【バラライカ】
「ヴィオラ! 任せる! 俺は少しでも壁を張る!」
「了解!」
相手のテリトリーに踏み込んだ瞬間、龍草からは先程と同じように、強烈なツルが伸びる。
空気を切り裂くようなスピードで、真っ直ぐに、俺やスイ──後衛に向かってきた。
それを前線に出たヴィオラが弾き、切り裂き、そしていなす。
だが、それにも限界は来るだろう。俺は準備しておいた銃を構える。
「基本属性『サラム45ml』、付加属性『ライム1/6』、系統『ビルド』、マテリアル『コーラ』アップ」
彼女を援護するように、俺は即座に宣言した。
土地的に不利な状態であっても、手の中の銃はそれに負けじと、強く唸る。
「【キューバ・リブレ】!」
再び俺たちの前に炎の壁が広がる。一人で撃ったものだから、先程の壁に比べれば、貧弱である。
しかしそれでも、強い魔法耐性を持つという龍草のツルを、わずかにひるませる程度の効果はある。
ヴィオラの負担が目に見えて減った。
「スイ!」
俺は、スイに声をかける。
彼女は射程に入ってから、精神を統一するように目を閉じていた。
しっとりと地面に足をつけ、この世界と同化してしまいそうだ。
そんな感想が、俺の頭をよぎったとき。
彼女はカッと目を見開く。
真っ直ぐに敵を見据えつつ、その詠唱を始めた。
《風の魔素よ。変化を司る精霊よ》
風が起こった。
彼女の中で、増強され、増幅された力。
元々の素質に加えて、三重のポーションで強化された、強大な『風の魔力』が、
体の中だけに留まらず、その周囲にまで、影響を与えているのだ。
《蒼穹の担い手、虚空来たりて。其を穿て、烈塵の嵐、覇道を裂きし翼》
これまでに比べて、長い詠唱だ。
嵐のように巻き起こる風が、その威力の高さを物語る。
その風に煽られるように、俺が張った【キューバ・リブレ】も威力を増し、前方で戦っているヴィオラに迫るツルも、その勢いを減じている。
それくらい、秘められた魔力が、強大だ。
詠唱は最後の小節に入った。
《祝福は音に響き、目覚めるは空の夢、かの者全てを貫く烈風の刃たれ》
その言葉を詠じ切ったとき、空気は途端に暴れるのを止めた。
それまで荒れ狂っていた魔力が、一点に集中した。
猛威を振るう台風の中、ぽっと目に入ったかのような静けさ。
それだけで、今まで起こっていた現象が夢幻のように感じる。
「走れ!」
そうやって惚けていた俺を、ヴィオラの言葉が貫いた。
ぼけていた頭に、ようやく次の行動が浮かび上がる。
俺は弾かれるように、龍草に向かって全力で走った。
『ギィィイシアアア!』
無防備に向かってくる俺に腹を立てたのか。
龍草は狙いをスイから俺に変え、そのツルを伸ばす。
俺は、避けない。
このまま進んでいけば、
ほんの一秒にも満たない時間で、俺はツルに刺し貫かれるだろう。
だが、そんな恐怖を、意志の力でねじ伏せる。
背後から来る、スイの言葉を、信じた。
「《ストームヘンジ・ボルト》!」
俺の目の前まで来ていたツルが、風の矢に撃ち落とされた。
その風は、ツルを地面に縫い付け、動きを封じる。
俺は更に進む。沈み込む足を、もどかしく前に出す。
自分に向かってくるツルが、一本増え、二本増え、数え切れないほどに増加して行く。
それぞれが意志を持っているように、攻撃、妨害、捕縛と様々なアクションを起こす。
そのことごとくを、空から舞い降りる風の矢が、撃ち落とす。
敵の攻撃は、決して俺に届かない。
一歩進むたびに、暴風のような攻撃と、それを穿つ守りの矢。
これほど、心臓がバクバクと言っているのに、頭が狂いそうなほど怖いのに。
それでも、安心して進むことができるのが、不思議で仕方がない。
(届いた!)
ここに辿り着くのに、果たして何秒経った?
