【A1】(1)
「また、眠れないの?」
ほとんど明かりのない店の中。
カウンターに座り、一人グラスを傾けていた俺に、声がかかった。
顔を向けるまでもない。その声の主は分かる。
「……スイこそ」
「……まぁね」
言いながら、スイは自然に俺の隣の席についた。
今日は『トニック』『ジンジャーエール』『コーラ』という、三つの炭酸飲料が完成してからおよそ一ヶ月。
そして、明日はポーション品評会の本番だった。
今日は準備もあって、色々とバタバタしてしまった。
材料や機材に関しては、チェックをしてもらう分を会場に送ってある。この品評会の為に、イベリスにはまた一つ、小さめの冷凍庫と冷蔵庫を作って貰うことになった。
とはいえ、それはこの先の役に立たないわけじゃない。品評会が終わったら、少し手狭になってきていた庫内の中身を、ある程度そちらに避難させてもらおう。
会場はここからはそれなりに遠い。全力で走って一時間ほどだろうか。
ここは比較的街の外れにあって、会場は方角が反対の外れのほうだ。領主様の屋敷──いや別荘だろうか──もその辺りにあるらしい。
会場にはなるべく広い空間を使うようで、当日はそれなりに観客も入るのだとか。
品評会というのも、ポーションで競い合うだけではない。
それに付随して、自分の店のブースを出店して、製品を宣伝することもできるようだ。
俺とスイはそれを知らなかったので、その準備はしていない。大会中に誰がその出張店舗を回すのかという意味で、考える必要もないのではあるが。
いずれにせよ、俺たちは己の技術一つで、本選への出場を決めた。
そして、大勢の観客と、舌の肥えた審査員の前で、その腕を見せるのだ。
緊張しないわけがなかった。
「総。今日は何を飲んでるの?」
「……【ホワイト・レディ】」
俺の答えに、スイが呆れたような、心配したような表情を見せた。
俺は言い訳するように、自分から言葉を重ねてしまう。
「頭では分かってるさ。もう出来る限りのことはやったって。だけど、いつまでたっても不安は消えない。もっと上がある、もっと出来ることがある、どこまで行っても満足なんてできない。そう思ってしまう」
だから、俺は悩む。
振りのタイミングは、強さは、材料の比率は、順番は、
氷の選び方は、大きさは、時間は、スピードは、
もしかしたら、今の俺が思う最高より、もっと良いものがあるのではないか。
一度その考えに取り憑かれると、いつまでも新しいものを試してみたくなる。
だから前日の夜でさえ、俺は一人、シェイカーを振っていた。
「……総、気持ちは分かる」
先程浮かべたままの、複雑な暗い表情でスイは言った。
「私だって、総が来る前は悩んでた。でも、それじゃ前には進まなかった。だから」
「…………だから?」
「それで悩むのは後回しにして、注文」
俺は少しだけ、マイペースな少女に苦笑いしながら、応える。
「かしこまりました。これと同じものですね」
「ううん、違う」
「え?」
だが、その否定の言葉に虚をつかれた。
俺のぽかんとした表情がお気に召したのか、スイは少しだけクスリと声を上げ、それから言葉を重ねた。
「まずは【ジン・ライム】を二杯ね」
ふわりと、優しく包み込むような声だった。
俺はそれだけで、彼女が何を言わんとしているのか分かった。
俺は「かしこまりました」とだけ告げると、カウンターの中に急いで入り、準備をする。
あの日、あの時と同じ『二杯』を作るために。
「乾杯」
「乾杯」
俺たちは、ロックグラスと言われるような、口の広く背の低いグラスを打ちつけあった。
そして、どちらともなく、それを一気に飲み干した。
喉と言わず、胃といわず、熱烈な液体の流れに体は熱くなった。
その後には、口の中に残る後味と同じように、スッキリとした気持ちがあった。
「……悪いな。心配かけて」
「お互い様。それで総、悪いんだけどもう一杯お願い」
「ん? どんなだ?」
俺の問いかけに、スイはふと思いに耽る。
そして、少しだけ面白そうな表情を浮かべて、言った。
「総に任せる。『一番のカクテル』を作って」
