家出娘。
誤字、脱字報告に感謝いたします。
カサカサ♫
「うふふ、うっくん達ツヤツヤね!」
エマは休日の早朝から一匹ずつ丁寧にウデムシを磨くという至福の時を過ごしていた。
ツヤツヤに黒光りするお気入りの虫達(デカい)を見て、満足そうに笑っている。
「にゃーん!」
そこへ、縄張り(スチュワート家敷地内)巡回に出かけたはずのコーメイが戻ってきた。
「ん? どーしたの? コーメイさん」
エマは不思議そうに首を傾げる。
いくらコーメイの脚が速いとはいっても、こんなにすぐに巡回が終わるほど、スチュワート家の敷地は狭くない。
「にゃにゃにゃん」
「え? マリオン様が?」
コーメイ曰く、つい先ほどエマのお友達のマリオンがスチュワート邸を訪れており、門番が困っているらしい。
「あら、マリオン様。王都に戻られたのね!」
「にゃー!」
騎士に縁あるマリオンとアーサーは、課外授業を行った辺境スカイト領にて囚えた帝国軍の監視をする騎士達の手伝いをするために帰還が遅れていた。
そのマリオンが屋敷に来たということは、存外早く帰ってこれたようだ。
「にゃにゃ?」
「そうね。迎えに行きましょう」
お友達を迎えに行こうと、エマはコーメイの背によじ登る。
事前に連絡のない訪問は、この世界の貴族のマナーとしては非常識だが、そんなものを気にするエマではない。
「ふふ、王都のお友達が遊びに来るのはローちゃんに次いでニ人目ね」
エマのお友達である側妃ローズは、お忍びでスチュワート家にちょこちょこ遊びに来ていたが、学園の友達が来るのは初めてである。
エドワード王子と護衛のアーサーもスチュワート邸を訪れたことはあるが、あれは遊びに来たとはいえないし、ヨシュアはパレスからの付き合いであるためにこちらもカウント外である。
「にゃ!」
「じゃあ、うっくん達? また今度磨きに来るね!」
カサカサ!
(はーい!)
エマは朝日に反射してキラキラ光るウデムシ達に別れを告げ、スチュワート邸の入り口である大門へと向かった。
……カサ?
(あれ?)
エマの背中を見送っていた一匹のウデムシがあれ? と、何かに気づく。
カサカサ?
(どうした?)
カササ、カサカサ? カサカ?
(エマ様、肩にヴァイオレットパイセン乗せたままじゃなかった? マズくない?)
ウデムシを磨くのに使われたのはヴァイオレットの吐く特殊な糸である。
お陰でウデムシ達はツヤツヤのピカピカになったが、糸を提供してくれたヴァイオレットはエマの肩に乗ったままであった。
気づいたウデムシは心配だと、第一歩脚を開いたり閉じたりしたが、
カサカサ!
(ヴァイオレットパイセンなら、振り落とされることないから大丈夫だよ!)
隣にいたウデムシが問題ない、と第一歩脚を振り上げる。
カッサ!
(そっか!)
ウデムシは、隣のウデムシの意見に納得する。
よくよく考えてみればヴァイオレットパイセンはそんなにヤワじゃない。
カサカッサ!
(良かった!)
安心したウデムシは、他のウデムシ達と一緒に大好きな寝床である洞窟へと戻っていく。
残念ながら、ツッコミは不在であった。
……貴族令嬢がお友達の前に肩に巨大蜘蛛を乗せて現れるまで、あと二キロメートル。
◆ ◆ ◆
「えーと……」
毎度おなじみスチュワート家の門番であるエバンは、突然やって来たエマの友人だと言う美少年を前に困っていた。
だってそんな訪問の予定なんて、聞いていないのだから。
「あ、もしやお嬢ちゃんの伝え忘れかもしれないな?」
「いや、すまない。約束はしていないんだ」
うちのお嬢ちゃんなら有り得るな……と独りごちる門番に、美少年は爽やかに笑う。
ちらりと見えた白い歯が眩しい。
「なる……ほど?」
そんなイケメンの笑顔に絆されそうになるのを、門番はグッと堪える。
貴族の屋敷になんの連絡もなくいきなり訪れるなんてことは、相当親しい間柄でもない限りはあり得ない。
えーと? この美少年は……一体お嬢ちゃんのなんなんだ!?
