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光の隠れ里

 六つの人影が月明かりの中を歩いていく。草原を抜け、六人は再び森の中へと分け入っていく。探索者や荷馬車に踏み固められた道の両側には、背の高い木々が壁のようにそびえ立っていた。

 先頭はランタンを手にしたアベル、その後ろにリズ。そしてレナエルの隣に大剣の白外套と軽薄な口調の白外套がそれぞれ並び、最後尾ではアーリィが後方警戒にあたっている。


 大盾と突撃槍を持つ女性の名は〝リズ・ベル〟。そして黒髪と琥珀色の瞳をした少女は〝アーリィ・スティング〟と言うらしい。風牙を放つ弓の魔装具は、どうやらアーリィのものであるようだ。

 大剣を背負う男は〝ギリアム・フィルト〟。二メートルはあろうかという巨漢であり、性格も見た目の通りに豪快。そして、それらの事を聞いてもいないのにアベルに教えたのは〝トニス・コントラート〟。第一印象通りに軽薄な男……と最初は思ったが、アベルは彼に対する印象を改めた。どんなに気安くとも、彼もまたサンクションの一員であるのだ。

〝陽が落ちてから笑顔で近づいてくる者は信用するな〟という言葉がある。経験上、こういう手合いは言葉の裏にいくつもの思惑を潜ませている。トニスという男は、表情や物腰は柔らかいが、目だけはこちらの裏側を見透かそうとするかのように、常に光っている。


 暗い森を行く六人の言葉は少ない。トニスが口をつぐんでからというもの、時折上がる声は安全確認の言葉だけだ。暖かい日差しに包まれた楽しいピクニックとは程遠い。

 アベルはちらりと背後を見遣る。いつもは快活なレナエルも流石に黙り込み、静かに足を前に出すのみであった。

 テランス第二王子の死。それはレナエルにとって愛する者を失ったという事以上の意味合いを持つ。リンスティール王国はライエル第一王子派とテランス第二王子派の二つに割れている。そしてテランス第二王子が凶刃に倒れた今、ライエル王子の王位継承は決定的であり、次に起こるのはライエル派によるテランス派の粛清だ。

 ライエル王子は苛烈な武闘派であり、情けも容赦もない。リンスティールは血に染まり、その矛先はレナエルにも躊躇いなく向けられるだろう。反目する魔装具使いなど恐怖の対象でしかないからだ。その意思は彼女の矛であり盾であるサンクションを、彼女の不在に乗じて叩いた事からも明白であった。

このままレナエルが何の手立ても無くリンスティールに帰れば、行き着く先は柔らかなベッドでは無く――、死の臭いが染みついた絞首刑台である。

 レナエルは愛する兄を失っただけではない。帰る場所すらも、同時に失ったのだ。一寸先は闇。この世では、理不尽と不条理が仲良くダンスをしている。


 ふとアベルは道を逸れ、獣道に入り込む。リズは眉をしかめて足を止めるが、レナエルが頷くのを見て、しぶしぶといった様子でアベルの後に続いた。

「……おい待て。まさか、ここに入るのか」

 真っ暗な口を広げる洞窟の前で、堪らずにリズが声を上げる。

 洞窟の入り口には様々な動物の骨が散乱していた。中には大型魔獣の骨もある。洞窟の外に放り出されたそれらはいわば食事の後始末であり、洞窟は餌食になった者以上の大型魔獣の巣穴である、という事を示している。

「大丈夫だ。これは偽装だよ」

 アベルが言う。

「偽装……?」

「明らかな危険が潜んでいる場所に、自ら飛び込む奴は少ない。人も魔獣も、だ」

「確かに、あるのは骨ばかりで糞や足跡の類は見当たらないな。ま、それでも兄ちゃんの言うとおり、ここに入ろうなんて酔狂な奴は居ないだろうが」

 ギリアムが顎をさすりながら言う。そして洞窟の内部へ入り込むアベルに続き、レナエル達も洞窟の闇に混じる。


 洞窟の内部はひんやりとしており、荒々しい岩肌は、触れると仄かに濡れていた。

「陰気くせぇ洞窟だな」

「賑やかな洞窟と言うのも、それはそれで恐ろしいぞ」

 トニスの軽口にリズが応える。確かに洞窟が賑やかになる場合は、崩落するか主による晩餐が始まるかだ。後はせいぜい蝙蝠が騒ぐくらいか。なんにせよ、平穏であるに越したことは無い。

