失言。
誤字、脱字報告に感謝いたします。
「……なるほど、なんというか……父と妹が迷惑をかけて申し訳ない」
アーサーは、第二王子の護衛(夜勤)を終え、帰宅して早々、使用人から妹マリオンの家出騒動を聞かされることとなった。
とはいえ、妹が家出して行き着くところなぞ一つしかないと、夜勤明けのくたびれた身なりを整えつつ、訪問する旨を知らせるよう使用人を先んじて走らせたのが三十分ほど前のこと……。
「まさか、ベル家で訪問の連絡をしたのが私だけだったとは……」
アーサーがスチュワート家に着いた時、あまりにも門番が事前の連絡大変助かります! と、頭を下げながら連呼するのを不審に思い、出迎えに現れたウィリアムにどうしたのかと訊いてみれば……。
もう、頭を抱えるしかない。
家出して行くところも、仕える使用人もいなかったマリオンは百歩譲って仕方がないかもしれないが、後を追った父親に関しては何の申し開きもできそうにない。
アーサーは相も変わらず娘の事となると冷静さを失う父親に、どうしたものかと悩ましげなため息を吐く。
「あの……アーサー様。実は謝らねばならないことがあります」
ウィリアムは、客間へと案内しながら言葉を詰まらせる。
なんというか、スチュワート家側も大変気まずい状況なのである。
「えっ? ち、父上!?」
通された客間には、スチュワート一家とコーメイ(巨猫)に加え、アーサーの妹と父親がいた。
その異常なる光景に、アーサーは驚きの声を上げる。
「あの……あと、これも……ごめんなさい」
客間でアーサーを待ち受けるように、ゲオルグがこれまた気まずそうに、鉄の塊を差し出す。
「お? おっと? ……これは……? ん? まさ……か?」
ズシリと重い鉄の塊を受け取ったアーサーは、ハッと目を見開く。
色といい、重さといい覚えがあった。
しかしながら、アーサーの思う通りならば、原形を留めていないにもほどがあるのだが……。
「これ、騎士団長の鎧……。コーメイさんが上に乗ったせいかところどころ凹んでしまってて……どう頑張っても胴まわりの方が脱がせなくなっちゃって……。つまり……あの、無理やり引き千切るしかなくて……」
ゲオルグはしどろもどろに言い訳を述べた後、とどのつまり壊してごめんなさいと頭を下げる。
父の鎧……を?
「……引き……千切った?」
実は父のこの鎧、特別製である。
それはもう、とにかく頑丈に作られている特注の鎧だった。
他全てを無視して、頑丈さだけを最優先に作られたせいで、身に着けるにはあまりにも重い。
屈強な男の集まりである騎士団でさえも物議を醸した曰く付きの鎧なのだ。
騎士団の中でも、体格に恵まれた父しか着ることができない諸刃の鎧……。
頑丈に特化したそれを、ゲオルグ君? 君? 今、引き千切ったって言わなかった……?
「は、はは……」
アーサーは普通ならありえないという常識的な思いと、ゲオルグならやりかねないという謎の確信が同時に湧き上がり、思わず乾いた笑いが出る。
ズシリ……と、渡されたのは引き千切られた鎧のほんの一部だというに、アーサーの両の腕には相当な負荷がかかっている。
少しでも力を抜けば落としかねない。
「もちろん、こちらはスチュワート家が責任を持って弁償致します」
「にゃ~」
アーサーの表情を見て、メルサがフォローを入れる横で、コーメイが次はもっと丈夫なやつ作ったほうがいいにゃ〜と、騎士団の鎧の脆さを忠告するかように鳴いている。
猫のコーメイに、反省の色は見えない。
「ああ、いえ、鎧はまだ予備がありますので大丈夫です。それよりも父は……あの、生きて?」
アーサーは丁寧に弁償はいらないと断る。
頑丈な鎧は、今日この日まで壊れたことがなかったためにストックはまだまだある。
そんなことよりも、手にした引き千切られた鎧がどうでも良く思えるくらい、到底無視できようもない父の状態を、アーサーは訊かねばならなかった。
なぜならばアーサーの父親は、ピクリとすら動くことなくベッドに寝かされているのだから。
それはまるで、死体のようだった。
「いっ生きてますよ! アーサー様ったら嫌ですわ、もうっ。コーメイさんの例の猫ぷちで眠っているだけなのです」
眠れる客間の騎士団長のベッドの横で、甲斐甲斐しく世話をしている……と見せかけて、本能の赴くままにイケオジを堪能していたエマが、アーサーの言葉に、ガバっと顔を上げる。
