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異世界転移バーテンダーの『カクテルポーション』  作者: score
第三章 幕間

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【X.Y.Z】(2)

本日、三話更新予定の一話目です。



【X.Y.Z】には、実は色々と解釈の方法がある。

 その並びがアルファベットの最後の三文字だということは簡単に分かる。そんな最後の三文字を取って、色々だ。


『もう後がない』とか『最後の』とか『これ以上ない究極の』とか『今夜はこれで終わり』なんて洒落たものもある。


 しかし、そのどれをとっても『終わり』を意味していることだけは間違いない。

 それをポジティブに捉えるか、ネガティブに捉えるかは、やっぱり人それぞれということだろう。


 だが、その味を知っていれば、とてもネガティブな意味にとる気にはなれない。


 香りは、レモンの爽やかさと、コアントローの少しじっとりとした甘さが混ざり合う。そこにラム特有の砂糖菓子のような、懐かしい雰囲気が仄かに漂う。

 口にすれば、その香りから感じる印象を全く損なうことのない、甘酸っぱい液体が舌の上を駆け回る。

 すっきりとした酸味。ジンほど特徴的ではないが、ラムの持つ程よい辛さ。そしてコアントローの包み込む甘苦い独特の風味。

【ホワイト・レディ】とも【バラライカ】とも違う。『ラム』をベースにしたときの、黄金比率の完成度を存分に味わうことができる。


 しかし、用心しないといけないのは、その度数だ。

 黄金比率で作られるカクテルは総じて強い。特に【X.Y.Z】などは、ラムの柔らかい飲み口に騙されるかもしれないので、注意が必要だ。

 気付いたら、お腹の中にまでグッと来るアルコールが、いつの間にか体中に広がって、その日の飲み会を『終わり』にしてしまうかもしれない。


 それでも、その完成度は『カクテル』の中でも抜群だ。

 ショートカクテルに挑戦しようと思ったのならば、是非とも一度は試してもらいたい一品である。





「うん。美味しい。本当に、驚くくらい美味しいよ」


 一口含んでから、トライスは感心したようにそう漏らした。

 その口調に一切の嘘は感じなかった。本当に、心からそう思っていてくれているようだった。

 それなのに、その表情はどうしてだか、少しだけ寂しげに見えた。


「まるでプロが作ったみたいだ」

「これでも一応、プロですので」


 彼女の表情は見ない様にして、俺は言葉にだけ返事をする。

 途端、彼女はふっと唇を歪めて、声だけはからかうように言った。


「ああ、もう敬語は良いよ。なに、私と総の仲じゃないか」

「……そんな大した仲は無いと思うが」


 俺が事実を指摘しても、トライスの表情は変わらなかった。

 だが、すぐに彼女は作ったように笑顔を浮かべて、俺に尋ねた。


「さて。話の続きかな。君は、何を聞きたいの?」


 振られたところで、ようやく俺は彼女に色々と聞きたかったことを思い出した。

 さっき、塊となっていた疑惑の全てを一息で尋ねるのは、どうかと思う。

 だから、たった一つのシンプルな問いを、まずは彼女にぶつけることにした。



「……俺の周りに現れていた『白い髪の女』ってのは、お前のことなのか?」



 あれだけ俺のことを知ったふうに言う女だ。

 こう尋ねて、それが誰のことなのか分からないという訳はない。

 事実、彼女は少し瞬きをしたあと、俺の目をまっすぐ見つめて、答える。


「そうだよ」


 簡潔な、誤魔化すことのない言葉。

 ふつふつと、俺は浮かんでくる疑問を言葉にする。


「ベルガモの件も、ギヌラの件も?」

「うん」

「双子の件も、彼らの記憶喪失も?」

「そう」

「双子の母親を、この店に招いたのもか?」

「全部私です」


 その清々しいまでの全肯定に、俺は一瞬言葉を失った。

 だが、トライスの全く悪びれる様子のない態度に、ふっと怒りが込み上げてきた。


「ふざけるなよ。いったい、何が目的でそんなことをしたんだ?」


 考えうる限り、最高級の睨みを利かせて俺は尋ねる。

 しかし、トライスは少しも怯むことはなく、静かな表情であった。


「目的かぁ……逆に聞くけど、例えば君はどう思う?」

「……どう、だと?」

「私は、いったい何がしたくて、君にそんな意地悪をしていると思う?」


 言葉の節々から、跳ねるような、楽しげな感情が滲んでいた。

 彼女がこれまで行ってきたことを思えば、どうしてそんな風に言えるのか。


 ……ん?

