【ホット・バタード・ラム・カウ】(2)
【ホット・バタード・ラム・カウ】
カウはCowと書き、英語で乳牛を差す。
これは【ホット・バタード・ラム】というカクテルのアレンジレシピだ。通常の【ホット・バタード・ラム】で『お湯』を使うところを『牛乳』に置き換えることで作られる。
牛乳の仄かな甘み。バターの香味。そしてラムのすっきりとした味わいが見事に調和した、とても優しくて、暖かなカクテルである。
俺はちらりとライの様子を窺う。
彼女は、迷うようにカップと俺の顔を見比べていた。
「お熱いのでお気を付けて」
「わ、わかってる」
相変わらず、この世界の人間はカクテルを前にすると躊躇する。
俺はそれとない挑発で、ライを促すことにした。
「それとも、お嬢様には少し早いでしょうか?」
「……なにが?」
「そちら、飲みやすくても『大人向け』の飲み物でして。『お子様』には少々──」
「こ、子供扱いしないでよ! 成人の十五はとっくに越えてるんだから!」
ライは少し苛立たしげに俺に怒鳴ったあと、カップを口へと運んで行った。
──────
どうしてこの男は、気づいたのだろうか。
ライは自身の中に起こる戸惑いに、自問自答を繰り返していた。
自分が意地の悪い注文をした自覚はある。だが、それも仕方ないことだ。
まんまと怪しい男に騙されてしまった家族を救うためだった。
だが、二人の態度を見て、少し思っていたこともある。
もしかしてこの男は、本当に姉の『ポーション屋』を立て直すつもりなのでは、と。
だが、認めるのを心が許さなかった。
だから底意地の悪い注文をした。
『ヒントなしで、私の好きな味の飲み物』
誠実な男なら、きっと無理と言うだろう。
詐欺師ならば、口八丁で誤摩化そうとするだろう。
そんな思いで睨みつけていたライに、男は言った。
『かしこまりました』と。
その後にした会話なんて、ほんの僅かだ。
自分は何もヒントなど与えていないはずだ。
それなのに、男はあっさりと答えを出した。
スイの作ったポーションが、犬も飲まないような不味さなのは知っているのに、
ライは目の前の湯気立つ白い液体に、自然と心奪われる。
口に付ける前から、すでにこの飲み物は優しい。
お日様のようなバターの香りに、すでにがっしりと心を掴まれてしまっている。
そんな心持ちで液体を口に含めば、どうだろう。
「……暖かい……」
穏やかな味。ふわりと香る、暖かで優しい匂い。
それ単体で嗅げばむせる人もいるポーション特有の香りも、牛乳とバターに包まれていて、決して主張してこない。
それらは、ライの舌という草原を緩やかに駆け回りながら、広がって行った。
まるで牧草に寝転がって、日向ぼっこをしているような穏やかな気持ち。
隣を見てみれば、いつも無表情な姉のほんのりと優しげな笑み。
後ろには、父の期待と不安の混ざった顔。
そして、頭の中に、亡き母の優しげな声が聞こえた気がした。
意地を張らなくても、良いんだよ、と。
ライは、ぐちゃぐちゃとした感情の全てを、その一杯に引き起こされ、
そして同時に、その一杯がそれら全てを包み込んでしまった。
少し涙ぐみそうになりつつ、ライは目の前の男に言った。
「……ごめんなさい。ありがとう」
それがなんの謝罪で、なんの感謝なのか。
ライ本人にも、良く分かってはいなかった。
──────
赤毛の少女が、一口飲んだ途端にその表情を崩した。
それまでガチガチに固まっていた、敵意や緊張、そして責任感のようなものが一瞬で溶け崩れたようだった。
ほとんど涙ぐんだ表情でなされた、謝罪。
そして感謝の言葉。
意味を正しく理解できたとは言わないが、なんとなくはわかる。
「いえ。僕も精一杯努力しますので、どうかよろしくお願いします」
俺が優しく微笑みかけると、ライは俺をまっすぐ見つめた。
そして、静かに、俺にだけ聞こえるような声で小さく答える。
「……うん」
俺はようやく慇懃なバーテンダーモードから、夕霧総へと戻って少女に言葉をかけた。
「じゃあ、これからもよろしく、で良いのかな?」
「……良い。その、ごめんね?」
ライは、年相応の可愛らしい笑顔で言った。
俺を、認めてくれると。
俺は、その言葉を聞いて、ようやく一心地ついた気分だった。
だが、それで終わりでないことは、分かっている。
そんな俺とライのやり取りをじっと見ていたスイから、すっと言葉がかかった。
「じゃあ、総。私にも同じものを」
「かしこまりました」
スイはすっとカウンターに腰掛け、ライの頭をポンポンと叩きながら俺に目で訴える。
はやくして、と。
そこで少し視線をオヤジさんに向けてみた。
オヤジさんもまたそわそわとしているが、どうしよっかな。
「では、スイのぶんの一杯だけで、よろしいでしょうか?」
「え……」
俺がわざと言ってみると、オヤジさんがきょとんとする。
そして言ってから、オヤジさんは慌てて取り繕うのだった。
「待て! べ、別に飲みたいわけではないぞ! ただ俺の店に並ぶ可能性がある以上、俺には確認の義務があってだな──」
「……オヤジさん」
「そ、それになんだ! 後で牛乳買いに行くんだろ! だったらいくら減っても良いだろ! なっ!?」
オヤジのツンデレは可愛くねぇなこれ。
父親の態度に、娘二人もじとっとした冷めた目を向けている。
俺は内心で苦笑いをしながら、鷹揚に頷いて答えた。
「それでは【ホット・バタード・ラム・カウ】を二杯ですね。かしこまりました」
スイはこくんと頷き、オヤジさんはふん、と鼻を鳴らす。
ライはまた一口、カクテルを口に含み、俺は作業を始める。
なんとなくだが、俺はその時、ようやくこの世界の一員になった気がした。
それが意味するところは、一つ。
『スイのポーション屋』はこの日を持って形態を改めることが決まった。
これから先は、まだ名前も決まっていない『バー』が始まる。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
勝手な都合なのですが、明日以降、更新の時間を22時過ぎくらいに致します。
今までより更新時間が少し早まりますが、気にせず読んで頂ければ幸いです。
どうか、よろしくお願いします。