「っ! ほら、あの、例の猫ぷちですよぉ……ほほほ」
こんなイケオジが、世界から消えるなんて大損害だわ、と言いかけたエマは、誤魔化すように笑う。
「ああ……例の、猫ぷち……」
アーサーは、課外授業で国王が猫ぷちされたのを見ていたため、例の、で理解し頷くもなんだか微妙な気持ちになる。
「あの、その、猫ぷちの後……コーメイさんが上に乗って毛づくろい始めちゃいまして、鎧がベコって凹んでしまって鎧はこの有様となってしまいましたが……コーメイさん曰く、中身には問題ないそうで……」
姉に説明させてはならないと、ウィリアムが割って入る。
が、微妙に言葉選びを間違っていた。
「中身って……」
厳格な父も、スチュワート家にかかれば鎧の中身扱いなのかとアーサーは複雑な表情を浮かべる。
「兄上……」
エマの隣に肩を落として座っていたマリオンが振り向き、どうしましょうかと兄を呼ぶ。
「まったく……いつかこうなるとは思っていたが……」
アーサーは、深いため息を溢す。
ここ数年、騎士になりたいマリオンと騎士にさせたくない父は殆ど顔を合わせていなかった。
とはいえ、マリオンも自分の立場をちゃんと分かっていたはずだった。
アーサーは、妹は数年をかけて己の欲求に折り合いをつけようと努力しているのだと思っていた。
父と妹は、感情的になると突拍子のない行動に出るところが似ている。
父の方も敢えて接触を避け、マリオンが大人になるのを待っていたような節がある。
剣の稽古も、学園を卒業するまでだと。
口では騎士になりたいと言うマリオンも、実際に公爵令嬢が騎士になるというのがどれほど非常識なことかは分かっているはず。
現実は甘くはない、諦めるしかない、と分かっていたはずだ。
それが、課外授業に参加したことで、マリオンは変わってしまった。
「………」
「………」
「あ、そろそろ起こしましょうか?」
無言で見つめ合うベル兄妹のただならぬ空気を感じたと見せかけて、眠り姫が如く眠り続けるイケオジ観察を充分に堪能したエマは、そろそろ動くところも見たくなり、二人に訊ねる。
「あ、ああ。お願いしてもいいかな?」
エマの欲望という名の気遣い? の声に、アーサーは、はっと我に返る。
とにかく、他人様の家でいつまでも迷惑をかけるわけにはいかない。
「コーメイさんっ! オジサマを起こしてあげて」
「うにゃ~」
エマの頼みにコーメイが慣れた前脚つきで騎士団長の顔にむにゅ〜っと、もっちもちの肉球を押し付ける。
「う、うう……。私は……一体……?」
寸前までピクリとも動かなかった騎士団長が、肉球のかほりを吸い、息を吹き返す。
「はぁ……スゴイ……動いても、イケオジ……」
「姉様、違う。今はそれどころじゃない」
「エマ……落ち着け、体裁を保て!」
かつて、王都を席巻したイケメンは、三十年の時を経たことでエマのストライクゾーンに入ってしまっていた。
心配になったウィリアムとゲオルグが小声で注意する。
突然抱きついたりはしないとは思うのだが、確信が持てないのが悲しい。
「父上、大丈夫ですか?」
ムクリとベッドから体を起こした騎士団長に、アーサーが声をかける。
「……アーサー? ここは?」
「あ、あのっ! ここはスチュワート家の客間です。! ……あー失礼ですが……どこまで覚えていますか?」
騎士団長に気づかれる前に、しれっとコーメイが客間から姿を消したのを見て、ウィリアムは慌てて現状把握を請け負う。
「ん? あー……マリオンが家出したことに気づいて……」
「はい」
「これは大変だと登城せずに、追いかけて……」
「お、おお……はい」
登城せずに、でアーサーが一瞬顔を顰めるのが見えたが、ウィリアムは続きを促す。
「まあ、マリオンは目立つから探すのは難しくなくてだな? スチュワート家へ続く道へと入ったと聞いて、その足でスチュワート家へ……」
「……行ったのですね?」
アーサーは、父の言葉にズキズキと痛み出したこめかみの辺りを解す。
その時に、数分のロスであろうとも一度屋敷に戻って訪問の連絡をしてくれれば良かったものを、と今更願っても遅いのだ。
「…………で? 門番と少々揉めて……? 気づいたらここにいる」
「なるほど……」
アーサー含め、その場にいた者全員が、騎士団長の言葉を聞いて目配せし、みんな共犯だと、阿吽の呼吸で頷いた。
