二つの注文
「マスター! なんか甘い奴!」
「この【ジン・フィズ】ってどんなの?」
「ねぇマスター! どかんと強いの頂戴よ!」
イソトマの声がきっかけだった。
彼の飾り気のない叫び声は、店内の空気を明らかに変えた。
まず、こちらをチラチラと窺っていた、テーブル席の男女二人組。
ライがタイミングを逃さず接客に向かったことで、『軽いカクテル』と『甘めのカクテル』の注文が入った。
その注文に答えて【ジン・フィズ】と【スクリュードライバー】を作ると、その二人は驚愕に目を開いた。
その直後には『イソトマの声が外まで聞こえてきた』と、常連男性がまた入った。
イソトマのグラスも空になって久しいので、二人揃って同じ物を提供した。
それは【ダイキリ】。
イソトマは【ダイキリ】を特に気に入った様子だった。
先程に劣らぬリアクションで、これは美味いと熱弁を始めた。
後は雪崩式だ。
テーブル席でも、試してみたいという声がチラホラと上がる。続々とカウンターに付いた常連は、メニューにある『カクテル』を好き勝手に注文しはじめる。
人が増えると、それに加えて食べ物の注文もどんどんと入る。
すると、その食べ物にあった『カクテル』はなにかと、こちらにも注文が入る。
興味本位で頼む人間が、二杯目三杯目に手を伸ばし、料理と飲み物の相乗効果で、どんどんと杯数が増えていった。
「総。ちょっと、このペースじゃ間に合わない」
嬉しい悲鳴を上げながら、ひたすらに洗い物に従事しているスイが言った。
俺は注文に答えるため、作業の手を休めずに返す。
「じゃあ、もっとペース上げないとな。限界はまだまだだろ?」
「もう!」
俺とスイのやり取りを見て笑う客達。カウンターには、オヤジさんが作った料理──ソテーだの、サラダだの、漬け物や汁物だの、様々な皿が並んでいる。
その光景の中、添えるように俺の作ったカクテルが並んでいた。
この中で、もう俺の客になってくれた人はおるまい。
だが、それでも『カクテル』は、そこにあることを認められた。
開店から二時間足らずで、すでに俺が作ったカクテルの数は五十を越えている。
カランと店の扉が開き、新しい客が入った。
「うひゃー、師匠、混んでるよー」
「はは、良いじゃねえか、たまにはよ」
それは、俺の店のオープンに尽力してくれた機人の二人だった。
特に、この店に多大な貢献をした少女──イベリスは、俺の姿を認めると、嬉しそうにぶんぶんと手を振った。
「総! 来たよ! そっちでいいかな!?」
「いらっしゃいませ、お二人さん! こちらへどうぞ!」
俺もまた大きく通る声で答えて、カウンター席へと二人を通した。
「来てくれてありがとうございます。ちょっと騒がしいかもしれないですけど」
「いいよー。私達は、今日の面白いモノを見に来ただけなんだから」
丁度空いていたイソトマの隣二席に、ゴンゴラとイベリスがつく。
そのイソトマと言えば、最初の予定の三杯をちょうど飲み干したところだった。
「どうですイソトマさん? 新しいお客さんが来ましたけど、まさか帰るなんて言わないですよね?」
あくまでもにこやかな笑みを浮かべつつ、俺はイソトマへと尋ねた。
イソトマは隣に座ったゴンゴラ、イベリスへと目を向ける。
二人とも、良い笑顔で「どうも」と挨拶し、イソトマは苦笑いを浮かべて俺を見た。
「……おいマスター。あんた、三杯で帰らせる気、なかったな?」
「いえいえ。ずっと居てくれたら嬉しいなと思ってただけですよ」
もちろん本心です。決して嘘ではありません。バーテンダーの笑顔に嘘はない。
そのあたりで丁度、作業の手を止めずに作っていた『カクテル』が完成する。
俺は、それらをカウンターへと乗せると、赤毛の少女を呼んだ。
「ライ! これを手前のテーブルのお客さんに頼む!」
給仕に忙しく走り回っていたライが、少しだけ固まった笑顔で答えた。
「手が空いたんなら自分で持って行ってくれない!?」
「無理だ! これからイソトマさんのご注文だからな!」
ライは『わかった!』と、少し苦しそうに声を上げ、小走りでカウンターへと来た。
「スクリュー、フィズ、ジンライムな。簡単な説明はできるな?」
「しつこく飲まされたんだから大丈夫!」
ライは短く言って、盆の上にグラスを並べる。
【スクリュードライバー】
【ジン・フィズ】
【ジン・ライム】
メニューの説明を一通りできるように、ライには飽きるほど試飲して貰った。
流石に飲ませ過ぎと思って謝りもしたが、スイのポーションの試飲に比べれば天国と言って彼女は笑った。
「それじゃ、イソトマさん、ごゆっくり」
最後にしっかりと営業文句を残して、ライはまた小走りで去って行った。
うむ。バーテンダー的には、小走りよりも早歩きが美しいのだが、今は言うまい。
俺は、さて、と視線をイソトマへと戻す。
俺の搦め手と、ライの営業。さらには隣に座った新規客二人。
イソトマは諦めたように言った。
「ちっ! しゃあねえな! 三杯ってのはまだ有効か?」
「もちろんです。開店記念ですから」
「じゃあ、この二人にも俺からの奢りで頼むぜ!」
イソトマはカラッとした笑いを上げながら、ゴンゴラとイベリスの分の酒をもった。
「おい、良いのかい?」
ゴンゴラが少しだけ驚いて、イソトマへと尋ねる。そりゃ、いきなり見ず知らずの人間に言われたら戸惑うだろう。
だが、俺は知っている。この二人、イソトマとゴンゴラ。
彼らの性格は似ているから、多分、気が合うだろう。
「ここで会ったのも何かの縁だ。好きなの頼みなよ」
イソトマの言った縁という言葉。それが気に入ったのかゴンゴラはにやりと笑みを浮かべて、言葉に甘えた。
「じゃあ、ありがたく。俺たちは【ジン・フィズ】でも貰おうか? 今度は『完璧』なんだろう?」
「はい。任せてください」
「じゃ、俺はまた【ダイキリ】だ。気に入っちまった」
「かしこまりました」
俺は腰を折りつつ、チラとイベリスの様子を窺った。
注文はそれで良いのか? と。
イベリスは俺の意図に気づいたのか、満面の笑みを浮かべ、うんと頷く。
それらの注文を了承しつつ、俺は、思う。
【ジン・フィズ】と【ダイキリ】
この二つは、互いにシェイクで作られる『カクテル』である。
同時注文では、同時に品を用意するのが望ましい。
だが、シェイクにはある程度の時間がかかる。
そして、それらは別々のシェイカーで作る必要がある。
その二つを同時に作るのは、物理的に不可能だ。
では、どうする?