門番は屋敷へ通して良いものか悩む。
なんだかとっても親しげな感じではある。
それに、何と言っても舞台役者もびっくりしてしまいそうなイケメンだ。
いや待て、ストーカーの可能性も捨てきれない。
いやいや、もしかしたら嫌がらせに来たのかもしれない。
門番は己が仕える家の令嬢の評判が一部の間ですこぶる良いことも、聖女関連での評判が一部の間ですこぶる悪いことも把握していた。
門番エバンは美少年の様子を窺いながら考える。
この超絶美少年が……ストーカーなんかするだろうか? と。
「あの、エマお嬢ちゃんのお友達なんですよね?」
「ああ、学園で同じ授業がいくつかあってね。とても仲良くしてもらっているよ」
嘘を言っているようには見えなかった。
だが、詐欺師とはそういうものだということも、長く生きた門番は知っている。
スチュワート家の門番は一見楽なようでいて、大変な仕事である。
最強のホームセキュリティを有した屋敷のお陰で、強盗の心配はほぼ皆無と言っていい。
その代わり、突然王族が来たり、商人が無茶振りしに来たり……マフィアの襲撃かと思ったら親戚だったりするのだ。
「マーリーオーンーさーまぁー!」
悩む門番の耳に、遠くから微かに声が聞こえて来た。
「あ、うわっ嬢ちゃん!」
門番は声の方へと視線を向けた瞬間に、止めようと叫んたが遅かった。
猫に乗って走って来たエマを見て、門番は青ざめる。
人が乗れるほどの猫なんて、人に見られて良いものではない。
「っな! エマ様!!」
案の定、爽やかな笑みを浮かべていた美少年の顔が酷く驚いたように歪む。
「あー……嬢ちゃん……」
エマと美少年とは面識があったようで、心配していたようなストーカーとかではなさそうだったが、門番は頭を抱える。
何でコーメイさんに乗って来ちゃうかなぁ……。
嬢ちゃんの笑顔を見るに、なかなかに親しい間柄のようだが、だからこそ猫に乗って現れてはいけない。
何やってんだよ嬢ちゃん……。
美少年、ドン引きじゃないか。
門番は、少年が一歩後ずさるのを見逃さなかった。
「よいしょっと! マリオン様、王都に帰ってきたのですね?」
門番の心配をよそに、エマはやや年寄りくさい掛け声とともに猫から降りて、美少年に挨拶する。
「あ、ああ。それよりも……エマ様……?」
美少年の声は上擦っている。
無理もない。
この世にこんなにでっかい猫がいるなんて思わないだろう。
しかも巷で、儚く(笑)、か弱く(笑)、病弱(笑)だと言われているうちの嬢ちゃんがそれに乗って現れるなんて、いくら美少年でも想像出来ようもない。
門番はこれからどう言い訳しようかと息を呑んで見守る。
「エマ様、肩! 肩に大きな蜘蛛が乗ってる!」
「え!? そっち!?」
美少年の声に、門番は思わず叫ぶ。
いや、もっと先にツッコむべき猫がいるだろう。
てか、嬢ちゃん! なんで肩にヴァイオレット乗せて来てるんだよ!
「え? ああ。そうだった!」
カサカサと己の肩の上でマリオンに挨拶している蜘蛛を見て、エマがうっかりしていたと照れる。
「マリオン様、この子はうちで飼っている蜘蛛のヴァイオレットです。ごめんなさい、突然だったからこんな格好でお出迎えして……」
エマは、いつも猫と遊ぶ時用に着ているツギハギだらけの服(最高級エマシルク製)での出迎えを謝罪する。
「え!? そっち!?」
門番は再び叫ぶ。
巨大な猫に乗って、巨大な蜘蛛を肩に乗せて現れて、謝るのそっちなの?
「あ、エバンおじいちゃん。マリオン様は学園のお友達なの。ほら、以前いらした王子の護衛のアーサー様の妹なのよ」
「あ、ああ。そう言われればよく似て……い……い……妹!?」
そういえば王子の後ろにいたイケメン騎士と顔が似ていると思った門番だったが、その後に続いた言葉に目を見開く。
妹……どっからどう見ても美少年なのに……妹?
「いや、急に来て申し訳ない。エバン? さんも困らせてしまったね。私はマリオン・ベルという」
「ベル家!!」
突然の四大公爵家の家名に、エバンの心臓がギュッと縮こまる。
「にゃーん?」
度重なるショックで門番の心臓が悲鳴を上げているのに気づいたコーメイが心配して擦り寄る。
「あわわ……コーメイさん……後、お願いしても良いかな?」
「にゃ?」
これ以上付き合っていたら、心臓が持たないと門番はコーメイに後を託す。
こういう時に、言うべき言葉をウィリアム坊ちゃんに教えてもらったことがあるが、門番は思い出せなかった。
それは坊ちゃん曰く、全てのツッコミを代弁できる便利で都合のいい言葉らしいが、聞き取りも難しくて、覚えようとしても直ぐに忘れてしまう難解な言葉だった。
何だったけな……。
そんなことを思いながら、三毛猫に寄りかかる門番の耳にさらなる追い打ちが美少年の口から紡がれてしまう。
「ごめん、エマ様。実は家出してきたんだ。一晩だけ、泊めてくれないか?」
四大公爵家の美少年の令嬢が家出したから、巨大な猫に乗ってきて、肩に巨大な蜘蛛を乗せた辺境伯爵家の令嬢に一晩泊めてくれ……だ……と?
何をどう、ツッコめば良いか分からないと、混乱に混乱を重ねた門番の頭の中で奇跡が起きる。
王国人の脳の構造上絶対に繋がることがないシナプスが誤作動を起こし、門番の口から出るはずのない言葉が勢い良く飛び出したのである。
そう、
『なんでやねん!』
……と。
それは、全てをまるっと突っ込める魔法の皇国語であった。
皆様、いつも田中家、転生する。を応援してくださりありがとうございます。
来年、1月4日。
コミカライズ田中家、転生する。6巻発売いたします!
ニャコムとヴァルソック爆誕巻でございます!
6巻は猫の出番が多くて癒やされますよ!
これからもよろしくお願いいたします。




