチュワート家の男共の腕力、体力は、桁が違うということを忘れてはいけない。
大型の魔物とタイマン張ろうとする狩人なんて、王国広しと言えどもスチュワート一族くらいである。
狩人が3メートル超えの魔物を一人で倒すのは普通ではないことだとウィリアムが知ったのは、字が読めるようになってからだった。
本に書かれた硬いとされる魔物を握りつぶす大叔父達も、遠すぎて豆粒ほどしか見えない魔物の眉間を正確に射抜く叔父も、倍以上ある魔物に大外刈りを食らわす父も、ゴリラの兄も……皆おかしいとウィリアムは魔物図鑑で学んだ。
全てを飲み込んだウィリアムは、これは世の中の常識を把握しておかないと、後々大変なことになる気がする……と、幼いながら本を読み漁った過去を昨日のことのように思い出す。
「兄様、マリオン様は女性ですし筋力の差は仕方がないのでは?」
速度に加えて筋力まで求めるのは酷ではない? とエマもウィリアムに同意し、汗だくのゲオルグに手製のハンカチを渡す。
「うーん、そうなのかなぁ……。そうなのかなぁ……」
ゲオルグは納得いかない表情で汗をゴシゴシ拭いている。
辺境パレスでは女性の狩人も活躍している。
ギレルモ従兄弟叔父様の奥さんのカロリーナさんなんか、男に引けを取らないどころか狩人の中でも力の強さは群を抜いているくらいなのだ。
「ほら、あなた達! 早く朝ごはん食べに来なさい! 学園に遅れるわよ!」
「「「はーい!」」」
ご飯ですよの母メルサの声に、話の途中でも三兄弟は元気に返事をして、部屋を出る。
だって……今日の朝ごはんも、納豆だから。
◆ ◆ ◆
「あの……マリオン様? 大丈夫ですか?」
刺繍の授業中、マリオンの表情が曇っているのに気づいたフランチェスカが心配そうに尋ねる。
「ん? ああ……大丈夫だよ。フランチェスカ様」
そう答えるもマリオンの表情は暗いままだ。
「あっ! 今朝の『納豆』がそこまでマリオン様を困らせていたとは……申し訳ないですわ」
隣に座るエマがハッとしてマリオンに謝る。
朝から三回はおかわりしたエマは大満足な朝ごはんだったが、マリオンはどんなに勧めても納豆に手をつけなかったのを思い出したのだ。
「いや、そうではない。……ことも……ない? こともないんだが……。それよりも今朝、落ち込むことがあってね……」
エマの謝罪をマリオンは苦笑いで受け止める。
あれはあれで強烈ではあった。
スチュワート家のメイドが気を遣ってマリオンには別メニューを用意してくれていたので、朝食を食いっぱぐれることはなかったが、目の前であのネバネバした変な臭いのするあれを食べる光景を見るのは結構キツイものがあるのも事実である。
「落ち込む?」
エマが刺繍を高速で仕上げつつ、何かしらとコテンと首を傾げる。
「朝の、稽古の時にね、ゲオルグ君と手合わせをしたんだけど……実は、負けてしまってね」
マリオンは今朝の稽古を思い出し、込み上げる悔しさに、眉を寄せた。
それは、圧倒的な力の差だった。
ゲオルグが王国で最も過酷な辺境領パレスで日常的に魔物狩りをしていたことを聞いてはいた。
それでもマリオンは、これほど差が出るとは思っていなかったのだ。
稽古は、狩り云々関係ない純粋な剣の手合わせだったし、剣だけならと高を括っていた。
驕り……と言ってもいいのかもしれない。
マリオンが幼い頃から必死で鍛えてきた剣技は、いとも簡単に力でねじ伏せられた。
「マリオン様、ゲオルグお兄様はマリオン様の速い動きにとても驚いていましたよ? それに、お兄様はゴリラなので人間であるマリオン様と力を比べてはいけません! ゴリラの筋肉に人間が勝てるはずないですもの」
エマは気落ちしているマリオンを慰める。
そもそも比べる相手が悪過ぎる。
ゲオルグは辺境でも規格外認定されている純粋無垢な生粋のゴリラなのだから。
「それは……言い過ぎではないかしら、ケイトリン?」
「酷い言われようね、キャサリン?」
エマの慰め方の方向が特殊過ぎたのか、双子が目を丸くする。
「ふはっ。いや、うん。……そうだよね。負けるというのは悪いことではない。きっと私もまだまだ鍛える余地があるということ」
ゲオルグに勝ちたいのなら、自分もゴリラを目指せばいい。
「え?」
「「ええ?」」
フランチェスカと双子が驚きの声を上げる。
「騎士試験まであと一カ月、私がゲオルグ君に負けないくらいムキムキになればいいのさ!」