「コホンッ……少々、興奮されたようですね」
そして、メルサが先陣をきった。
「え?」
当の騎士団長はキョトンと首を傾げる。
あの時、たしかに声を荒らげたりはしたが、伯爵夫人が言うような、倒れるほど興奮した記憶は騎士団長にはない。
「ち、父上は、いつまでも若いつもりなのかもしれませんがそろそろ気をつけてもらいませんと……」
父が余計なこと(猫ぷち)を思い出す前に、マリオンがメルサの意見に加勢し、
「きっとお疲れだったのです」
エマが優しく声をかける。
「そんなに疲れては……」
いなかったのだが……。
騎士団長も、手のひらを握ったり開いたりして握力を確かめる。
が、特に心配されるような体の不調はなかった。
「はうんっ!」
鎧を脱がされた騎士団長が上体を起こしたことで、彼の二の腕がエマの目の前に露わになっていた。
さらに、手の平を握ったり開いたりすることで、イケオジの上腕二頭筋の収縮活動を間近に見ることになった、エマが思わず変な声を上げる。
「姉様……ステイ」
「エマ……落ち着け」
さすがにないだろうが、騎士団長の筋肉を撫で回したりしたら大変だと、ウィリアムとゲオルグが小声で諌め、そっとエマの後ろに移動して肩に手を置く。
一番の問題は、騎士団は実力主義の団体であること。
一番強い者が騎士団長を務めるのが習わしなのだ。
ひとたび騎士団長が倒されたとなれば、全ての騎士団員が仇を討たんと押し寄せてくることもある。
もしくは、倒した者が次の騎士団長にならなくてはならないなんてことも……。
騎士団長を倒したのは、コーメイである。
騎士団長の記憶がしっかりしていた場合、下手したら騎士にゃん長が爆誕してしまうところであった。
「とにかく、マリオン。帰るぞ」
エマの奇声を気にする素振りもなく、軽く頭を振った後、騎士団長はマリオンを見た。
「……」
「マリオン!」
返事をしない娘に、語気が強くなる。
騎士団長は、なんやかんやあって、忘れそうになっていたが家出した娘を連れ戻しに来たのである。
「……父上が、私が騎士になることを認めてくれるのならば……帰ります」
マリオンの意思は固い。
「はぁ? まだ、わがままを言うつもりか? これまで好きにさせてきたではないか」
大きなため息を吐いて、騎士団長は認めることはできないと首を横に振る。
「私は、父上や兄上のように剣で王国を守りたいのです!」
ベッドの横にある椅子に座っていたマリオンが、立ち上がる。
「だめだ!」
「父上!」
「あの、お二人とも落ち着いて」
「マリオン様っ」
ゲオルグがマリオンと騎士団長の間に入り、エマがマリオンの手を引いて座らせる。
たとえ相手がイケオジであったとしても、エマが味方をするのはマリオンである。
マリオンはエマの大切な友達なのだ。
「マリオン、お前は女だ」
間に入ったゲオルグに、大丈夫だと手で制して騎士団長が抑えた声音で言い聞かせようとマリオンを見据える。
「ですが、父上は、日頃から騎士に必要なのは剣の腕だと仰っていたではありませんか!?」
今日、この時を諦めたら騎士になれないかもしれないとマリオンは食い下がる。
「だが、騎士は女ができる仕事ではない」
「父上! 私の剣が足りぬのであれば、諦めることもできます。ですが、反対するのが女だからだという理由では納得できません!」
マリオンの目が潤む。
いつもこうだった。
どれだけ剣の腕を磨いても、関係ないのだ。
父はマリオンが女だから騎士になるのを許してくれない。
マリオンがどれだけ自身の女らしさを排除しても無駄だった。
本当はドレスも、レースも、モコモコもモフモフもフワフワも、ピンク色も、マリオンは大好きだ。
ただ、それよりも剣が好きで、騎士という仕事に憧れただけ。
父が女を理由に反対するなら、それ以外の全てを諦められるほどマリオンは騎士になりたかったし、これ以上変えようがないほど夢のために努力してきた。
それでも、父の気持ちは変わらなかった。
「お前は、剣の稽古を許しているだけで、私がどれだけ譲歩しているのか分からないのか? 普通の令嬢は剣を持ったこともない者ばかりなのだぞ」
「それは普通の令嬢の父親が父上ではないからでしょう? 父上の背中を見て育てば、私でなくとも騎士を志す気持ちが芽生える筈です」