 俺はそこまで考えてから、先程の台詞のひっかかりに気付いた。

 トライスは『俺に』意地悪をしていると言った。『店に』ではなく『俺に』だ。

 それは、彼女の目的は『俺』個人に対する、何かだという意味か?


 それまでの出来事が、俺に与えた、影響……。


 ベルガモの一件では、俺が新しい『カクテル』を──既存のポーションを越える『カクテル』を作るのに悩んでいた。

 そんなとき、ベルガモが現れた。なし崩し的に彼の抱える問題に首を突っ込んだ。

 そして俺は『コアントロー』の存在に気づき、完成した【ホワイト・レディ】でポーション品評会の予選を通過した。

 更に言えば、店の人手不足も解消し、目下の悩みの種も消えたことになる。


 ギヌラの一件──正確にはギヌラが断った結果、この女が自分で動いた──では、その『コアントロー』がなくなったことで、代用品を探さざるを得なくなった。

 そんなとき、ヴィオラと、ベルガモの活躍があった。

 その過程で『パルフェタムール』を使うことになり、それが縁で、この街の領主様と有効な関係を結ぶこともできた。

 結果的には『コアントロー』を失ったおかげで、良い結果に結びついたとも言える。


 双子が現れたときもそうだ。

 俺が『ホワイトオーク』に研修に行くための手段を──店を任せられる弟子を欲しがっていたとき、双子は都合良く現れた。

 それも、目的も分からず、記憶を失った状態。やむを得ずでも、俺達が面倒を見ないといけないような、状況だった。

 あっさりと彼らは、俺の弟子という立場になった。


 しかし、彼らの親が現れたのは、彼らが多少の実力を身につけてからだ。店に居場所が生まれ、俺達が彼らを引き止めるほどの関係性が生まれてからだ。

 でも、おかしいじゃないか。

 この女が双子をこの店に案内したなら、彼らの事情を知っていて記憶を消したのなら──すぐに母親に連絡しても良かった。

 なのに、それをしなかったんだ。


 もしかしたら、俺が気付いていないだけで、他にも色々と動いていたのか?

 この女の行いは、店や俺からすれば、明らかな邪魔も含まれている。



 しかし、こと『カクテル』の発展に限れば。

 俺が求めたとき、それを乗り越えたとき、都合良く新しい何かが手に入るようになっている。


 そこまで考えたところで、俺はもう一度ハッとしてトライスを見た。

 彼女は、俺がその答えに行き当たるのが分かっていたかのように、再度尋ねた。



「もう一度、聞こうかな。総は私が、何をしたいんだと思う?」



 薄く笑みすら浮かべている彼女に、俺は戸惑いながら答えた。



「……まさか。俺に、協力したい、とでも言うのか?」

「……ふふ」



 俺の答えに、肯定も否定も彼女は返さない。

 しかし、その優しげな、さりとて寂しげな微笑みは、目を引くものだった。

 はぐらかされた答えを追及するように、彼女に言い募った。


「理由はなんだ? どうしてお前は、俺にそんなことをする?」

「どうして……かぁ」


 トライスは、もう一度【X.Y.Z】を口に含み、悪戯好きの子供のように笑った。


「このまえ会った時、言ったじゃないか」

「……悪いが覚えてない」

「もう。やっぱり記憶力が悪い」


 このまえ会った時。それは双子と連れ立って帰っていたあの夜だろう。

 彼女はなにか言っていたか? そんな決定的な言葉を俺は聞き逃していたか?

 トライスは呆れたような表情のあと、仕方ないなぁ、とため息を吐いて言った。


「今夜は月が綺麗だと思わない? って」

「……それがなにか?」

「言い換えよっか。月が綺麗ですね」

「……はい?」


 月が綺麗ってことが、いったい何の理由になる?

