不可侵領域
「ルールを決めよう」
「……ほう?」
俺とギヌラはお互い向かい合う形で椅子に座りながら、睨み合う。
現在地は、アルバオに案内された『俺達』の部屋の中だ。
お互いの荷物を机に乗せ、最初にするべきは話し合いだと思った。
間取りとしては、あまり面白みのない部屋だった。
寮というよりは宿舎的な感じなのだろうか。あてがわれた部屋はキッチンと水道、それに風呂とトイレが付いた、1Kの間取りだった。
二人部屋というよりは、一人部屋に詰め込んだといった風情。広さは十畳ほどあるのだが、二段ベッドではなく一人用のベッドが離される形でおいてある。ベッドの隣の小さいスペースに机が出ていて、クローゼットが無理やり二つに分けられている。
食堂や洗濯室的なものも存在していたようなので、その辺りは余り気にする必要はなさそうだ。
問題があるとすれば、寝る時に一人になることができない点か。
俺が最初にやったことは、部屋に用意されていたあからさまなヒモを、中央に引いたことである。
「まず真ん中だ。基本的にこの真ん中からははみ出ない形にしよう」
「待て、その位置だと君の方が広くないか?」
「広くねえよ。変な言いがかりつけるな」
俺は可能な限り公平に分けたつもりだ。もっとも、そもそもがギュウギュウの形なので、きっかり分けても双方不満の出る狭さには変わりない。
「それで、風呂とトイレは使用前に宣言しよう。あと、使用中の掛け札を用意するから、忘れずにチェックする。それがない場合で、姿が見えないときは外出中と判断する」
「……ふむ」
「キッチンや水道も基本は自由だ。双方が起きている時の過干渉は無しで、基本は居ないものとして扱うことにしよう」
「……ふっ」
「何がおかしい?」
俺がもくもくとルールを提示していると、ギヌラは愉快そうに笑った。
それが小馬鹿にしているようにも見えたので尋ねると、彼は気取った表情で言う。
「この僕の溢れるカリスマを前にして、僕を気にしないということが、君に果たして可能なのかと気になってね」
気にした俺が馬鹿だったか。淡々と次の話に移る。
「それで問題は就寝と起床だが、ギヌラ、お前は何時に寝て何時に起きる生活してた?」
「寝たい時に寝て、朝は使用人に起こされる。それ以外にあるのかい?」
「…………」
おいどうするんだよこれ。いきなり共同生活できそうに無いんだけど。
俺は軽く頭痛がする頭を押さえて、あーと唸る。
「じゃあ、起床時間はあとで説明があるだろう朝食の一時間前にしておくか。で、就寝時間はその七時間前だ。それで良いか?」
「そもそも、君はいったいそれを決めてどうする気なんだ?」
「……いつ部屋の明かりを消すかって話をしてんだよ」
ちょっとばかし、イライラが湧いてきているところである。
道中の宿では、翌日の予定に合わせて普通に決めていたことだと思うのだが、なんで今のこいつはそれが思い当たらない?
と思っていたのだが、ギヌラは言うに事欠いて持論を展開する。
「なぜ君に合わせないといけない。そんなもの、僕が寝たい時に……」
「…………」
「……ふっ、仕方ないな。君の提案に従おうか」
俺が真顔で腰の銃に手を伸ばしたところで、ギヌラは分かってくれたようだった。
すごいな。人間、話せば分かる。
「じゃ、消灯したら極力物音を立てないことだ。消灯時間までに帰ってこれないときは、極力静かに活動すること。消灯後の風呂と調理は禁止。これでいいか?」
「…………仕方ないな」
自分からは何一つ有意義な提案をしていないギヌラだが、渋々と俺との取り決めに納得したようだった。
俺はちょっとだけほっとして、ギヌラに手を伸ばした。
「じゃあ、一応ほら、握手だ」
「……ん? なんのだい?」
「これから、まがりなりにも同室だから、とりあえずよろしくと」
「…………ふん」
また何かウダウダと言うかと思ったが、ギヌラは以外にも素直に手を伸ばしてきた。
お互い、あまり顔を見ないようにしながら、それを終えた。
その後は、会話らしい会話をせず、お互いが荷物の整理に入る。
俺は持ってきていた道具を展開する。一応、何があるか分からないからバー用品は一通りある。
バースプーン、メジャーカップ、シェイカー。それと、各属性の基本ポーション。
リキュール類に関しては、あまりない。お近づきのしるしにと思って持ってきたものもあるが、それは例外。ライムとレモンは潤沢にある。炭酸飲料はソーダ以外殆どない。
