作戦会議。
誤字、脱字報告に感謝いたします。
スチュワート邸の数多くある空き部屋の一室の前に、急ごしらえの立て看板が設置されたのは、失言ぶちかました騎士団長を半ば強制的にお引き取り願った直後のことであった。
「ここを緊急対策本部にするわ」
看板の前で、メルサは声高々に宣言した。
そのいかにもな看板に書かれた皇国語(日本語)の文字を見て、三兄弟は震え上がる。
「「「ひっ!」」」
【マリオン嬢(永久)就職作戦会議室】
メルサ自ら筆(皇国土産)を取り、まだ乾ききっていない墨がツヤツヤと光を放つその文字からは、並々ならぬ母の願望が隠れもせずに見えまくっていた。
なによりも括弧内にある【永久】の文字が他の文字よりも明らかに大きいことで、さらなる恐怖を掻き立てる。
「……えーと? これは何と書いてあるのかな?」
ビビる三兄弟に対し、皇国語が読めないマリオンだけが不思議そうに文字を見つめていた。
「これは……そうですね。えーと……マリオン嬢……えぃ……ゴホン、ゴホン……就職作戦会議室……と書かれてます」
ウィリアムは括弧内の強烈な二文字を、無理やり見なかったことにしてマリオンに伝える。
「就職?」
「はい。就職です……ええ、就職……」
看板の中には、ウィリアムにとってスルーできない心抉られる二文字がもう一組あった。
そう、憎き【就職】の二文字である。
前世の三兄弟は、いわゆる氷河期世代である。
それは社会問題であるのに、社会から見捨てられた厳しくも苦しい、散々な世代。
何年も何年もなんの対策も取られず、貧乏くじだけを引かされ続けた世代。
だが、そんな時代に誰もが目を逸らしたくなるような成績を取り続けていた兄は、卒業間近で国家資格試験に合格するという特大の奇跡を起こし、正社員採用を決め、女性の就職が特に厳しいと言われていたあの悲惨極まりない時代に姉は、オジサンホイホイという特殊能力を開花させ、誰もが心をバキバキに折られている面接で一人無双し、易易と正社員採用を決めた。
奇跡の兄と、特殊性癖……じゃなくて能力の姉とは違い、思いっきり時代の煽りを受けたのがぺぇ太である。
採用してくれるのはブラックな企業のみ、働けど働けど上がらない給料。
転々と職を変え、気づけばコンビニでアルバイトをしていた。
「ハァ……」
【就職】の二文字で、己の前世に思いを馳せたウィリアムは、その子供の見た目にそぐわぬ重いため息を零した。
◆ ◆ ◆
「ふむ、なるほど……。つまり、マリオン様は騎士になるために家出中ということですね?」
第一回、マリオン嬢(永久)就職作戦会議に呼ばれたヨシュアは、ウィリアムの憂いの表情など完全無視して、円滑に会議を進行し始めていた。
この商人、相変わらず呼び出してから来るのが異常に早い上、状況判断も異様に早い。
「うーん、マリオン嬢はこれからどうしたいのかな?」
作戦会議室の参加者は、一家とマリオン、ご意見番として急遽招集されたヨシュアである。
レオナルドが一番大切なことだからと、マリオンの意思を確認する。
「騎士になりたいのです。私は、ずっと騎士になるために努力してきました。でも、どうしても父の了承を得ることは叶いませんでした。ベル公爵家のマリオンでは、騎士になれない。ならば、家を出るしかないと思っています」
答えるマリオンの瞳にも声にも、迷いはなかった。
貴族家では、家長の言葉は絶対である。
これまでどんなに説得しても父が首を縦に振ることはなかった。
家長である父の了承が得られない場合、公爵令嬢マリオン・ベルは騎士になれないのである。
「ん? では家を出れば、騎士になる方法があるのですか?」
マリオンの話し方に引っかかるものを感じて、エマが訊ねる。
「エマ様、王国騎士団に入るには二通りの方法があるのです」
エマの疑問を受けて、ご意見番のヨシュアがすかさず、その職務を全うすべく説明を始める。
「二通り?」
「はい。一つは、推薦です。【騎士の実技】の中級以上の合格で学園から推薦入団が可能です。しかし、こちらの推薦には家門の同意が必要となり、騎士団長が反対している以上、こちらの方法は使えません」
学園は貴族の寄付により運営されているため、スポンサーの意向を無視することはできないのである。
マリオンは既に騎士の実技中級に合格し、今年からは【騎士の実技】の上級を受けており、推薦の資格はあるのだという。
「では、もう一つは?」
ウィリアムがヨシュアに先を促す。
「もう一つは、試験を受けて騎士になる方法です」
「へえ、推薦入試と一般入試みたい」
