【ブルー・ムーン】(2)
会場が呑まれていたのは、それほど長い時間ではなかった。
すぐに人はざわめき始め、口々に疑問の声を上げている。
だが、それを一つ一つ取り上げることもない。
『あれはなんだ?』
要約すると、それだけだった。
「すみません。運んで欲しいのですが」
「……え? あっ、すみません!」
俺が声をかけると、観客と同じように呆然としていた係の騎士が、速やかに動いた。
彼は盆に三杯のグラスを乗せると、それを審査員達の前へと差し出す。
審査員の三人は、ちらりとグラスを見た後に、俺へと視線を向けた。
「……これは、いったいなんなのかね?」
審査員の老人が俺に尋ねる。
さて、丁寧に説明しても良いが、今はその時間も惜しい。カクテルは早く飲むに限る。
「【ブルー・ムーン】という『カクテル』です。まずは一度、飲んでいただければと思います」
俺がそう声をかけると、老人と、三十くらいの男性は少しだけ尻込みをした。
自分たちがまったく知らない、薄紫色の液体だ。無理もない。
だが、それを恐れない人物が、一人だけいた。
「では、いただこう」
『アウランティアカ』のオーナー店長であるヘリコニアは、挑むように瞳を輝かせ、その手をグラスへと伸ばしたのだった。
────────
その薄紫色の液体が、なんなのか。
これが恐らくポーションだということ以外、ヘリコニアには分からない。
(いや、果たしてポーションと呼んでいいのだろうか)
ともすれば、それをポーションというカテゴリに入れることすら考えさせた。
確かにポーションではあるのだろう。
だが、目の前で自信に溢れた顔をしている青年が、言った言葉だ。
『カクテル』
この得体の知れない飲み物は、まさしくそう表するべきなのでは、ないだろうか。
「では、いただこう」
他の審査員たちが未だに尻込みしているなか、ヘリコニアは一番にグラスに手を伸ばした。
それは飽くなき好奇心だ。
目の前のものがなんなのか、自分の舌を通して理解したい。
その欲求が、体の内から溢れるのを止められなかった。
(色は薄い紫、香りは──スミレか?)
目の前まで持ってくれば、それは否が応でも香る。
妖艶という言葉では少し足りないほどの、魔性を感じる甘い香り。
自分がもし女性であったならば、それだけで虜になっていたかもしれない、そうヘリコニアは感じた。
そして、その液体を口に含む。
冷たく、そしてとろりと甘い味を、まず感じた。
見た目や香りに違わず、その風味は舌を捕らえて離さない。
だが決して甘ったるいわけではない。そうなりそうなところを、レモンの酸味に、爽やかな風のような『ジーニ』の辛さが中和する。
月の光のように掴みどころのない甘さが、穏やかに水面に映って風に波打つ。
そんな幻想的な風景が浮かぶ、妙味であった。
そう、この液体は、ポーションではなるべく消すべきといわれる『ジーニ』の味を、全面に押し出してきているのだ。
(なんという挑戦だ。定石の真逆を行く、味の強調だ)
恐ろしいのは、その調和だ。
スミレのポーションの甘さは、レモンとジーニに抑えられる。
しかし、レモンの弾けるような酸味は、同様にスミレとジーニに包まれ、
ジーニの抜けるような辛さは、スミレとレモンが滑らかに整える。
三つの味が、渾然一体となってまとまり、一つの完成系に変貌を遂げていた。
それも喉を越えれば、静かに収まっていく。
照らす月の下で踊っていた味たちが、静かに姿を消していく。
だが、その余韻は隠し切ることができない。
強烈なスミレの風味と、それを鮮やかに切るようなレモンの刺激が、ゆったりと口の中に影を残していた。
【ブルー・ムーン】という名前が示す、青白く穏やかな月を感じさせる味。
甘く、妖艶で、重い。それでいて華やかで、明るくて、ふわりと口の中を踊る味。
この一杯に込められた力は、ただの劣悪なポーションの域を遥かに越えている。
最低の材料で作られた、最高の一杯。
新しい世界を切り開くような、力のある一杯だ。
「……美味い」
ヘリコニアにして、その感想は揺らぐ事なく口から漏れていた。
(……だが、他の者はどうであろうか)
