大会の裏で
あらかたのメモを取り終わったころには、夕刻に近づいていた。
だがその成果はあった。
俺の頭には、この世界で確認されている『リキュール』系植物の情報がバッチリとインプットされた。
それ以外の、名前を聞いたことが無い植物は、少し迷う。
新しい味であるのならば、試してみるのもやぶさかではない。
だが、そんなことを言っていたらますます『リキュール』が遠のきそうだ。
悩んだが、結論として機会があったら避けない、ということにしておく。
「さて、今からどうするか。遅くなるかもとは言ったけど、どこか飲みに行ってみるか?」
図書館を出て、俺は腰に下げた財布を覗き込みつつ、独り言を零した。
そう。これまでなぁなぁにしていた給金だが、ベルガモが働くのと一緒に、俺の給金も正式に決定した。故に俺は今、金を持っているのだ。
俺の給金は、一日銀貨一枚と、その日のカクテルの売り上げの十分の一。
換算すると『五千円の日給と売り上げの十%の歩合』というのが、俺の給料だ。
どちらかというと、高い気がする。いや、俺の感覚でいうと、かなり高い。
そも、バーテンダーの給料体系は、店ごとに異なっているのでなんとも言えない。
だが、準備から片付けまでを一人でこなして。月に二十ちょっと働いて。
二十万いかない、くらいが俺の給料だった。
さらにこれは、保険料などを考慮に入れていない額であることも付け加えておきたい。
と、俺の給料の話などはどうでもいい。
重要なのは、俺には今自由に使える金があって、それで何をしようかという所だ。
「あ、あれは」
視界の端に見知った人間が映った。
黒い髪の毛を一本に縛り、動き易そうな軽鎧を身につけた美女。
ヴィオラだ。
だが、様子が少しおかしい。
いつもの自信に溢れた凛とした姿ではなく、やや俯き気味である。
歩調もゆっくりで、歩幅は狭い。なにやら、落ち込んでいるようにも見えた。
「……おーい! ヴィオラ!」
俺は少し迷ったが声をかけた。
すると、俺の声に反応してヴィオラはこちらを向いた。
瞬間、先程までの姿勢が嘘のように、キリッとした表情で俺に応えた。
「やあ、総じゃないか。どうだ? ベルガモの様子は? 店に何か変化は?」
「良くやってくれてるよ。もともと手先は器用みたいだし、俺たちへの負い目からか、こっちが心配するくらい一生懸命だ。店の様子も思ったよりも荒れてない。ベルガモがオヤジさんに怒鳴られてる姿が見えるからか、むしろ行儀良くなったくらいだ」
「……そうか。執行猶予は甘いのではと思っていたが、変わりなくて何よりだ」
俺の返事を聞き、やや安堵する様子のヴィオラ。
その顔には、やはり先程の俯いた姿が欠片も見えない。
だが、さっきのを幻だと思うには、俺の目にはっきりと残りすぎていた。
「ところで、ヴィオラはこの先の予定とかあるのか?」
「予定か? いや、その、今はまぁ、見回りをしていただけだが」
「騎士団の仕事でか?」
「いや、自主的にだ」
自主的に、ということは今日の仕事はもう終わったと考えても良さそうだ。
じゃあ、今の時間は空いていると言っても良いのだろう。
「じゃあさ、どこかで晩飯でも食べないか?」
「なに? 私とか?」
「ああ。今日は休みでさ、どうせなら外で食べるのも悪くないと思ってたんだ。ヴィオラだったら、美味い店とか知ってるだろ?」
俺の言葉に、ヴィオラは逡巡する。
もしかしたら、夕食の予定はもうあるのかもしれない。
騎士という職業は良く知らないが、家柄もそこまで悪くはないのだろうし。
「良いだろう。私も、少し飲みたい気分だったしな」
だが、ヴィオラは顔を上げてすっとした笑みを見せた。
俺は心の中で少し安堵しつつ、にっと笑い返す。
「良かった。じゃあ、オススメのところに連れて行ってくれよ」
「ああ……そうだな、この前、団のみなと行ったんだが、串焼きはどうだ? 男ならば、そういったものを好むだろう?」
「串焼きか。良いな! よし、そこにしよう!」
ヴィオラがわざわざ俺の好みを探って提案してくれたので、俺はそこに乗る。
そして、少しだけ言葉を交わしながら、俺とヴィオラはその串焼きの店に向かった。
「それでだなぁ! その時スイと来たら、私を囮に使ってモンスターを集めやがってなぁ! しれっとした顔で範囲魔法をぶっ放したんだぞ! 危うく私に当たるところで、間一髪避けたんだ! その後に文句を言ったら、なんて言ったと思う!?」
「えっと『ヴィオラなら避けると信じてた』とか?」
「違う! 『ヴィオラなら当たっても死なないと思った』と言ったんだぞあいつ!」
串焼きを食べながら、この世界の酒の一つ、エール(発泡酒の一種)を飲んでいると、ヴィオラは次第にヒートアップしていった。
串焼き屋は、思ったよりもこぢんまりとした店だった。店の奥で店主が焼いた串が注文すると運ばれてくる。
恐らく豚肉だろう。塩と胡椒で豪快に味付けされたそれを食べながら、俺とヴィオラはグイグイと酒を頼んでいた。
最初はボソボソと周りの小さな話をしていたのに、いつの間にか、俺はスイの昔話を盛大に聞かされている。
積もる話というか、積もる恨みはあるようだ。