「たしかに」
「それな」
高校受験みたいだと三兄弟は前世を懐かしむ。
「一般……入試? 一般……なるほど、言い得てますね。実際、裏では推薦は貴族枠、試験は庶民枠と呼ばれています」
何かを思い出すように三兄弟が頷く様子に、ヨシュアは不思議に思いながらも、説明を続ける。
「では、マリオン様は試験を受けて騎士になろうとしているのですね?」
「マリオン様ならきっと試験に合格できますよ」
「だな!」
ヨシュアの話を聞いたエマが応援するわっ、とマリオンの手を握り、ウィリアムとゲオルグもエマに同意する。
「ふっふふ、ありがとう」
三兄弟の言葉に、マリオンはじんわりと心が温かくなる。
マリオンは、ずっと誰かにそう言ってもらいたかったのだ。
現実的に、マリオンがやろうとしていることは、普通ではない。
生まれながらの貴族であるマリオンが、庶民枠と呼ばれる騎士試験を受けるのは、おかしいことなのである。
でも、この三兄弟は驚きもしないし、反対するどころか応援までしてくれるのだ。
「いや、さすがに申請時にバレるのでは?」
応援モードの中、レオナルドから珍しく冷静に突っ込みが入る。
騎士団長はマリオンの父親である。
己が統べる職場に娘が入ってくればすぐに露見するだろう。
申請書類が受け付けられなければ、試験すら受けられない。
「騎士試験は完全なる勝ち抜き戦ですので、試験申請が通りさえすれば、チャンスはあると思っています」
庶民枠と呼ばれる試験は、実力重視で選ばれる。
年々辺境への応援要請が増えているため、採用人数も多くなっていると聞いている。
申請さえ受け入れられれば、騎士団長であろうとも試験結果を覆すことはできない。
「うーん……問題は申請が通るかどうか、ですね」
ご意見番ヨシュアが眉を顰める。
申請書の提出は本人のみと決められている。
マリオンが持って行っても、事情を知る受付の騎士に受け取りを拒否されるのは目に見えている。
マリオンが騎士になるために残されている方法が一つしかない現状で、騎士団長の方もきっと庶民枠の試験を警戒するはずである。
下手したら本人が出張ってくることすら考えられる。
「そうね、マリオン嬢は騎士の知り合いも多いでしょうし、身バレを防ぐのは難しいのでは?」
王都の事情に詳しいメルサもレオナルドとヨシュアの懸念に同意する。
試験を受けて実力不足で不合格なら諦めもつくが、受ける前に阻止されれば確実に禍根が残るだろう。
「私は男として受けようと思っています。髪を短く切……いや、いっそのこと剃り上げてしまえば、気付かれる可能性も低くなるかと」
ヨシュアとメルサの言葉に、マリオンが真剣な顔で答える。
これまでのような男装ではすぐにマリオンだと分かってしまうだろう。
たとえ、庶民枠を受ける者達のような簡素な服装を纏ったとしても、相手は父や幼い頃から剣を教えてくれた騎士達なのである。
それなら、貴族女性の命ともいえる髪を全て剃り落とすと、マリオンは言った。
見せたいのは、覚悟。
マリオンは本気なのだ。
「それは……」
メルサは絶句する。
嫁ぐ前、メルサもマリオンと同じ公爵令嬢という立場であった。
髪を剃るということがどういうことか、剃り上げたその姿を、人の目に晒すことで社交界にどれだけの衝撃を与えるかも想像に難くない。
二度と、貴族社会では生きられなくなる。
「髪を剃るの……私は反対ですわ」
マリオンを応援すると言ったエマだったが、それはダメだと首を横に振る。
「っ! エマ様、私は騎士になれるのなら髪を剃ることくらいどうってことありません。髪だけではなく眉すら躊躇わずに剃り落とすくらいの覚悟はできているのです」
優しいエマが心配して反対する気持ちは、マリオンも理解できた。
髪を剃り上げた瞬間、公爵令嬢としてのマリオンは終わる。
嫁の貰い手が、本当の意味で皆無となるだろう。
貴族の女性の存在意義である結婚ができなくなる。
マリオンが髪を剃り上げれば、騎士になれたとしても、なれなかったとしても、その後は誰一人、助けてはくれなくなる。
そんな令嬢、誰も関わりたくはないのだから。
それでも、マリオンは騎士になりたいのだ。
「いえ、マリオン様。私が言いたいのは覚悟云々の問題ではなく、成功率の問題です」
「え?」
エマの言葉は優しさからではなく、もっとシビアなものだった。
「マリオン様のイケメンオーラが、髪を剃り落としたところで隠れるとは思えません。眉だってなければないで格好良くなりそうですし」
「……うーん、たしかに。それは、そう」