ヘリコニアは、ようやくグラスに手を伸ばし始めた他の審査員に目を向けた。
通常、ポーションは飲みやすければ飲みやすいほど、重宝される。
単純に、魔力欠乏症や、戦闘中に味を気にしている余裕がないというのはある。
だが、それ以前の問題として、飲みやすければ飲みやすいほど、万人向けだ。
味という個性は、時に人の感情を左右し、使用を躊躇わせる要因ともなる。
それがポーションでの常識だった。
ポーションの世界で『味がない』ことに損はない。だが『味がある』ことで損が生まれる可能性は出てくる。
味を付けるということは、その損を受容しつつ、『薬』としてではなく『飲み物』としてポーションを見る行為なのだ。
それはつまり『薬』としての『ポーション』しか考えていなかった人間にとって、
この素晴らしき一杯は『圏外』であるというのと、同義であった。
────────
俺の見ている前で、三人の審査員はそれぞれが杯を飲み干した。
だが、その表情は思っていた以上に、曇っている様子だった。
「…………」
三人ともが口を閉ざしている。
その困惑を、どう捉えるべきかは、難しいところだ。
「……これは、認められない」
直後、三人の中で一番歳の若い、中年の男が言った。
「これは、確かに飲み物ではある。ポーションとしての効果もあるだろう。だが、これを品評会で認めるわけにはいかない。これは我々が目指すべき道とは違う」
男ははっきりと言った。
想定内ではあるが、やはり言われて悔しくないわけがない。
だが、それを否定する言葉は、隣の老人から出た。
「何を言うか。この一杯は、道を拓くものだ。我々の凝り固まった概念に新しい風を吹き込むものだ。もともと品評会の精神は、革命を求めるものではなかったかね?」
「しかし! これは違う! 向かう方向が違えばそれは毒にもなります!」
「毒も少量ならば薬になる。逆もまた然りじゃ。お主が求める道とは違えど、新しい道を拓くきっかけには違いなかろう」
老人は穏やかに、しかし肯定的に『カクテル』を受け止めてくれた。
しかし、中年の男性はそれに尚も納得がいっていない様子だった。
「ヘリコニア殿はどうですか!? 『アウランティアカ』のオーナーでもあるあなたが、このような、あなたのポーションを否定するようなものを認められますか!?」
言われたヘリコニアは、中年の男の質問には答えず、俺に向かって尋ねた。
「ユウギリ君は、このポーションをどうしたいのかね? 君はいったい、どのような目的でこのポーションで出場したのかね?」
尋ねられ、俺は思った。
スイの言葉を借りるなら『より安価なポーションで最大の効果を、そして救われない人を少しでも減らしたい』と答えるところだ。
だが、それをヘリコニアは、知っているのではないだろうか。
だから、彼はスイにではなく、俺に尋ねたのではないか。
俺はいったい、今どんな目的でこの場に立っているのか、と。
「……自分は、はっきりとした将来を見据えて、この場に来たのではありません」
「ほう」
「ですが、それを作った時の気持ちであれば、答えられます」
正直に、口にした。
自分には、未だ生涯の目標など見えてはいない。
だから、見えている今のことを、言葉に変えた。
「これから飲んでもらう貴方達と、その先に興味を持って飲んでくれるかもしれない人々。その全てのお客様のために今できる最高の『カクテル』を作りたい。それだけでした」
俺の言葉は、果たしてどう取られるだろうか。
恐らくそれは、ポーションの理念とはかけ離れたものだろう。
効果でも、売り上げでもない。ただ『個人』のためのポーション。
それが『カクテル』だと、はっきりと言ったのだから。
「……会場に集まっている皆にも、私からの見解を告げたいと思う」
俺の言葉に答えず、ヘリコニアはその声を上げた。
会場の全ての人間が、その先を静かに待っている。
「まず、この場に現れたこの『ポーション』だが、私はこれから便宜的にこれを『カクテル』と呼ぼう。そして『ポーション』と『カクテル』は、全く異なる思想のものだ」
ヘリコニアは断言した。