ポーチの中に限っても、それなりに揃っているがあくまでそれなりだ。もともと、重量の関係で大量に持ち歩いているわけではないし。いくらかは『カクテル』の形で保存してある。
とまぁ、端的に言えばあまり材料が無い。
「…………」
しかし、それで良い。
俺は、ここに酒を飲みにきたわけじゃない。そんなことは、瑣末な問題だ。
俺は『ウィスキー』の手がかりを求めて、ここにきたんだ。
そして、半ば確信をもって、それが『第五属性』のポーションなのだとも思っている。
出来すぎた世界だ。
ジンとウォッカとラムとテキーラがある。
ジーニとウォッタとサラムとテイラに名前が変わっている。
そうまでお膳立てされた世界に『ウィスキー』や『ブランデー』だけ存在しない。
そんなことが許されるだろうか。
そんなのは、許されない。俺が許さない。
先日、トライスが言っていた言葉を思い出す。『第五属性』を追えと言っていた。
彼女がこのタイミングで現れたことと、俺の研修が重なったことが偶然とは思えない。
俺は『ホワイトオーク』が以前の品評会で発表していた『熟成ポーション』の資料に何度も何度も目を通した。
もう何ヶ月も前に芽生えた、その芽を丹念に観察しつづけた。
だからこそ、為せることがあると信じてここにいる。
やらないといけない。俺のためだけじゃない。
記憶の中にいる、記憶の中で笑っている、彼女のために。
「ユウギリ。聞いていないのか?」
「え?」
ふと、声が届いた。
俺が振り向くと、不機嫌そうな表情をしたギヌラの顔が遠くにあった。
「どうした?」
「どうしたもこうしたもない。貴様、もしかして調子でも悪いのか?」
ギヌラのいつもの悪態に、はぁとため息を吐く。
「心配してくれなくても、耳の調子はいたって──」
「そうじゃない。体調が悪いのかと聞いているんだ」
「へ?」
とぼけた声が出たのは、それがあまりにも意外だったから。
ギヌラは、もしかして、俺の体調を気にしてくれたとでも言うのだろうか。
「なんだその顔は」
「い、いや。急にどうした?」
ギヌラの言葉に戸惑いながら尋ねる。ギヌラは少し目を細めて、俺を睨むような格好で言った。
「馬車に乗っていたころから、様子がおかしいだろう」
「……そうか?」
「そうだ。今のお前は、暗い。声音の調子もどことなく無理をしているようだし、とにかく、以前のお前とは違う」
「っ……!」
心当たりが無いわけじゃ、なかった。
記憶を取り戻してから、態度を変えたつもりはない。
それでも無意識に、ふと、後ろを振り返ってしまうようなときが、あった気がする。
気付けば、胸を掻きむしりたくなるときもある。
彼女を忘れていた自分自身を、責めたくなるときもある。
「自覚はあるようだな」
「別に、心配してもらうことはないさ」
俺は、ギヌラに対して少しぶっきらぼうに返していた。
確かに、少し心境の変化はあったが、無理をしている気などない。
これまでも、そしてこれからも、俺は前だけを向いていかないといけない。
それが、俺が『カクテル』を学んでいく上で、自分に課した使命なのだから。
俺の返答に、ギヌラは少し訝しむような目をしていたが、ふっと視線を逸らした。
「……勘違いするなよ。別にお前を心配したわけじゃない。ただ、お前が体調を崩していたら、同室の僕まで被害が来ると思っただけだ」
「……なら、大丈夫さ」
「ふん。ならいい」
ギヌラはそう言うと、彼にしては珍しくあっさりと引き下がる。言葉とは裏腹に、実は心配してくれていた、そんな気がした。
俺は、その様子を見て、もしかしたら初めてギヌラに悪い事をしたかもしれないという気になった。
その微妙になった雰囲気の中に、ノックの音が飛び込んできた。
俺が入り口を開けると、アルバオがそこに立っていた。
「総さん。荷物の整理は終わりましたか?」
「はい。ギヌラも終わったと思います」
ちらりとギヌラへと目をやると、彼は手を上げるだけで肯定の意を伝えてくる。
アルバオはふむと頷き、提案する。
「でしたら、お時間よろしいでしょうか? お疲れでしたら、後日でも」
「自分は大丈夫ですけど」
ギヌラに再び目をやると「僕も大丈夫だ」との返事。
「だそうです」
「では、付いてきてください」
アルバオは、相変わらずやや仏頂面ではあるが、精一杯の微笑みを浮かべて言う。
「皆さんに、ささやかですけど歓迎会を開こうかと思いまして」
その単語が聞こえた途端。
さっきまでちょっと微妙な雰囲気にしていたギヌラが、ガタッと盛大な音を立てて立ち上がっていた。現金なやつめ。
※0406 誤字修正しました。