答えは簡単だ。仕上げのタイミングを合わせればいい。
俺はまず【ジン・フィズ】の準備に取りかかる。
材料は『ジーニポーション』と『レモン』。それに『砂糖』と『ソーダ』。
また、この時点で【ダイキリ】の材料も取り出してしまう。
こちらは『サラムポーション』に『ライム』、そして『砂糖』だ。
全てに共通する材料の『氷』と、『グラス』も当然この時点。
【ダイキリ】に使うグラスは、材料を取り出すと同時に冷凍庫に入れて冷やしておく。
注文は、受けたときがスタートで、出すときがゴールだ。
バーテンダーは、その作業の行程で、どのように動くのが最短かを考える。
必要な材料を『最初に全て』取り出すことは、『複数の注文』を同時に受けたときの『作業短縮』に繋がる。
作業が早くなれば、その分、取り出した材料の『温度』が上がるのを抑えられる。
早いということは、作業の効率化にも、味の完成度にも重要な役割を持つのだ。
シェイカーへと【ジン・フィズ】二杯分の材料を注ぎ込む。
レモンやライムはジュースの形で作ってあるので、時間は短縮されている。
ただし、こだわりとして必ず、六分の一程度にカットしたフレッシュの果実を絞ってから、足りない分はジュースで補うという形をとる。
ジュースだけで作るのと、少しでもフレッシュの果実が入っているのでは、味わいや香りに差が出るのだ。
同時に【ダイキリ】の材料も、同様に注いでおく。
計り入れるという行程で、全ての材料をまとめて計るのも、また時間短縮だ。
レモンやライムを切るという作業も、もちろんまとめて行っている。
ただし、氷を入れる作業は個別だ。
氷は入れた瞬間から溶け始める。シェイカーに氷を入れるタイミングは、シェイクの直前でいい。
シェイクは、まず【ジン・フィズ】から行う。
言うまでもなく、この作業においての『最短』は『最高』と同義だ。
時間を早めては、味が落ち、長過ぎても、味が落ちる。
そこだけは、誇りを持って完遂せねばならない。
バーテンダーにとって、最も『派手』な見せ場なのだから。
指先の感触を信じて、シェイクを終え、俺は中の液体を二つのグラスに均等に分けた。
中に入っている氷も二つに振り分けていき、少し足りない分は新しい氷を足す。
そこからさらに『ソーダ』を加えれば完成だが、俺はそこで作業を止めた。
完成させるのはほぼ同時に。であるならば、このタイミングで【ダイキリ】の作業に移らなくてはならない。
【ダイキリ】用のシェイカーに氷を詰め、俺は急いでシェイクに移った。
自身の信じる完璧なタイミングでシェイクを終え、冷凍庫で冷やしておいたグラスを取り出す。
それのみの注文であれば、通常は注文した人の目の前で注ぐ。
だが、今は複数の注文を受けているので、失礼して作業台の上で完成させてもらう。
冷凍庫で冷やされ、ほんのりと霜を張ったグラスに薄く白濁した液体が踊った。
【ダイキリ】の完成だ。
それがすめば、俺は急いで『ソーダ』の栓を開けた。
炭酸を逃がさぬように、氷の隙間を縫って器用に液体を二つのグラスに流し込む。
それらのグラスが満たされたところで、バースプーンでステアを行う。
炭酸のステアは、持ち上げるようにそっと二回、最後に半周ほど回して完成だ。
目の前には、二杯の【ジン・フィズ】と一杯の【ダイキリ】。
所要時間は、三分越えといったところか。
「大変お待たせしました。【ダイキリ】と【ジン・フィズ】です」
丁寧にグラスを、それぞれの前に差し出した。
三人は目の前のグラスに期待を露にしつつ、すぐには飲まない。
そっとグラスを手に持って、まずイソトマが言った。
「それじゃ、今日の出会いに」
「乾杯」
「かんぱいー」
ゴンゴラが自然に乾杯を合わせると、イベリスも従う。
その三人が、液体を口に含み、幸せの色を顔に表したのを見て、嬉しくなった。
自分の作ったものを美味しそうに飲んでもらえる。
そのことが嬉しくないバーテンダーなどいないのだ。
俺は気を引き締めて、次なる注文を探し求める。
まだまだ、夜は始まったばかりなのだから。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
本日、五話掲載予定の一話目です。三時間おきに投稿します。
午後十時過ぎに第一章完結予定です。
※0729 表現を少し修正しました。