『ポーション』と『カクテル』は考え方がまったく違うのだと。
「我々の作るポーションは、常に不特定多数に向けて作られる。この世界の全ての人間に受けるものを、常に目指している。しかし『カクテル』は別だ。目の前の個人に合った『最高』のものを……彼の『カクテル』は、そういう思想の元に生まれているようだ」
俺は決して否定の声を上げない。
それは当たり前のことだ。人が違えば好みは違う。全ての人に全く同じカクテルを作るバーテンダーはいない。
そしてそれは、恐らくポーションにはない考え方だ。
「そして聞いた話では『カクテル』は繊細で、寿命も短い。確実な技術と繊細な分量の調整、それをして生まれたこの驚くような効果も『十五分』程で消えてしまう。それは尚更に、我々の目指す『ポーション』とは違うものだ。それは誰もが分かることだろう」
観客からも否定の声は上がらない。
どれだけ効果の高い『ポーション』であっても、一から材料を混ぜ合わせていては、本当の緊急事態には使えない。
ポーションが、魔力の増強薬としても使われているのなら、その使い方は難しい。
「だが、それは言い換えれば既存の『ポーション』と共存が可能という意味でもある」
しかし、ヘリコニアは今までの論調を一転させて『カクテル』を評す。
「ポーションそのものに刺激を加え、ポーションそのものを混ぜ合わせる。それは蓄積がない分野だ。それを突き詰めた故の品が『カクテル』であるならば、その知識や技術は、必ず我々の『ポーション』へと繋がることだろう」
俺は思わず、地球での色々なボトルを思い出した。
カクテルでなくても、酒と酒を混ぜ合わせた酒は無数に存在している。そしてそれらは、カクテルの登場で駆逐されることはない。
むしろ、それらを使った新しいカクテルが生み出されるのが、世の常なのだ。
混ぜる技術と作る技術は、違うが故に決して喧嘩することはない。
「さて、様々な言葉を口にしたが、私は『カクテル』を否定するつもりは全く無い。そしてその最大の理由を、今告げようと思う」
ヘリコニアは、そこでニヤリと笑った。
今までの厳格な表情を緩めて、初めて素の自分を見せたようだった。
そんな彼が、少年のように無邪気に、その一言を告げる。
「先程の一杯は美味かった」
ヘリコニアの感想は、するりと俺の心に安堵として染み込んできた。
「今まで数多のポーションと酒を飲んできた私だが、あれほどの一杯を飲んだことはなかった。ユウギリ君、君の店では、確か『カクテル』を嗜好品として出しているのだったね?」
今度は答えられる質問だ。俺は営業スマイルを浮かべて言った。
「はい。私の店では、基本的に銅貨二枚で一杯のカクテルを提供しています」
「なるほど。あのような美味い飲み物が出てくる店が、この世界にある。私はそれを神に感謝せずにはいられない。興味を持ったものは、一度飲んでみる事を強くオススメする」
そして、ヘリコニアは最後に総括として、言ったのだった。
「『ホワイト・オーク』や我が『アウランティアカ』も、素晴らしい出来だった。百点のテストであれば、どちらにも百点を付けたい。だが、この『カクテル』には想像の上という意味で、百二十点を与えたい。それがヘリコニア・サンシの嘘偽らざる評価だ」
瞬間、会場の空気が一瞬静まり、そして爆発した。
ここまで発表を聞いていたが、ヘリコニアがここまで絶賛した品はなかった。
それほどの評価を、彼は俺たちに与えると言ったのだった。
『皆さん静まってください! これで講評は終わりです! どうかお静かに!』
係の騎士の声が、会場に響く。
俺は一度だけ、ヘリコニアの顔を見る。彼は穏やかに微笑みを浮かべていた。
そして、品評会は全ての発表を終えた。
残すプログラムは、最優秀賞の発表のみである。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
今日は二章完結まで二時間おきに四回投稿する予定です。
その二話目です。
四話で完結させるのに、少し詰め込み気味になっております。
次の更新は本日二十二時頃の予定ですので、よろしければご覧になってください。




