道中の森
『ビガラード・ベラ』は、やや鬱蒼とした森であった。
いや、森と湿地が混ざった地形と言ったほうが正しいか。
生えている木々や植物は青々としていて、湿度も高い。
曰く、この辺りは雨が多く沼地が増え、そういった気候に植生も最適化しているとか。
そんな森の中。
道といえば道、くらいの獣道を俺たちは歩いていた。
「魔物が出るからといって、これは整備が行き届いていないにもほどがあるぞ」
三人で並んだ先頭に立つヴィオラが、忌々しげにこぼした。
トリプの町は『ビガラード・ベラ』にほど近い小さな宿場町だ。
俺たちは町についてまず、聞き込みを開始した。
どこかに『コアントローの実』はないかと。
もともと森に潜入する気ではあったが、金で手に入るならそのほうが早い。
だが、そんな期待はあっさりと打ち砕かれた。
『最近、ビガラード・ベラの魔物が活発化していて、迂闊に近寄れない』
この町の人間は、皆が口を揃えてそう言った。
そして、そのために町の人間は森に立ち入るのを控えているという。
町の人間が止めるのも聞かずに森に入った冒険者が、何人か帰ってきていないとか。
「そんな危険が分かっているのに、帰る気はないんだからなぁ」
道を塞ぐように生えている植物を処理しながら、ヴィオラは背後に向けて言った。
「だって、急がないと大変なことになるし」
「その大変なことに、自分の安全は入れないのか?」
「今更なにを。私もヴィオラも、これくらい何度も乗り越えてきたでしょ」
二人の気安い掛け合いを聞きながら、俺は心の中だけで苦笑いをした。
今の目的がなんだったのか忘れるほど、緊迫感の無い空気の中。
「止まれ」
唐突に、ヴィオラが鋭い声を発した。
俺とスイはすぐに反応し、足を止める。
次第に、耳に情報が届く。
こちらに向かっている、何かの群の足音が聞こえてきた。
ごくり、と俺は唾を呑み込んだ。
「四頭か、面倒だな。準備を頼む。間に合うか?」
「余裕。総──『ジーニ』で合わせて」
「分かった」
ヴィオラが手に持った剣を構えた。踏みしめられた地面が、軽く沈み込む。
それに伴って、俺とスイも行動を開始した。
《風の魔素よ。変化を司る精霊よ》
スイは杖を構え、囁くように詠唱を始める。
透明感のある声。ゆったりと流れるような気。彼女の内に存在する魔力が、静かに形を持ち始めているのだろう。
俺はポーチから弾薬を、念のため三発ほど取り出し、シリンダーに込める。
《求めるは渦。吹きすさべ、風神の道標》
スイの詠唱が済むと、彼女の中で溢れかけていた何かが、指向性を持って杖に集まったように思えた。見えないので、思っただけだが。
「基本属性『ジーニ45ml』、付加属性『ライム1/6』、系統『ビルド』、マテリアル『トニックウォーター』アップ」
遠くからうっすらと聞こえていた獣の足音が、今は近くまで来ている。
飛び跳ねる心臓に気を取られず、心に氷を作ってそこに材料を流し込む。
吹き出る汗をぬぐい去るような清涼感。
そのイメージでもって、銃へと魔力を送り込む。
大丈夫。何もない。いつも通りにやるだけだ。
そんな俺を励ますように、銃が振動を送ってきた。
銃の音に合わせてちらりとスイに視線を送ると、スイと目があった。
心の中に安心感が満ちた。
隣にスイがいるというのが、いつもの営業を思い出させたからかもしれない。
コクリと少女は頷く。大丈夫だ、と伝えるように。
「来るぞ! 構えろ!」
ヴィオラは声と共に、剣を道の脇へと突き出した。
まるで、ターゲットの方向を指示するように。
直後、大柄な狼の魔物が、数メートル先の草むらから飛び出して、こちらに向かって飛び掛かる。
