【ジン・ソニック】(2)
『ソニック・スタイル』
言葉遊びと言ってしまうとそれまでだが、要するに『ソーダ』と『トニック』を混ぜ合わせた単語に過ぎない。
広義では『プレス・スタイル』と呼ばれる、炭酸飲料とソーダを混ぜ合わせる形式の『カクテル』である。
甘さ控えめで、香りは引き立つ。
加えて、炭酸のスッキリした飲み心地が、もう一口を誘う。
満足感の中に、ほんの僅かな物足りなさ。
そんな感情を誘う魔力が『ソニック』には存在する。
もっともそんな説明を今しても仕方がない。
俺はさりげなく、黒髪の女性がそのグラスを口に含むのを見守っていた。
「……で、では、いただこう」
彼女は、すっと背筋を伸ばしたまま、行儀良くグラスを手に取った。
──────
ヴィオラは、状況を上手くつかめてはいなかった。
彼女は今日、ポーション屋の会合があったことを知り、そこにスイの姿があったことを聞いた。
だが、彼女がそこで聞いたのは『スイがポーション屋とは名ばかりの、いかがわしい店を開いている』という噂だった。
事情があって一ヶ月近く顔を合わせていなかった友の、そんな噂を聞いて彼女はいても立ってもいられなくなった。
身だしなみもそこそこに、脇目も振らず街中を駆けてここまできた。
そして友の、前と変わらない温度低めの対応を受けた。
その態度から、スイは決して変わっていないと確信したヴィオラ。
しかし、以前試飲したことがあるスイのポーションで、万が一にでも店が盛り上がることはないとも思っていた。
そんな彼女の目に、軽薄そうな笑みを浮かべた男の顔が映ったのだった。
激情にまかせてヴィオラは行動してしまった。
少しして、自分がとんでもない勘違いをしていたことを悟った。
それから、どういうわけか、目の前に訳の分からぬ物を出されているのだ。
説明を受けているので、飲み物ということは分かる。
だが、そのシュワシュワとした気泡に、あまり見覚えがなかった。
(いや──そうか。これは炭酸水か)
ヴィオラは記憶の片隅にあった、とある飲み物を思い出した。
その爽快感をイメージして、ごくりと喉を鳴らす。
ポーションが中に入っているのが不可解だが、それがこの店を理解するために必要なことだと、分かってはいる。
口元へと近づけたとき、微かにライムと『ジーニポーション』の香りがした。
それらの香りは決して不快ではない。
焦って走ってきた体に染みるような、清涼感を感じた。
そして口に含む。
ヴィオラは瞠目した。
「……流れ込むみたいだ」
口の中にするりと滑り込んでくる味。
甘くはあるが、甘すぎるわけではない。
ヴィオラが今まで感じたことのない『トニック』の甘さ。それが『ソーダ』と混ざり合って、舌に留まることなく流れて行く。
さりとて、辛いというわけでもない。
『ジーニポーション』のキリッとした味は『トニック』の甘苦い味に包まれ、舌を柔らかく刺激するのみ。
その二つは、丁度よく調和して口の中で弾けて遊ぶ。
それらをひとまとめに、ゴクリと嚥下する。
喉の中を、パチパチと駆け抜ける液体。自分の中に、水分が染み込んでいく感覚。
ヴィオラは、渇きを自覚した。体が飲み物を欲していることに気づかされた。
もう一口という誘惑に抗えない。
欲求に従って、もう一度液体を呑み込めば、その乾きは満たされる。
その筈なのに、どことなく尾を引く酸味が、仄かな甘さが、求める。
一口、また一口、と。
続く欲求の切りどころが分からず、ヴィオラはグラスを傾けていった。
──────
「いかがです? 『カクテル』というものは?」
ヴィオラが充分に堪能した頃合いを図って、俺は尋ねた。
声に反応して、ヴィオラは少しうっとりとした表情を俺に見せる。
「今まで、このような素晴らしい飲み物に出会ったことはありませんでした」
あまりの丁寧口調に、俺は少し気恥ずかしくなった。
「別にそんな丁寧になる必要ないですよ。ここはそういう格式ばった店じゃないですし」
「え、あ、ああ、すまない」
指摘されて、彼女はようやく自分の口調の変化を自覚したらしい。
少し照れくさそうにしながら、彼女はまた一口だけグラスを傾ける。
「それで、分かって貰えた? 別にいかがわしいことなんてしてないって」
すっとスイの声が入ってくる。
ヴィオラは、ギクっと反応したあとに、スイに申し訳なさそうな顔で言った。
「すまなかった。君のポーション屋はいかがわしい店などではなかった」
「当たり前でしょ。というか誰から聞いたの、そんなこと」
「……『アウランティアカ』の関係者に」
「……ギヌラいつか殺す」
スイの発言に、全然温度が感じられず戦慄した。
しかしギヌラの野郎も大概だな。
直接来る勇気がないから、間接的に嫌がらせをしてくるとは。
自分が大手だと理解しているのなら、無視をしていればいいのに。
このままだと話題が暗い方向にシフトしそうだと思ったので、俺はふと尋ねた。
「そういえば、しっかりした自己紹介はまだですよね?」
「ん? あ、そういえばそうだな。大変失礼した」
ヴィオラという名前も、スイが呼んでいるから知ったことである。
黒髪の女性は、わざわざ椅子から立ち上がって、胸に手を当てながら名乗った。
「私はヴィオラ・オドラータ。この街の領主に仕える騎士団に所属している。気軽にヴィオラと呼んでくれ」
「では改めて、夕霧総です。こちらも気軽に総と呼んでください」
その立ち振る舞いはまさに威風堂々。
俺としても、ここまで凛という表現が似合う人には初めて会った。
そんな彼女の横で、スイがこそりと付けたした。
「ついでに、私の幼馴染」
へー、そうなのか。どうりで気安い関係だと思った。
ヴィオラはすっと、涼しい笑みを浮かべて宣言する。
「こんなことで償いになるとは思わないが……何か困ったことがあれば、いつでも我が騎士団を頼ってくれ。よろしく頼む」
「はい、よろしくお願いします」
ヴィオラはそれだけを言って着席し、自然にグラスに手を伸ばした。
ああ、気に入ってくれたんだな、と思ったのも束の間。
「で、総」
話の切れ目に、スイが無表情で俺を呼んだ。
「はい?」
「早く」
スイの急かすような声。
俺は苦笑いを浮かべてご要望にお応えすることにした。
ご注文はもちろん。『私にも同じもの』だろう。
「かしこまりました」
俺は彼女の要求に応えるべく、急いでグラスを取り出した。
実は、これも見越して、トニックを使いすぎない『ソニック・スタイル』にしたのは内緒である。
※0805 誤字修正しました。




