Zの後のA
本日三話更新予定の三話目です。
どれくらい時間が経ったのか。
もう夜も遅い時間だというのに、皆はあくびすらせずに話を聞いてくれていた。
ライなんて、伊吹が死んだという時には、涙すら浮かべてくれた。
スイやサリーも、伊吹の死を聞いたときには、なんとも言えない複雑な表情を浮かべていたのだが。
そして、話はトライスへと移った。
彼女が裏で色々と動いていたらしいこと。
彼女の思惑に沿う形で、俺は少しずつ前に進んでいたこと。
そんな彼女が、今日、俺と直接話すために現れたこと。
そして彼女が、伊吹と瓜二つであるということ。
「以上、です」
俺が話し終えても、すぐに反応を返す者はいなかった。
それぞれが、俺の言葉を反芻するように、少し考え込んでいる。
それでもずっとそのままというわけはない。
最初に俺に声をかけたのは、オヤジさんだった。
「それで、小僧。お前は、どうしたいんだ?」
「……どうって?」
「その女を探す旅にでも、出るつもりか?」
オヤジさんに指摘され、俺はその選択肢が存在していたのだと、気付いた。
気付いたが、それに対する答えは決まっていた。
「それは、ないよ」
「ほう?」
「確かに、もし俺がこの世界に来た直後だったら、考えたと思う。でも、今は違う。俺は、この店が好きだから。この店を放ってはおけない」
俺がきっぱりと断言すると、オヤジさんはフンと鼻を鳴らして、ちょっとだけ嬉しそうな顔をした。
「だってよ娘ども。その心配いらねえみてえだぞ」
「「なっ」」
その言葉に、特にスイとサリーが反応した。
分りやすいくらいに、動揺して、オヤジさんを睨んでいた。
そんな少女達に微笑ましい笑みを浮かべていると、次にフィルが尋ねてくる。
「じゃあ、総さんはこのまま、店で働き続けるつもりですか? いつトライスさんが現れても良いように、研修とかは、キャンセルして」
「いや、研修は予定通りだ。というより、俺は自分の行動を変えるつもりはない」
「え? でも、それじゃあ」
「あいつ自身が言ってたことだ。『第五属性』を、そして『カクテル』を追えってな。それなら、俺は俺が思うまま進んだ方が良い。その先でまた会えるって、言葉を信じてな」
これからも、彼女はきっと俺達をどこかから見ているのだろう。だけど、もう迂闊には姿を現さない、そんな気がする。
今日、俺の前に現れたのも、独断と言っていた。
つまり、彼女はきっと、俺とはまた違う何かの事情を抱えている。
であるならば、今は彼女の言葉を信じるほかない。それだけが、彼女と繋がる、唯一の見えている道なんだから。
「だから、当面は、トライスのことは考えない。全く考えないわけじゃないけど、彼女には俺達を本気で害するつもりはない筈だ。気にしないで良い」
俺の断言に、質問者であるフィルが渋い顔をしていた。
それで良いんですか? あなたは何か、無理をしていませんか?
そう問いたがっている風に見えるが、俺は優しい顔で頷きだけを返した。
「じゃあさ総。聞きにくいこと、聞いて良い?」
フィルの後に、身を乗り出すようにして言ってきたのはライだ。
彼女は、じっと俺の顔を見つめたまま、下世話な好奇心と、心配を混ぜて尋ねた。
「総は今でも、伊吹さんのことが好きなの?」
全員の視線が、はっきりと俺に集まった気がした。
刺すような視線という比喩の意味を、身をもって体験している気がする。
特に女性陣の目と、オヤジさんの目が鋭い……ほぼ全員じゃねえか。
フィルだけが、少しだけ同情の視線を向けている。お前は癒しか。
だけど、俺はそれに、ハッキリとした返事ができなかった。
「分からない」
「……へ?」
「俺は、どうしても、その答えが出せない」
俺は胸を押さえる。その中に存在する心臓を握りつぶすつもりで。
それでも、そこは、何も答えてくれない。
胸を締め付けるような、引き裂かれるような気持ちを、そいつは忘れている。
微かな疼きがあるだけで、それが言語化できる大きさに成長していない。
心当たりはあった。
俺はこの世界に来てから、ある一つの感情だけが、はっきりと動いていなかった。
記憶を取り戻したときに、それに気付いた。
そして、今あるこれが、小さなこれがその感情だと、思う。
トライスが言っていた『完全には戻らない』とは、そういう意味なのだろう。
「俺は、伊吹との繋がりを失くさないため、そんな不純な動機があって『バーテンダー』になった。そしてずっと今日まで生きてきた。だけど、今の俺にあるのは、それだけじゃない。それだけじゃない気がするんだ」
上手く言語化できない気持ちを、必死に吐き出す。
この気持ちは、俺にだって、分からない。
「俺は伊吹に会いたい。会って話がしたい。だけど、それが恋愛感情なのか分からない。アイツにあって、初めてその答えが見える気がする」
会いたい。会って話がしたい。
だけど、それでどうする? 俺はどうしたい?