 俺が頭に疑問符を浮かべているところで、トライスは一層不機嫌そうに目を細めた。


「まさか通じないとは……分かった、説明するよ」


 トライスは、先生ぶった仕草で、物わかりの悪い生徒に教えるように答えた。



「『月が綺麗ですね』っていうのはね。私が君のことを、好きだって意味だよ」



 そして指先を、真っ直ぐ俺へと突きつけた。

 俺が、どんな誤摩化しをしても、許さないと言うように。


「……へ?」

「分かるでしょう? 私は君が好き。だから私は行動していた。オーケー?」

「……な、ふ、ふざけるな!」


 突然の言葉に俺は混乱していた。

 まったく見ず知らずの女に、そんなことを言われる意味が分からなかった。

 だというのに、この女が嘘を吐いているようにはとても思えない。

 それくらい、真っ直ぐに、この女は俺の方を向いていた。



「冗談はよせ。なんの理由も無しに人が人を好きになるかよ。だいたい、俺みたいな自己中で面倒くさがりで、酒のことしか頭にないような男を好きになる女がいるか?」


「その自覚バリバリな感じは、変わってないよね。そんなんだからモテないんだって、言った事も忘れちゃったのかな?」



 俺がはっきりと自分の欠点を暴露しているにも関わらず、トライスは慈しむように俺を見つめている。

 しかし、唐突に漏れた言葉にも、また気になることがあった。


「またお前はそれだ。忘れている? お前は、随分と俺を知っているみたいな口振りじゃないか? まるで俺達が、もともと知り合いだった、みたいな言い草だ」

「……………………」


 俺の言葉に、トライスは何も言わなかった。

 わざと話題を変えるように、彼女は周囲を見渡す。

 がらんどうになっている店内を見て、自分が座っているカウンターを見て、そしてカウンターを挟んで向かい合っている俺を見た。



「君にそう言われることが。いいや、君にそう言われてしまうのに、今は君のそばに居られないことが、私にとってどれくらい悲しいことかも、総は知らないんだよね。私のことを世界で一番良く知っているのは、間違いなく君のはずなのに」



 口を開けば、意味深なことばかり。

 それなのに、逃げるように肝心なことは言わない。

 彼女の言葉は、まるで実体のない幻のようだ。雰囲気も、態度も、ふわふわとして掴めない。

 知っている筈の何かと知らない何かが重なりあって、虚像と実像の間に揺れている蝋燭の火のようだ。


 トライスはグラスをもう一度手に取って中身を含む。

 そして、相変わらず寂しげな笑みを浮かべた。


「この【X.Y.Z】ね。本当に美味しいよ」


 ユラユラと表面を揺らし、ほぅと息を吐く。

 しかし、その後に鋭い表情で俺を見据えた。


「でも、それだけだ」


 その突き放すような言葉に、俺は胸を抉られたかのような痛みを感じた。

 どうして自分が、そんな風に感じたのかも分からない。


「本当に美味しいんだ。この一杯は、まさしく君の技術の粋。洒落た言い方をすれば、カクテルの『X.Y.Z』。君の技術の全てが込められている。本当に美味しくて、美味しすぎて、つまらないほど美味しいんだよ」