考えを切り替え、吹っ切れた様子のマリオンはうんうんと頷いている。
落ち込む暇があるなら、筋トレすればいいのだ。
古来より騎士を束ねてきたベル公爵家は、一族の傾向として考え方がポジティブかつ脳筋寄りな者が多かった。
それは全て筋肉で解決しようとするスチュワート家に似ているといえば似ている。
「そんな! 大変っ! マリオン様がムキムキになるそうよ、キャサリン?」
「ああ! どうしましょう? マリオン様がムキムキになってしまうわ、ケイトリン!」
双子がムキムキになったマリオンを想像して頬を染める。
「いけません! マリオン様がこれ以上逞しく格好良くなられたら学園が大変なことになりますわ!」
マリオンのムキムキ発言に、フランチェスカも慌て始める。
「まぁ、そんな。ふふふ、大変って大袈裟な……」
双子とフランチェスカの様子に、エマがふんわりと笑う。
のんびり柔らかな声音に反し、目の前にはあり得ない量の刺繍が積み上がっていた。
「もう、決めたよ。騎士試験がある一カ月後までに、皆が驚くくらいムキムキボディを手に入れる」
マリオンの決意は固かった。
「いえ、本っ当に、大変なことになりますよ?」
「「ですわ!」」
呑気なエマとマリオンとは対照的に、真面目な顔で忠告するフランチェスカに双子が何度も大きく首を縦に振り頷いている。
社交界経験豊富なフランチェスカと、噂話に詳しい双子は想像するだけで、恐ろしいと身震いする。
マリオンは既に、学園の令嬢の憧れの君の名をほしいままにしていた。
中には、いや、大半の令嬢はマリオンにお熱なのは言うまでもない。
耳年増で理想が高くなっている貴族令嬢にとって、基準を満たす素敵な令息は極少数しかいないのが昨今の社交界である。
その少ない素敵な令息には、ほとんど素敵な婚約者か、相応のお相手がいる現実。
そんな中、見た目、家柄、性格と、全てを網羅しているのが、マリオンだった。
王子様より王子様なマリオンに、恋しない令嬢がいるだろうか?
一番厄介なのが、マリオンのサービス精神旺盛な性格で、令嬢が欲しい言葉を、照れもカッコつけでもなく、サラリとスマートに言ってしまうところであった。
思春期男子には難易度が高い細やかな褒め言葉だって、マリオンならお手のものである。
マリオンが良かれと思って放った言葉は、令嬢の理想の令息像を限界突破させる。
マリオンの言葉は沼で、マリオンの容姿も沼。
悪循環である。
そんなマリオンにムキムキが加わるのが、どれほど危険か。ニコニコと呑気に笑っていられる状況ではないことを、フランチェスカと双子は気づいていた。
本当に薄氷の上を歩くが如くギリギリのところで、皆がマリオンに恋する想いを思い留まっているというのに。
令嬢らの熱に、意外にも性別の壁はないのだ。
令嬢を留まらせているのは、マリオンの美しさの一点のみであった。
令嬢達の中では、マリオンの美しさに想いを寄せ、マリオンの美しさ故に思い留まる、という矛盾が当たり前のように存在している。
社交界でドレスを纏ったマリオンは、そんじょそこらの令嬢が太刀打ちできないほどに美しい。
男装で隠された腰は実際には細くくびれており、大きさ形申し分ない胸、二の腕だって無駄な肉はついてない。
無駄な脂肪なんて、マリオンの体にはない。
所作だって、公爵令嬢という立場ゆえにしっかりと身に付いているし、鍛えているだけあって立ち姿の美しさは、あのマナーの鬼ヒルダ・サリヴァン公爵も認めるほどである。
ほとんどの令嬢は女子力の差を突きつけられ、自己嫌悪に陥るのだ。
なによりも隣に並ぶことでぱっと見で分かってしまう差、自身の無駄な贅肉こそが、マリオンに注がれる恋心のストッパーとなっていた。
乙女心とは複雑怪奇。
隣に並ぶ己の姿を、想像してどうしても最後の一線を越えられなかった。
多くの令嬢が比べられることに耐えられる自信がなく、マリオン様の部屋の壁になりたいと願う者が続出するだけに留まっていた。
そんな中に、マリオンに逞しい腕が、太ももが、盛り上がって割れた腹筋が備わってしまうなんて情報が出ては、壁に徹するつもりだった令嬢に野心が芽生えたとしても不思議ではない。
マリオンが令嬢らのストッパーだった贅肉を越えるムキムキ筋肉を身に纏った瞬間……脇目も振らず我先にマリオンガチ勢が爆誕することになる。