分からない。分からないけど、途中で諦めたくはない。
そんな中途半端な答えに、やっぱり皆は渋い顔をしているのだった。
「はっきりした事が言えなくて、ごめんよ」
俺は追加で、そう言っていた。
スイの方を見ながら。
スイは一瞬キョトンとして、それから、何かに気付いたように顔を真っ赤にした。
俺はいたたまれなくなって、少しだけサリーの様子も見る。
彼女は彼女で、やたらと不機嫌そうな顔だ。だけど、俺と目が合うと、恥ずかしそうに目を逸らした。
俺は頬をポリポリと掻いて、小さくだけため息を漏らした。
「小僧。お前まさか?」
オヤジさんが、その俺の態度を見てバツが悪そうな顔で尋ねてくる。
「まぁ、いくら俺でも、なんとなく、くらいは」
「……そうか」
「記憶が戻ってきたせいも、あると、思うけど」
つうか、あんなに分りやすくされて、気付かないってなんだよ。気付けよ俺。
斜め上の解釈なんてしてる場合じゃないだろ。
そりゃ人よりは鈍い自覚はあるけど、限度ってものがあるだろ。
これが、トライスが言っていた『日常を壊す』という意味なら、効果覿面だ。
俺はもう、今までのような態度で彼女達に接するのは難しい。
そんなことをしたら、心が張り裂けそうな気がする。罪悪感で。
「ち、違うからね! 私はあくまで総の保護者的観点から注意深く見ているだけだから! か、勘違いしないで欲しいから!」
俺とオヤジさんのやり取りの後、スイが顔を真っ赤にして答えた。
それに便乗するように、サリーの声が続く。
「わ、私もアレですわ! 総さんの師匠として不甲斐無い姿が心配で見ているだけですから! ほ、誇り高い吸血鬼が、そんな簡単に誰かに惚れるなどありえませんわ!」
サリーは精一杯の尊大な態度でもって、腕を組みながら発言した。
そうか、君達がそう言ってくれるなら、俺もなるべく気にしないようにしよう。
具体的なことを一切言っていないのに、そう受け取られたと悟っている──その時点で、半分以上は自覚があるだろ、というツッコミはしない。
尊厳に関わる問題だから。
「……もめ事だけは起こすなよ」
「……うっす」
オヤジさんの言葉に俺は頷いて、もう一度胸に手を当てた。
伊吹のことを考えると、やはりここはほんの少しだけ、しかしはっきりと疼く。
だけどそれだけじゃない。
スイやサリーのことを案じても、ここは少しだけ疼くのだ。
それは男女を問わない。
フィルでも、ライでも、オヤジさんでも、イベリスでもベルガモでも、果てはイソトマであっても。
俺がこの世界に来てから、縁を繋いだ人を思えば、心はほんのりと熱をもつ。
地球に居たころには、ひとりぼっちの頃は実感したことのない、不思議な感覚だ。
ふと、ずっと昔に伊吹が言っていた言葉を思い出した。
彼女は、あのとき、本当にひとりぼっちだった俺を抱き締めて、こう言った。
『この感情は、愛情だと思う。これが、親愛なのか、恋愛なのか、友愛なのかは分からないけど』
彼女の言葉を胸に抱いて、俺は今ここで生きている。
俺の行く先に、はっきりと彼女の影が見えている。
俺がカクテルを追うのは、伊吹のためだった。それをはっきりと思い出した。
しかし今は、それだけじゃない。なんとなくそんな気がする。
この道の先で、再び彼女に出会えたとしたら、俺は以前オヤジさんが言っていたことの答えを見つけられる気がする。
カクテルを世界に広めて、その先、俺は何がしたいのか。
今は、このままで良い。
この微かな胸のくすぶりを、大切にして進めば良い。
技術だけでない『カクテル』を、今度こそ飲ませてやれるように。
「こんな時間まで悪い。もう帰ろう、明日に響く」
俺が告げると、俺の大切な人達が静かにこっちを見て頷いた。
その優しさに触れながら、俺は、カウンターを出て彼女達に合流した。
待ってろよ、伊吹。
すぐに、お前にも辿り着いてやるからな。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
本当に、当初の予定を大幅にオーバーして長々と続いてしまいました。
少しだけ〆が弱いかなと思いつつ、三章幕間完結です。
ちょっと早足な気もしますので、もしかしたら大幅に修正するかもしれません。
が、話の本筋は変わりませんのでご安心ください。
今回も随分と伏線みたいなアレやコレがあるかもしれませんが、
まぁ、例のごとく大したことないですし、そのうち明らかになると思うので、
例のごとく気長にお待ちいただけると幸いです。
四章に関してですが、0402からスタートする予定です。
0401だとなんかエイプリルフールのドッキリとか思われそうなので。
内容はようやく『樽熟成』が関わる話になる予定です。
今までと舞台も変わりますので、出てくるキャラも結構変わります。
当然、話の毛色がまた変わることになると思います。
心機一転で、お付き合いいただけると幸いです。
それと、本日、書籍の第一巻を発売させていただきました。
お買い上げいただいた方には、この場を借りて感謝を。
ありがとうございます!