俺とスイは、ヴィオラの指示に従って、それぞれの魔力を解放した。
「《ウィンド・ストーム》」
「【ジン・トニック】!」
スイの杖と、俺の銃。
二つの道具から放たれたのは、同質の風の力──風の渦だ。
二つは、それぞれが混ざり合い、一つの大きな渦と化した。
周囲の植物を呑み込みつつ成長するそれが、ついに飛び掛かっていた獣へと達する。
強大なうねりと化したそれは、最初に飛び掛かってきた一頭のみならず、様子を窺っていた二頭、さらに、別の方向へと走り出していたもう一頭をも巻き込んだ。
渦の中で、風の魔力は暴虐の牙を向く。
内側に形成された風の刃が、哀れにも呑み込まれた犠牲者たちに切りかかる。
狼の群は、キャインと高い悲鳴を上げながら、ズタズタになって吹き飛んだ。
「……さて、先に進むか」
「ええ」
事が済むと、ヴィオラとスイは何事もなかったかのように頷きあって、先を急ぐ。
俺はふぅ、と安堵に胸をなで下ろしながら、慌てて彼女達に付いて行く。
四頭の獣に同時に襲われたにも関わらず、物怖じしない少女達の姿は、驚嘆に値する。
今は森に入って、一時間といったところ。
昼過ぎに入ったのでまだ空は明るいが、森の中は薄暗い。
そしてその森の中は、話に聞いていたように魔物達の住処となっていた。
だが、まったく危なげがないのだ。この二人は。
襲ってくる魔物に、統率が取れたものはあまりいない。
だいたいが、一体で襲ってくる野犬みたいなのとか、凶暴なウサギみたいなのとか、たまに根で歩き回る植物みたいなのとかだ。
そして、それらはほぼ全て、スイが手を出すまでもなく、ヴィオラに一刀のもとで切り捨てられていた。
ヴィオラの動きは、やはり俺の目から見て常人離れしている。
初対面のときに、一足でカウンターを飛び越えてきたのにも思ったが、普通の人間の動きではない。
それは、彼女曰く『身体強化系』の魔法を、随時発動させているかららしい。
それこそが、彼女が男女の身体能力の違いを越えて、屈強な騎士団で認められている理由だとか。
そんな彼女でも、一度だけ現れた熊のような強敵や、複数が相手だと、最初の打ち合わせ通りに防戦に徹する。
そして、そんな相手をいとも容易く葬るのは、スイの魔法だった。
スイはスイで、戦闘で見せる姿は、いつものぼんやりとしたものとはまるで違う。
氷のように冷静で正確無比な一撃を、躊躇う事無く魔物へと叩き込む。
彼女の魔法を食らったものは、ただの一体も例外はなく、一撃で葬られた。
そんな少女達の後ろで、チマチマと援護をしていたのが俺である。
というか、俺が何かするでもなく戦闘は終わる。
精々、たまにスイに言われる通りに魔法を合わせるくらいだ。
そもそも俺は、未だに魔物と相対すると緊張で背筋が凍る。
ゲームでしか経験のない魔物との戦闘は、思っていたよりも刺激が強かった。
その俺の目の前で、堂々と立ち回ってみせるのだ、この二人は。
男として悔しいところだが、これが生まれた世界の違いというやつか。
「総、大丈夫?」
俺がそんな物思いに耽っていると、ふと、スイが心配そうに俺を見ていた。
「怖かった?」
「……怖くないと言えば嘘になる」
「大丈夫。守ってあげるから」
「それはそれで大丈夫じゃない」
俺の言葉に、スイが不思議そうな顔をする。
その前方で俺たちの様子を窺っていたヴィオラは、何かを察したように、俺へと同情の視線を送ってきていた。
「……良いから急ごう」
俺は少女達の視線を振り切るように、力強く言った。
本当に力強く言えていたかは、いまいち自信がなかった。
※0808 誤字、及び表現を少し修正いたしました。