「ここにきて、この溢れ出るイケメンの存在感が徒となるとは」
ゲオルグとウィリアムがエマの指摘に同意する。
男装の麗人マリオンはイケメン過ぎるのだ。
「私が見せるのは、髪を剃り上げるほどの覚悟です。ここまですれば父だって反対することは……」
「リスクが大きすぎます」
マリオンの声をエマが遮る。
「反対しないだろうというのは推測でしかありません。マリオン様は、騎士になってもならなくてもこれから何十年も生きてゆかねばならないのですよ」
エマは、きっぱりと反対する。
若者の夢を応援するのが大人の役目だと思う一方で、無謀な若気の至りを止めるのも大人の役目なのだから。
老婆心だと思われようとも、言わずにはいられなかった。
「では、どうしろと言うのです!」
エマだけは味方になってくれると思っていたのに……と、マリオンは途方に暮れる。
騎士になる方法は二つしかないのだ。
「あの……まずは、女性騎士を目指すのはどうでしょうか?」
辺りが、シン……と静まったところで、ヨシュアが提案する。
「「「女性騎士……?」」」
三兄弟はそんなものがあるのかとヨシュアを見る。
女性の騎士なんて、王都で見たことがなかったのである。
だから、マリオンもこんなに悩んでいるのだろうにと。
「はい。騎士の食事や身の回りの世話をする女中達の事を、騎士団の中では女性騎士と呼んでいるようです。庶民枠の試験時に女性騎士の募集もあるので、一旦そちらを受けてみてはどうでしょうか。警護や治安維持、辺境への応援等の所謂騎士の仕事はできませんが、後方支援で騎士に関わることはできますから……」
「いや、あれは、私が求めるものではない」
ヨシュアの提案をマリオンは即座に断る。
女性騎士は騎士と名前がつくだけで、やっていることはメイドと変わらない。
女性騎士は庶民枠採用の騎士達の花嫁候補という側面も大きく、行き着く先がそれならば、はじめから騎士に嫁げばいいだけなのだ。
マリオンがやりたいのはそれではない。
「女性騎士の募集……ふむふむ。彼女達に紛れ込めばいけるかも? ヨシュア、もう少し詳しく教えてくれない?」
否定するマリオンの横でエマが立ち上がる。
「え、エマ様? わ、私は女性騎士は……」
「マリオン様、さっき、申請さえ通ればチャンスはあると言っていたでしょう? ようはマリオン様だと気づかれなければよいのです」
ニヤリ、とエマが悪い顔をする。
「エマ、お前またなんか企んでるな?」
「姉様……」
ゲオルグとウィリアムは右斜め上を左折する妹の発想力を知っている。
そして、それがどれだけ大きな騒動に繋がるかも。
「あら、何を心配しているの? 簡単なことよ。男装がダメなら、女装すれば良いのです。しかもとびきり可愛い女の子に」
マリオン様は元々女性ですから女装とは言わないかもしれませんが……そう言ってにっこりと笑うエマは、なんだかとっても楽しそうであった。
◆ ◆ ◆
「へぇ……また、面白いことになってますね?」
スチュワート家に急遽呼び出されたヨシュアが戻り、事情を聞いたカルロスがドカッとソファに腰掛ける。
「ん? でも……」
ヨシュアの抜けた分の書類仕事を押し付けられ、凝り固まった肩を揉み解しながら、カルロスはあることに気づく。
「さっさとアーバン様かゲオルグ様と結婚してスチュワート家に同意もらえば、マリオン様、推薦枠で騎士になれたのでは?」
結婚し、嫁に行けば所属家門は変わるのだ。
「女装やら、なんやら、そんなまどろっこしいことしないでも……」
「いや、今はだめだ」
ヨシュアがカルロスを睨む。
わざわざ貴族枠の選択肢を早々に消したのは、他でもないヨシュアである。
「スチュワート家の結婚というカードはまだ残しておかないと」
「へ? 何でですか?」
「そのカードは、僕とエマ様が結婚するための、自然な流れを作るのに必要になるかもしれないから」
「は?」
「とにかくまだ、その時ではない」
何が起こるか分からないスチュワート家の未来を予想するのは、ヨシュアでも困難である。
ヨシュアにとって、ゲオルグやウィリアム、アーバンの結婚など、どうでも良い。
ただ、使えるカードは残しておくに越したことはないのだ。
「可哀想に……」
カルロスは、スチュワート家の兄弟に同情する。
「カルロス、追加の仕事だ」
ヨシュアは、カルロスにメモを渡す。
「そろそろ、魔法使いにも働いてもらわないと」
「おや、こらまた儲かりそうなことで」
メモを見たカルロスは、さらなる商会の発展を確信した。