一体、どれだけの令嬢が被害に遭うかは分からない。
ただ、王国貴族の令嬢数十パーセントの婚期がズレ込むことになるのは確実だろう。
嘘のような、本当の話。
それほどムキムキのマリオンは、王国にとって脅威となるのだ。
「あっっ!」
「いたっ」
「「んん!」」
その証拠、と言わんばかりに同じ教室で刺繍の授業を受けていた令嬢達が一斉に小さな呻き声を上げる。
マリオンの発言に、聞き耳を立て夢中になるあまりに手元が狂い、刺繍針で己の指を刺してしまったのだ。
それほど、令嬢達にとってマリオンのムキムキ発言は衝撃が大きい。
「ヒソヒソ……マリオン様が……ムキムキ?」
「あのマリオン様に、さらなる逞しさが加わるですって」
「私、婚約の話……少し待ってもらおうかしら……」
「え? そんなっ! ずるいわ!」
マリオンがムキムキになるという噂は、その日のうちに学園を駆け回り、翌日には王都にまで広がることになる。
◆ ◆ ◆
「マリオンが……ムキムキ?」
騎士団長は、巷で広まる噂を部下である騎士から聞いて、握っていた羽根ペンを落とす。
「ど、ど、ど、どういうことだ!」
転がった羽根ペンからインクが書類に染み込むのも気にする余裕なく叫び、部下に詰め寄る。
「じ、自分は噂を聞いたたけで……」
鼻すれすれまで顔面を近づけて訊いてくる騎士団長に騎士は震えながら小さく答える。
騎士団長の令嬢マリオン嬢が、騎士になるために相当体を鍛え上げているらしいと、聞いたのは昨夜のこと。
騎士が夜遅くまでやっているパブに入ると、既に店内はその話でもちきりであった。
「いやあ……でも、無理だろ? いうて貴族の御令嬢がムキムキってさぁ……」
「まぁ、なぁ。厳しいだろうなぁ……」
「俺なんか、令嬢が剣を握ってるってだけでびっくりだわ」
酔っぱらいの男共は、一夜の酒の肴と好き勝手に噂話に花を咲かせていた。
皆の意見は概ね一致しており、無謀なことをする令嬢を笑ったり、心配したりしていた。
騎士も、彼らの意見に同意し静かに飲んでいたところ、一人の男が声を上げた。
「いや、俺はムキムキになると思う」
「はっ何を根拠に言ってんだお前ぇ~」
同じ席の客がゲラゲラと笑う。
「まあ普通に考えりゃあ、無理だろうが……。俺が聞いたところによるとその令嬢、今はスチュワート家で世話になってるってーいうじゃねーか」
「!」
「!?」
「???」
この男の一言で、賑やかだった店内がシンっと静まり返る。
「スチュ……ワート……家?」
ゴクリ、と酒を飲み込んで一人の客が呟く。
「スチュワート……家」
「ス……チュワート……家……」
「スチュワ……ート家……?」
そこから広がるように店内の客が口々に呟き、神妙な顔で暫し考え始める。
「は?」
一見さんだった騎士は、何事かと辺りを見回すが、客らの行動の意味に気づけなかった。
パブは臣民街の中でもスラムに近い位置にあり、客もまたスラム出身の者が多かった。
彼らは知っているのだ。
力自慢の男共をバッタバッタとなぎ倒し、無双する男の名を。
レオナルド・スチュワート。
彼の治めるパレス領で働く狩人を募集するために毎週のように現れるゴリラの名前である。
「これは……あり得る……か?」
「あ、ああ」
スチュワートの名が出た途端、店内の空気は一変した。
「俺、パレスの短期狩人バイト行ったことあるんだが……」
一人の客が、半分残った酒を煽ってから、告白する。
「あそこはヤベェぞ? 男も女もムッキムキだ……」
「ムッキムキ……」
「ああ、ムッキムキだった……」
彼が配属されたのは、パレスの中でもギレルモ&カロリーナ夫妻がいる元レングレント領があった辺りであった。
「あの、申し上げにくいのですが……最終的にパブでは、マリオン嬢がムキムキになることを疑う者は一人もいなくなりました」
騎士団長に詰め寄られた騎士は、事の次第を全て話し終わると、恐怖に耐えきれずペタンと尻餅を搗いた。
「おのれレオナルド・スチュワートォ!!」
イケメンで名を馳せた騎士団長の顔は、怒りで真っ赤に染まっていた。
恐ろしいのはこれが、この店だけの話ではないということ。
スチュワート家に関わったことで、マリオンムッキムキの噂は、各先々で尾ヒレと信憑性が追加され騎士団長の元へと続々と届くことになるのであった。
暑くなってまいりました。
皆様、体調管理には十分気を付けてくださいね。