「……どういう、意味だ?」


「君の技術は感じられるけど、君の心がこもってない。機械みたいに正確で、君らしさをまるで感じない。レシピ通りの味だよ。百点満点しか付けられない、そんな味だ」


 褒められている筈だ。

 決して貶されているわけではない。

 それでも、彼女の言葉に、俺は深く深く傷を受けている。

 自分が今、どんな表情をしているのかが、良くわからない。

 だけど、それを言うトライスは辛そうな表情をしているのが、印象的だった。



「だから、私は今日ここに来た。これは完全に私の独断だけれど、それでも君に会いにきた。君を悩ませることになるだろうと、分かっていてここに来たんだ」


「……だから、なんなんだよ。さっきから、自分ばっかり分かった風なことを言う。お前は俺に何をさせたいんだ? なんの為にここに来たんだ?」



 俺は自分の胸を押さえながら尋ねた。

 いつの間にか、ひどく胸が痛む。彼女の辛そうな表情に、締め付けられるようだ。

 気付かぬうちに、頭にも酷い鈍痛が響いている。ズキンズキンと、最近はお馴染みになっていた、不可思議な痛みだ。

 それでも、目だけはトライスを離さぬよう、まっすぐに。

 彼女の、その綺麗な顔の歪みを、決して忘れないように。




「総。君は、自分が何かを忘れている、そう思ったことはないかな?」




 ドクンと心臓が跳ねた。

 あまりにも心当たりがありすぎて、反応すらできなかった。


「きっかけは私と接触したこと。それで、私と君の間のパスが刺激されて、開いてしまったんだろう」

「待て、どういう意味だ? 俺とお前の間に、パス?」

「そうだよ。私達は繋がっている。いや、繋がってしまっているが正しいかな。君が事故でこの世界に召喚されたその時からね。その時に、君の心と魔力は、私とおかしな繋がり方をしてしまった」


 分からない。

 何を言っているのか分からない。

 分からないのに、まるで彼女の感情が俺に流れ込んでくるみたいだった。

 辛くて、悲しくて、嬉しくて、切ない。

 こんな曖昧模糊とした複雑な感情は、なんだったろう。

 こんなにも、甘苦くて、心を縛り付けるような感情は、なんて名前だっただろう。


「そうだ。せっかくだから、一つだけ答え合わせをしよっか?」

「……なんのだよ」

「私がどうやって、魔術的に封鎖された部屋に入って『コアントロー』を盗み出したのかをさ」


 ぼやけそうになる視界で、しっかりとトライスを捉え続ける。

 彼女は何でも無さそうに、持っていたグラスを見つめながら呟いた。


《生命の波、古の意図、我求めるは魂の姿なり》


 その詠唱は、俺が良く知っているものだった。

 だってその詠唱は、俺の中から生まれたものだったから。

 俺の中の、原因不明の『第五属性』の力の中から、生まれたものだったから。


 詠唱が終わったところで、トライスの手の中のグラスは、ちっぽけな弾丸になった。

 しかし、それが異常であることも俺は良く知っている。

 この世界で、無機物をも弾丸に変換できるのは、『オリジナル』の俺だけの筈だ。

 だというのに、彼女はグラスごと【X.Y.Z】を弾丸に変えてしまった。


「簡単だろう? こうやって壁に穴を開けて入った。出るときは鍵を開けて出てきた。それだけだよ。この魔法は、魔力で防護されていようがお構いなしだからね」

「……どうして、お前がその魔法を?」

「言ったじゃないか。私と君は繋がっている。今は『君の魔法』だけれど、これはもともと『私の魔法』だよ」


 分からない。

 俺の持っていた知識が、根底からガラガラと崩れていってしまうようだ。

 いや、もともと、俺の持っていた知識なんて当てになるものではない。


 彼女の名前さえ、俺はまだ思い出せていないのだから。


「私の方にあったものを、少しだけ君に渡すよ。心配しなくても、人格が変わるわけじゃない。一部だから、すぐに完全には戻らない。だけど、そのせいで君は、今までの日常では居られなくなると思う」

「……だから……何を……?」


 次第に、意識が遠のいていく。

 体が重力に負け、地面に引きずられそうになるのを足だけで堪える。

 何かが、俺の中の空白を埋めていく。

 存在しない間は気付かなかったのに、それを認識した瞬間当たり前になったような。

 不可思議な心の動きが、俺の意識を覆いつくそうとしている。


「これは私の我がままだから、ごめんね。でも許してくれるよね? 総は私のわがままにはさ、なんだかんだ言って、付き合ってくれてたから」


 彼女の寂しそうな微笑みを見たとき、ついに一本の線が繋がった。

 俺の知っている彼女は、決して白い髪の毛ではなかった。

 だけど、こんな顔だけは美人の性格破綻者を、俺は一人しか、知らない。




「……いぶ……き?」




 俺がその名前を口走った途端、彼女は驚いたように俺を見た。

 そのあと、少しだけ嬉しそうに、最後の言葉を口にした。



「総、その魔力は自由に使って構わないから……『第五属性』を、そして『カクテル』を追って。その先で、もう一度、会おうね?」



 俺は、その言葉に応えることもできなかった。

 次第に薄れていく意識に、俺は自分を支え切れず、カウンターの中で闇へと落ちていった。


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