明日の予定は
「サリーちゃんのお尻頂戴」
「すみません。そういうのは無いんですよ」
「え? でもこの前──」
「はい。この前から無いんです」
イソトマのからかうような注文に、サリーがピシャリと答えていた。
「サリー。お客様にそういう言い方は?」
「ですけれど、無い物は仕方ありませんわ」
俺が少しだけ口を挟むが、サリーは態度を変えず、なんなら硬化させた。
その張り付けたような笑みには,俺も、注文したイソトマも苦笑いするほかない。
褒められた態度ではないが、悪いのはどちらかといえばこちらである。
サリーとフィルがカウンターの中に立つようになって、数日。
俺が思っていた以上に、二人は素早くこの店の雰囲気に馴染みはじめていた。
そつのない印象のあったフィルは、本当にそつなく。
やや面白みに欠ける印象は残るが、目立った欠点もなく、働いている。
……まぁ、あえて挙げるとすれば、まだ自分が酔うとどうなっていくか、という自覚が乏しいこと。
そして、自分の限界をまったく把握していないなどの不安はある。
一方のサリーも、まぁ、思った通りだろうか。
自分が興味のある分野に関しての会話、特に聞きに徹するのが異常に上手い。
その点に関しては、俺も見習わないといけないと思う程だ。
反面、作業的な面では、なんというか、大雑把だろうか。
良く言えば思い切りがよく、悪く言えば思いやりに欠ける。
この数日で、グラスを既に二個割ったと言えば、なんとなく分かるだろうか。
もちろん、形あるものはいつか壊れるのだし、バーにおけるグラスは消耗品である。
そうではあるのだが、雑に扱って良いわけでもない。
はっきりと叱るわけではないが、それとなく注意する程度の案件だった。
「ご注文するのであれば、【サリーズ・リップス】と呼んでいただけますか?」
「お、おう。じゃあそれで」
「はい! かしこまりましたわ!」
そのまま、イソトマはサリーの気迫に負けて注文を正していた。
本来ならば、お客様相手に勝つ必要はないと言うところだが、今回は大目に見る。
だって、【サリーズ・ヒップス】は、さすがにちょっと、可哀想だからな。
イソトマの前で少し面白がって付けたカクテル名だったのだが、この名前はサリーと、あとスイとライの反対によって変更を余儀なくされた。
年頃の(本当に年頃かは知らないが)女の子に対して、その仕打ちはいかがなものかと、特にスイがじとっとした目で訴えたのだ。
しがない雇われバーテンダーの俺は、その圧力には抗えず『ヒップス』の部分を『リップス』に変更した。
【サリーズ・ヒップス】改め【サリーズ・リップス】である。
……決して、尻みてえな口しやがって、というスラングにあやかった訳では無い。
「では総さん。お願い致します」
「了解」
そんなこんなで、俺はサリーからの声を受けて作業に取りかかった。
材料を取り出し、グラスに迅速に注いでいきながら、ふと視線を店に流してみた。
客入りは上々。忙しい時間を少し過ぎた頃合いだが、まだまだ店は賑わっている。
入って数日のサリーとフィルは、この広いカウンター内で、精一杯に動き回る。
彼らの今の仕事は、洗い物、注文を聞く、会話、そして雑務。
まだまだではあるが、ようやく少しくらいは店にプラスになってきたところか。
「お待たせ」
「はい!」
俺が出来上がったカクテルを渡すと、サリーは嬉々としてその一杯を持っていった。
ふう、と一息ついていると、フィルの方がお客さんとの会話で困っている様子だった。
「えーそれは、その……」
「なになに? なんかあるの? まさか答えにくいこととか? 変な趣味とか?」
「ち、違いますけど、ただ……」
「怪しい! えー!? なんで教えてくれないのー?」
これまた若い女性客に何かを聞かれて、答えられないで困っている様子だった。
俺はさりげなく、彼の方に近づいていき会話に混じる。
「ダメですよ。可愛いからってウチの大事な従業員をいじめちゃ」
「いじめてないよー! ただちょっと質問しただけだってば!」
俺がにこやかに入っていくと、女性は負い目のない笑顔で言う。
「本当ですか? フィルはあまりにもミスしないから、どうにかミスさせてやろうって暗躍している悪の秘密組織がいるとか聞いてますよ?」