「このあたりか」

 不意にアベルが立ち止まり、ランタンの灯りを周囲にかざす。やがて岩壁の出っ張りに手を掛け、力を込めた。重い音を立てて岩壁に僅かな隙間が生まれ、リズやアーリィが驚きの声を上げる。果たして岩壁は引き戸のように開かれ、その先には隠し通路が口を開けていた。壁や天井は組み上げた木材で補強され、明らかに人の手が加えられている。

「手が込んでいるな。さながら秘密基地といった所か? 胸が躍るでは無いか」

 短く刈り込んだ頭を撫で上げながらギリアムが嬉しそうな声を上げる。その腕をリズが肘で突いた。愛する者を失い、自身も窮地に追いやられている主の隣で〝胸が躍る〟などとは不謹慎極まる、と言いたい様子だった。


 一行は細い隠し通路を歩いていく。いくつかの分かれ道をアベルは迷いなく進み、五つ目の分岐点を超えた辺りでアーリィが「水の音……」と呟いた。

「耳が良いんだな」

「私は狩猟民族の出ですからねぇ。視覚、嗅覚、聴覚、可愛さには少しばかり自信があります」

 アベルの言葉にアーリィは薄い胸を逸らして自慢げに鼻を鳴らす。アベルはアーリィに対して野性的というか動物的というか、どこか猫のような印象を抱いていた。しかしそれも狩猟民族の出身というならさもありなん。幼い頃から大自然の中に身を置き、狩るか狩られるかの生活をしていれば、どうしてもそのあり様は獣に寄るのだろう。最後の一つは無視した。


 アベルたちはやがて縁を金属で補強された、大きな木製の扉に行き着いた。アベルは迷いなく扉に手を掛け、リズたちは警戒して息をのむ。彼女らが次に口を開いた時、溢れ出たのは感嘆の溜息だった。 

 扉の向こうは光で満ち溢れていた。篝火の光がそこかしこで灯り、石造りの街並みを暖かく照らし出していた。

 街の周囲は切り立った岩山に囲われており、その剥き出しの山肌から細い滝が流れ出している。滝は階段のように積み上げられた石垣に落ち、その落差を利用していくつもの水車が回されていた。

「すっ――――ごぉぉい、ですねぇ……」

 惚けたように息をつき、アーリィが瞳を輝かせる。ギリアムやトニスはもちろん、張りつめた糸のようだったリズや、沈鬱な様子を見せていたレナエルまでもが幻想的な光景に見とれていた。

 暗い洞窟抜けた先にある、光の溢れる隠れ里。岩山に囲われた隔絶された街。流れ落ちる滝と、街中を流れる川の奏でる音色が、非現実的な光景に拍車をかける。


「動くな。あの世行きのチケットが欲しいってんなら、話は別だがな」

 唐突に声を掛けられ、レナエルたちは素早く身構える。声は少し離れた建物の二階から発せられていた。扉を見張る詰所であるのだろう。

「その声はトモキか。久しぶりだな」

 警戒するレナエルたちを背後に置き、アベルが気安い声を上げる。

「あぁ、久しぶりだ。しかし歓迎はできない。後ろの奴らはなんだ? お前、ここがどういった場所なのか、解っているよな」

 声の主は年若い青年であった。青年は金属の筒のような物を構え、その先端をアベルの背後――、レナエルたちに向けている。

 レナエルは眉を顰めた。あの筒が何なのかは解らない。解らないが――、危険だ。それはサンクションの面々も同様に感じたようで、各々の武器や手甲を前面に構えて防御姿勢を取っている。


「頼むトモキ。一晩で良い、俺たちをここで休ませてくれないか」

「笑えない冗談だ。そいつら、どこかの国の軍人だろう。土の下でなら、休ませてやっても良いが」

「それこそ笑えないな。お前の射撃の腕前でどうするって?」

「試してみるか?」

 二人の間に、触れれば切れそうなほどに緊迫した空気が走る。


 アベルとトモキは黙って睨みあう。その状況を、背後からトモキの頭をはたく軽妙な音が打ち砕いた。

「痛ぇっ!?」

「何が〝試してみるか?〟よ。カッコつけてんじゃないっての」

 唇を尖らせてトモキの声マネをしながら、一人の女性が現れた。長い黒髪を面倒そうに掻き上げ、アベルを見下ろす。

「珍しい顔だね。ヤクモさんは一緒じゃ……って、何で青い顔してんの?」

「いや、リンコ、お前……」

 声を詰まらせるアベルの視線の先には、腰を抜かしてへたり込むトニスの姿があった。足元の石畳には小さな穴が開き、微かに土煙が上がっている。頭をはたかれたトモキが誤って引き金を引いてしまった結果だった。