「……一番」
かしこまりました、と事務的に頭を下げつつ、頭の中には一つのカクテルが浮かんでいた。
【X.Y.Z】
もう後がないとか、もうおしまいとか、ネガティブな意味で使われることもあるカクテル。だが、これについては、もう一つ伝わっている意味が一番好きだ。
『これ以上はない、最高のカクテル』という意味が。
「ただし」
俺がそう心の中で決めていたとき、スイが更に一つの注文を出した。
「『ジーニ属性』で作って。そうじゃないと、総は簡単に作っちゃいそう」
その一言で、俺の中で【X.Y.Z】の線は消えた。
なぜならば【X.Y.Z】は『ラム』ベースのカクテルなのだ。この場合のご指定にはそぐわない。
だが、そうなると俺の頭にはさらに迷いが浮かぶ。
この状態で、一体なにを──
「あっ」
否定の言葉が心の中で浮かびかけたとき、一つだけ浮かんだものがあった。
『一番』の異名を持つカクテルに『アレ』があったじゃないか。
材料は少し違ってしまうから、そのものとは言えない。
しかし、そういったところで変化を恐れては、カクテルの発展はない。
ましてやバーテンダーは、自由で、流動的でなければならない。不足こそが、新たな考えを生み出すのだ。
アレンジということで良い。その後に、いつか本物が作れれば、なお良い。
「それでは、作らせていただきます」
言いながら、俺は材料を取り出す。
取り出したのは『ジン』──『ジーニポーション』と『コアントロー』。
そして『レモン』である。
同時に、いつもシェイクで使っているグラスを冷凍庫に入れて、引き換えに氷を用意する。
俺が取り出した材料を見て、スイは今度こそ、はっきりと呆れた顔を見せた。
「そこで【ホワイト・レディ】だなんて、すごい自信」
「違いますよ」
「え? でも……」
「はい。材料は一緒ですが、これから作るのは別のものです」
俺はにこやかに笑みを浮かべたまま、そのカクテルの作製に入る。
まずは、『ジーニ』を大胆に40mlシェイカーに注ぎ込んだ。
【ホワイト・レディ】は30mlであるから、これだけでパンチが大分変わる。
だがそれだけではない、更に『コアントロー』を20ml注ぎ込む。
この段階で、シェイカーの中身は60mlとなってしまった。
厳密なルールがあるわけではないが、おおよその『カクテル』の場合。
シェイカーに入れる材料は、ほぼ60mlである。
それはグラスに合わせた容量ということもあると思う。
そういった制限がより想像をシビアにして、味の進化を促すのだ。
だが、このカクテルは60mlのここでは終わらない。
最後に、細心の注意を払いながら、レモンの果汁を1dash──ほんの数滴だけ落とし込んだ。
これで材料は全て揃った。
バースプーンで軽く混ぜて味を見る。
甘く華やかで、強烈な力を秘めた液体がそこにあった。
俺は躊躇うことなく、シェイカーへと氷を詰めていき、静かに蓋をした。
ココンと軽くまな板に打ちつけ、ゆっくりとシェイクへと移っていく。
あまりシェイク中に周りは見ない。
手の中に存在する、新しい世界に全神経を注ぐ。
シェイカーの中で踊る内容物は、重心を散々に移動させながら、それでも俺の意志通りに動く。
上下に、左右に、素早く八の字を描くように、少し重いカランとした音を立てながら。
そしてゆっくりとシェイクを終え、俺はグラスを冷凍庫から取り出した。
「失礼します」
一度シェイカーをカウンターに置き、空いた手を使って【ジン・ライム】の入っていたグラスと、新しいグラスを入れ替える。
その後に、入れ替えたグラスに向かって、蓋を開けたシェイカーを傾けてやった。
元々のレシピでは、ここで透き通る薄黄色の液体が注がれるわけだが、今のそれは綺麗な薄白色であった。
仄かに香る柑橘が、普段よりも華やかに感じた。
「お待たせしました。【A1】……アレンジです」
俺の最近の楽しみの一つと言えば、
新しい『カクテル』を見たときの、スイの輝く瞳を観察することであった。
※0826 誤字修正しました。