「そんなのいないって! マスター過保護すぎ!」
俺が冗談めかして追求すると、女性もそれが分かって手を振りながら答える。
その後に、俺はさりげなくフィルに目で尋ねた。何を聞かれているのか、と。
「実は、明日初めての休日だって話で、その、休日は何をするのか、と」
「あぁ」
「そうそう! ただそれを聞いただけなの! 明日とかどうするのーって」
女性の悪気の無い言葉に、俺も少しだけ言葉を詰まらせる。
フィル、サリーの二人は明日、働き始めて初の休日となるのだ。
だが、フィルもサリーも、記憶喪失である。
記憶を失う前、彼らが何をしていたのかは分からない。そのため、いつも何をしているのかという質問には答えようがない。
そして、彼らはこの街のことも何も知らない。
だから、明日どうしようという計画もないのだろう。
つまり、答えられない質問をされて、フィルは何も言えずに困った。
その様子が、逆に怪しいと女性に変に追求されてしまっているのだ。
ふむ。
俺は少しだけ考えて、さらに冗談めかした雰囲気で言った。
「実は、フィルは明日僕とデートする約束なんですよ」
「えっ?」
「えーっ!?」
俺の言葉に、フィルは困惑し、女性は少しだけ興味深そうに笑う。
俺もまた、その状況に似つかわしい笑みを浮かべて、答える。
「その予定は二人だけの秘密だったので、フィルは言うに言えず辛い思いを……」
「いやいや、今思いっきりバラしてるから! マスターぺらぺら喋ってるから!」
「はっ!? これが誘導尋問!」
「誘導してないですから!」
俺のオーバーなリアクションに、女性はケラケラと笑い、フィルはまだ困惑していた。
ふむ、こういう冗談は、苦手かな。
俺は少しだけフィルにすまないと思いつつ、会話を締めにかかる。
「というわけで、残念ながらプライベートに関しては教えられないんですよ」
「えー。バーテンダーの秘密が一つ暴かれるかと思ったのに」
「残念。男は秘密を重ねるごとに、魅力が増すのです……これ一回言ってみたかったんですよね」
「台無し!」
そんな感じに適当に会話を切り上げ、俺は、困った笑みを浮かべて立っているフィルにだけ聞こえる声で、そっと言った。
「答えにくい質問は正直に答えなくてもいいからな。嘘でも冗談でも、相手が面白がって笑ってくれたら、嬉しくないか?」
「……そうですね」
俺の言葉に、フィルは考え込むように静かに答えた。
彼の性格からして、そういう感覚を覚えるのは、まだ先かもしれない。
「でも、相手と真剣に向き合えるのは、絶対長所になるから、そこは捨てなくていいからな。ただ、真面目な場面じゃなかったら流してもいい、ってだけで」
俺は言って、彼の頭をポンと叩いた。
そのあと、ふと面白がってフィルを誘ってみることにした。
「良い機会だし、どうだ? 明日本当にデートしてみるか?」
「……えぇ!? じょ、冗談ですよね?」
「いや、俺実はお前のことが」
「そ、総さん!?」
俺の、少しだけ真剣な誘いに、フィルは困惑をより一層強める。
その段階で、俺は途端に表情を崩して、盛大に笑ってみせた。
「悪い悪い、冗談だって」
「び、びっくりしました」
からかう側に回ってみると、フィルは本当に面白いなこれ。
そう思ってニヤニヤとしていると、
視界の端で、何故かスイが、こちらをじとっと見つめていた。
え? まさか聞こえたのか? 聞き耳でも立ててないと聞こえない距離じゃ──
思っていると、スイが先程のサリーのような張り付けた笑みで、こちらに近づいてくる。
そして、凍てつくような、温度の感じられない声音で言った。
「総。人の趣味にはとやかく言いたくないけれど、説明だけは聞かせてね?」
「じょ、冗談で……」
「聞かせてね?」
「はい、分かりました」
そんな彼女の圧力に、俺はふざけた冗談を言った事を少しだけ後悔した。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
すみません、突発的諸事情で時間が遅くなってしまいました。
なるべく安定させられるように努力致します。
※追記です。もしかしたら、この部分は大きく書き直すかもしれません。少し酔っているので、冷静になったら判断いたします。ご理解いただけると幸いです。