俺はついに、魔物の目の前、
『コアントロー』に手が届くところまで走り切って、足を止めた。
メジャーカップを用意している暇はないだろう。
ポーチから、四発の弾丸を取り出して唱えた。
《生命の波、古の意図、我定めるは現世の姿なり》
俺の手の中で、それらは広がる。
一つはシェイカーに、
一つは氷に、
一つは15mlのレモン果汁に、
そして一つは30mlの『ウォッカ』に。
既に計っておいた材料が、舞うようにシェイカーに吸い込まれる。
だが、これでは足りない。
目の前の実を一つ、もぎ取る。
トマトのように、手で潰せそうな程度には柔らかい。
聞いていた通りだ。
俺はそれを握りつぶし、目と感覚だけを頼りに、果汁を注いだ。
とろりと粘性を感じさせる果汁が、手の隙間から零れ落ちる。
開いた香りが、鼻まで届いた。
その、甘ったるく、そして爽やかな柑橘の香り、
『コアントロー』もまた、15mlだ。
周りには、相変わらず、暴風と烈風がせめぎあっている。
だが、それらはすでに意識の外に。
自分は一人、地面に立って、シェイカーを握る。
いつも打ちつけるまな板の代わりに、膝を使って蓋を締める。
全てを指先のシェイカーに集中して、振った。
シェイカーが心地よい音を奏でる。
風と、氷と、そして液体が、それらを音楽のように仕立て上げる。
指先からは、チリチリと冷えるような温度の変化が如実に伝わる。
完成はまだかと、早く飛び出したいと、中の『音楽』が告げているようだ。
やがて、俺はゆっくりとシェイカーを止めた。
中身を注いでやれないのが、完成を誰にも見せてやれないのが、悔しい。
俺はその中身を、液体だけ弾薬化する。
《生命の波、古の意図、我求めるは魂の姿なり》
シェイカーを開け、中から飛び出してくる氷に構わず、一発の銃弾を手に取った。
その青白い弾丸が、微かな冷気を帯びて俺の手に収まる。
躊躇わず、腰から引き抜いた銃にその弾丸を込めた。
「基本属性『ウォッタ30ml』、付加属性『ホワイト・キュラソー15ml』、『レモン15ml』、系統『シェイク』」
『ホワイト・キュラソー』とは『コアントロー』の酒類のことだ。
材料に『コアントロー』を指定していないのなら、材料の表記は『ホワイト・キュラソー』としておくのが望ましい。
そのカクテルは、純白だ。
柑橘の酸味と、甘み。それらを包み込むように穏やかに存在する『ウォッカ』。
度数を感じさせない緩やかな飲み口、宵の口に聴く音楽のような甘い心地よさ。
それでいて、キレのある酸味が、その表情を決して優しいままにはしない。
例えるなら『氷雪』に閉ざされた街の、穏やかな夜の訪れ。
酸味、甘み、度数という、カクテルの三要素。
一つの完成といってもいい、黄金比。
『ウォッカ』をベースにすることで現れる、そのカクテルの名は──
「総! もう時間がない!」
スイの声が聞こえた。
何秒の約束だっただろうか。
もう覚えていない。考えられない。
俺はただ、命令を忠実にこなす人形のように、前方に佇む巨大な『お客様』を見た。
向かうべき相手を見つけた歓喜に、手の中の銃が打ち震えた。
これが、この方に供する、最初で最後のカクテルだ。
「【バラライカ】」
銃口から放たれるのは、青白い光弾。
それは、俺に狙いを定めて猛攻を繰り返していた龍草の、中心へと突き刺さった。
『……シィイギィイ?』
龍草は、最初、自分に放たれたそれが何なのか、理解していない様子だった。
少しの戸惑いのあと、龍草は問題ないと判断したのか、俺に向かってツルを伸ばそうとする。
だが、龍草のツルは錆び付いた機械のように鈍く動き、やがて止まった。
直後、見える形で【バラライカ】の効果は現れる。
周囲の空気、沼地特有の湿気が、急速に固まり、冷える。
りんと鳴るように、突き刺さった『ウォッタ』の魔力が、周りを巻き込んで瞬時に氷結を始めた。
植物を相手にするのに、定石は『炎』だろう。
だが、この沼地では炎の効果は減じてしまうという。
では他に何が有効か。
炎じゃなきゃ、氷と相場が決まっている。
空気中に集まった『ウォッタ』の魔力が、氷柱となって、現出する。
それらは、タイミングを待つ事なく、龍草へ向かって放たれた。
強大な魔法耐性を貫通して、それらは次々に龍草へと突き刺さる。
身体へ食い込んだ氷柱は、その身を中心とした周囲の空間を氷へと閉じ込める。
その変化一つ一つは決して、龍草を呑み込むほどではない。
されど、次々と生み出されては増殖して行く氷の檻が少しずつ少しずつ、巨体を呑み込んで行く。
その身を沈める湖までも、氷の魔の手からは逃れられず。
そしてそれは、龍草を全て包み込むまで続いたのだった。
「おそまつさまでした」
その一言のあとに、その場に返事をする相手は残っていなかった。
そこにあるのは、氷に包まれ、生命活動を終えた一つの彫刻だけだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
これにて、戦闘パートは終了です。
ここからしばらくは、また日常に戻ります。
この先は大会に向かって一直線? ということになるので、
どんな展開になるのか、期待しないで待って頂けると幸いです。
※0810 誤字修正しました。