「……っ!」
騎士団長は顔を赤らめる。
ちょっと嬉しそうである。
「くぅ~……。照れるイケオジご馳走様です」
「姉様、黙って」
「エマ、ステイ」
近距離イケオジの照れ顔に、こっそりと破顔するエマを目敏く見つけた兄弟がうんざりとした様子で諌める。
「と、とにかく一旦帰りましょう」
夜勤明けで少々お疲れ顔のアーサーが父と妹を説得する。
「父上が、騎士になることを認めてくれたら帰ります」
「マリオンが騎士になることを諦めるなら帰る」
「っ父上!」
「駄目なものはだめだ!」
「ああ……」
頑固者同士の父と妹の終わらない争いに、アーサーは頭を抱える。
「ならば、家を出ます!」
「マリオン!!」
ベル家にいれば、どうしても騎士を見ることになる。
諦めた夢を目の前に見せつけられて暮らすなんて辛すぎた。
「騎士はお前が思っているほど良いものでないのだ! 最近は辺境での任務も増えている」
「分かっております! 課外授業で嫌というほど魔物の恐ろしさを知りました。それでも、私は騎士を目指したいのです!」
何を言っても食い下がるマリオンに、騎士団長が声を荒らげる。
「バカモノ! 毎年辺境でどれだけの騎士が負傷しているか分かっているのか!? 顔に傷でもできたらどうするのだ! 誰にも嫁にもらってもらえなくなるぞ!」
騎士団長が声を大にして娘に投げた言葉は、この世界の貴族社会を生きてきた父親としては、至極真っ当なものである。
一つ、問題があるとするならば、ここがスチュワート家の客間で、一家全員がこの客間に揃っていることだ。
騎士団長の隣には右頬に大きな傷痕をもつエマが、寄り添うように座っていた。
騎士団長の顔に傷でもできたら〜の言葉に、スチュワート家の客間がシーンと静まり返る。
「おとうさっ」
マリオンが怒りを抑えきれずに勢いよく立ち上がる。
騎士を目指すようになってから、兄を真似て父上と呼び方を変えていたが、咄嗟のことで幼い頃に呼んでいた呼称が口から出てしまう。
が、
そんなマリオンも、背後からのただならぬ冷気を感じて口をつぐむことになった。
マリオンの後ろには、マリオン以上に激おこのメルサが立っていた。
「ほう……ベル卿は、うちのエマが結婚できないと仰るのですか?」
孫絶対抱きたいマン、メルサのこの一言で部屋の温度が急激に下がった。
一家の中では比較的に常識があるとされるメルサだが、子供達の結婚の話になると豹変する。
「あ、いや……あの」
騎士団長の背に、ツゥーっと冷や汗が伝う。
死線をいくつか乗り越えてきた彼もメルサの前では言葉を失ってしまう。
長年、貴族社会に属している者は皆、マナーの鬼、ヒルダ・サリヴァン女史の冷ややかな視線に曝されると、体が勝手に萎縮するという条件反射が染み付いている。
メルサの放つ視線は、母親のヒルダそっくりだった。
「よくも、そんな……」
さらに、メルサの後ろに立つレオナルドからは抑えきれない怒気が溢れていた。
「俺がもう少しうまいことできれば……」
「僕の応急処置がもっとうまければ……」
怒りを露わにする両親とは逆に、ゲオルグとウィリアムは、シュンと頭を垂れる。
兄弟は局地的結界ハザードの後、ずっと何度も何度も繰り返しどうしても考えてしまうのだ。
あの日、あの時、あの場所で、もっとうまくできたのではないかと。
エマの傷は、スチュワート家の傷である。
本人がどう思っていようが関係ない。
エマの右頬には、消えない傷跡が残ってしまった。
「マーサ、ベル卿がお帰りよ」
静かだが、良く通る声でメルサがメイドを呼ぶ。
「あ……え……と……?」
「マリオン嬢は責任を持ってうちで預かります」
騎士団長がマリオンへと視線を動かしたのを目敏く見つけたメルサが先回りしてピシャリと答える。
「何を!?」
「ベル卿は、何よりも娘の嫁ぎ先がなくなることを危惧してらっしゃるみたいですが……」
「うっ」
騎士団長の失言の言葉尻をとって、メルサが笑う。
「ご存じないかもしれませんが、我が一族には未婚の男が三人ほど、いるのですよ。うちはいつでもマリオン嬢を迎え入れる準備はできています」
「「「え!?」」」
ゲオルグと、ウィリアムと、マリオンの声が重なる。
そんなの初耳だった。
「娘さんのことは、お任せくださいな?」
メルサは、にっこりと氷のような笑みを浮かべた。