「他にも色々あってなぁ」
「はは、スイの話になると饒舌になるな、ヴィオラは」
「……その評価は、あまり嬉しくないぞ」
俺が素直な感想を述べると、ヴィオラは少しだけ口をすぼめた。
「ところで、ヴィオラ」
「なんだ?」
「スイじゃなくて、自分の話はないのか?」
「……自分の?」
俺のストレートな物言いに、ヴィオラはややきょとんとする。
少し言葉を変えて、それと悟られないように聞いてみる。
「騎士団のほうの仕事とかさ。俺はあんまり知らないから、良かったら聞かせてくれないか?」
「ああ。なるほど、どんな事が聞きたいんだ?」
「そうだな。この前の『領主のご息女』の護衛任務とか、どんな感じなんだ?」
それは、以前ヴィオラが口をつぐんだ事柄だった。
そして、俺の信条として、聞かれたくないことを無闇に聞くのはよしとはしていない。
だが、気になってしまったのだ。
なんとなく、それと先程のヴィオラの落ち込んだ様子が、関係があるような気がした。
「……別に。何もないさ。盗賊や魔物に襲われたわけでもなく。ただ……近くで待機していただけ。それくらいだ」
「それだけなのか?」
「うむ。まぁ……お嬢様の方は体が弱くてな、あまり外にお出にならない。護衛の仕事もそう多くないということだ」
それから、ヴィオラに少しだけ『領主の娘』の話を聞いた。
断片的ではあったが、少しだけ人柄が見えた気がした。
優しくて、細やかで、だが、どこか芯が強い。
そんな力強い、意志を持った少女に思えた。
ヴィオラにとっては多少気安い仲なのか、あまり褒め称えるようなことはなかったが。
「……総。君は、違う世界から来たのだったな」
そんな話の後に、ヴィオラは意味深にボソリと尋ねた
「ああ。地球の日本ってところからな」
「……そこでは、その、結婚相手というのは、どう決めるものだったのだ?」
「……そう来るか」
俺は、彼女が言わんとしていることを、なんとなく察した気がした。
以前彼女が言っていた。『領主は、子供の気持ちをあまり考えていない』という発言。
そして今の発言。
繋がる答えは、一つだろう。
「俺の所では、まぁ、色々と残ってる風習はあるけど。基本的には自由恋愛の末、好き合った者同士が、結婚って形が一般的かな。親に決められた相手とかじゃ、なくてな」
「……そうなのか。どこの国であっても、民は普通そうなのかもしれないな」
ヴィオラは、ふっと寂しげに笑みを浮かべて、零した。
「これは独り言だ。領主様の一人娘──セラロイ様に、求婚している家がいくつかあってな。領主様の出した条件は『次のポーション品評会で優秀な成績を収めた暁には』ということらしい」
ポーション品評会。
こんな所で、その単語が出てくることになるとは。
そうなるとこの大会には、ポーション屋だけでなく貴族の思惑も絡んでいるということなのか。
直接ポーション屋を運営しているのか、後援という形なのかは分からない。だが、どうにもそういった連中が関係している様子だ。
「そうは言っても、相手は名門揃いだ。これはあくまでも、結婚前に箔を付けろというだけの話だろう」
「……それで、ヴィオラは落ち込んで?」
「……セラロイ様は、結婚を望んではいない。だが私には、どうすることもできない」
ヴィオラのその顔は、かなり色濃い諦めを感じさせた。
だからというわけではない。でも、俺は一つだけ尋ねてみた。
「……例えば、これも独り言なんだが。そんな家を差し置いて、全く無名の『ポーション屋』が優秀な成績を収めちまったら、どうなるんだ?」
「……馬鹿な独り言だな。そうなったら、流石の領主様も考え直すかもしれないな」
そうだろう。優秀な成績を収めるべき大会で、ぽっと出のポーション屋にかっさらわれたとあれば、箔どころか泥が付きかねない。
そんな状況で、縁談を進めるのは、相手側も気分が良くはないだろう。
俺は、その答えを受けて、にっと笑って立ち上がった。
突然の俺の行動に、ヴィオラは少し目を丸くした。
「俺は元々、勝つつもりでいた。『スミレのポーション』の話は、聞かないといけないしな」
そう。今日調べて分かったことの一つにこういうものがある。
『クレーム・ド』という冠詞が付くようなリキュールは、魔草として存在していない。
ということは、やはり果実系のリキュールを手に入れるには、その秘密を探る必要があるのだ。
だから、俺はこの大会で真剣に上に立つつもりになっていた。
「だけど、今日話を聞けて、勝つ理由が一つ増えた」
「……総。本気なのか?」
「当たり前だ。バーテンダーは嘘吐かないぜ」
たまにしか。
そう心の中で付け足した。
果たしてヴィオラは、ふと困ったように笑う。
頑張れとも、頑張るなとも言わなかった。
ポーション品評会の予選は、数日後に迫っていた。
余談だが、この後に家に帰ると、スイが目を鋭くしてどこに居たのかと尋ねてきた。
ヴィオラと夕食を共にしていたと告げると、そこから急にソワソワと挙動不審になる。
なんの話をしていたのかと頻繁に尋ねてくるが、俺はあえて何も言わなかった。
俺に知られたくない過去がたくさんあったから、言ったら恥ずかしいだろうと思って。