 リンコは「あ」と一言発し、錆びついた蝶番のようにギシギシと顔を背け、

「……ごめん、なさい」

 と呟いたのだった。




「で、この人たちは一体何者なの?」

 アベルたちはひとまず詰所に通された。やはり、そう簡単に街へは入れないようだ。

「おいアベル。このねーちゃん、もうさっきの事を無かった事にするつもりだぞ」

 どこか高圧的な態度を取るリンコ。その様子に三途の川を渡りかけたトニスが、アベルへ聞こえよがしに耳打ちをする。

「じ、事故だよ事故! 何さ、ちゃんと謝ったでしょ!?」

 赤らめた頬を膨らませてリンコが吠える。不器用な虚勢であった。

「悪いなトニス、こいつは昔からこんな感じなんだ」

「へー。ふーん。あ、そー。あれで謝ってたんだー」

「そーだそーだー。もっと反省しろー」

「あんたまで何言ってるの!? そもそも撃ったのはトモキでしょ!」


 胡坐をかいた身体を前後に揺らしながらトニスがリンコを囃し立て、悪乗りしたトモキが口を挟む。リンコは拳を握りしめ、悔しそうに歯を食いしばる。

「そう虐めてやるなよ……。というか、お前も中々だな、トニス。トモキは黙れ」

「何をじゃれ合っている」壁に背を預けたリズが声を上げる。「こちらが無礼をはたらいているのは承知している。しかし門前払いと言うのは納得できんな。こちらにおられるのは畏れ多くも――」

「リズ」レナエルの制止を受け、リズは口をつぐむ。「リンコさん……と仰いましたか。あなたがたの立場も、無理なお願いをしている事も承知で申し上げます。どうか私たちに一夜の宿をお与え下さいませんか」

 突然下手にでられ、リンコは戸惑う。

「そ、そうは言われても、私一人の判断じゃなぁ。扉の外の洞窟でなら、問題は無いと思うけれど」

「お前は姫様に野宿をしろと言うのか!?」

 背を浮かせたリズをギリアムが「まぁまぁ」となだめる。リンコは「姫……?」と呟くが、そういう愛称なのだろう、と勝手に納得した様子だった。


「ま、連れて来てしまった物は仕方ないね。アベルの知り合いみたいだし、私から顔役たちに話を通してみても構わないんだけれど、今はちょっと問題があってさ」

「問題?」

 首を傾げるアーリィに、トモキとリンコが応える。

「近頃、魔獣の縄張りが大きく変動している事は知っているな? バング・ウルフの群れも厄介だが、亜人の集団が丸ごとこちらに移動してきている。亜人王の姿も、直接確認したぜ」

「亜人はあれで割と知能が高いからね。万が一ここを嗅ぎ付けられたら問題だという事で、あれこれ対策を練っている真っ最中なの。平時でも難しいのに、そんな中でよそ者受け入れとなると……」

 二人は心底困った様子でそう言うが、それに対するアベルたちの反応は、実に気の抜けたものだった。


「なぁ、それって――」

「うむ。最初は不運を呪ったが、どうやらツキに見放されたという事では無いらしい」

「私の日頃の行いが良いからですよぉ。さぁさぁ、存分に感謝してください!」

 トニス、ギリアム、アーリィのやり取りを、トモキとリンコが不思議な物を見るように眺めている。


「なぁアベル。こいつらは何を言っているんだ」

 トモキがアベルに向かって言う。その言葉に応えるように、アベルは荷物袋の中からとある結晶体を取り出す。それは二つに割れた魔霊星の結晶だった。そこらの魔獣から採れる物より一回り以上大きい。そして、その魔霊星にトモキは見覚えがあった。眼を大きく見開き、息をのむ。

「っ――!? まさか、それは亜人王の」

 ニヤリと口端を歪め、アベルは魔霊星をトモキとリンコに向かって差し出す。

「宿代くらいには、なるかな?」


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