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異世界転移バーテンダーの『カクテルポーション』  作者: score
第三章 幕間

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双子の試験(11)

長くなってしまったので、今回は二話更新です。

その一話目です。

「あ」


 声と同時に、フィルがステアしていたグラスから氷が一つ零れ落ちる。落ちた氷はカウンターにカランと着地すると、そのままカウンターを滑った。


 お客さんの視線が、氷の軌跡をなぞる。


 少し不注意なミスだが、落ち着けばすぐに解決する問題だ。

 だが、事態は更に悪化する。


「も、申し訳ありませ──っ」

「ちょっと──っ」


 フィルは慌てて、コールドテーブルの上──まな板の両脇に置いてある濡れ布巾を手に取った。しかし、その上にはボトルが重なっていたらしい。

 サリーの悲鳴にも似た短い声の直後に、ゴンという鈍い音が、外から見えないカウンターの内側から起こる。

 その影響で、いくらかコールドテーブル上の器具達に影響が出たようだ。カランだのコツンだのいった音も連鎖的に発生していた。


 とはいえ、大目に見れば、これも些細なミスと言えるだろう。

 この程度で終われば。


「す、すみませんっ!」


 その連鎖は、更にサリーに続く。

 彼女は作業場をすぐに整理しようとしたのだろう。しかしタイミングが悪い。

 フィルがうっかり、バースプーンを挿しっぱなしにしていた作業中のグラス。

 そのスプーンにサリーの腕が引っかかり、グラスが横転した。


 幸か不幸か、グラスはカウンター側へと倒れ、満たされていた透明の液体がスーっと板面に広がっていった。

 その近くに座っていたお客さんは軽く驚いた声を上げ、荷物やグラスを持ち上げて退避させる。幸い、破砕はしていないのでお客さんが怪我をする心配はないだろう。


「ほ、本当にすみませんっ!」

「す、すぐに片付けますわ!」


 二人は即座に頭を下げ、そのまま勢いで行動に移ろうとする。

 しかし、焦っていた故に二人の動きはチグハグ。

 反対方向へと同時に動き出そうとした結果、鈍い音が聞こえてきそうな勢いで、ぶつかった。


「ゔぅつぅ」

「だたぁ」


 サリーは額を、フィルは鼻を押さえてうずくまる。

 その光景を見ていた、俺を含めたカウンター席の人間は、ほとんどが見ていられなくて視線を逸らした。


 しかし、そうでない、人種もいる。


「……あらまぁ。わが子ながら、無様なこと」


 どちらかと言えばこの様子を楽しむ目で、俺の隣に新しく座った銀髪の女性が言葉を漏らしていた。





「……それで、どうして来たんです?」


 事態が一段落するまで、カウンターの誰もが黙っていた。

 それまで息の合った動きで、余裕すら見える営業を行っていた双子が、いまは明らかにギクシャクとしている。

 その原因が、突然現れたこの女性であることは、火を見るよりも明らかだ。

 なにをするにも、二人のバーテンダーがチラチラと様子を窺っているのだ。

 自分たちと同じ銀髪の、その妖艶な女性を。


「どうしてって?」

「ですから、どうして今日、何の前触れも無く店に?」


 俺は内心で警戒しながら、その銀髪の女性──ラスクイル・キリシュヴァッサーへと尋ねた。

 しかし、相変わらずこの人は、読みにくい。

 意味有りげな、それでいてなんの含みもなさそうな微笑を浮かべて言うのだ。


「あら。私は何か許可を取らなければ、このお店に来てはいけないのかしら?」

「……いえ、それに当てはまるのは一人だけ居ますが、ラスクイルさんは違いますね」

「それなら、良いじゃない。ダメ?」


 俺の苦笑いすら、愛しいとでも言うように。

 この女性は、世の男をまるごと虜にする、可憐な仕草で首を傾けた。

 事実、俺達の様子をチラチラと窺っている中年連中が、揃いも揃ってガタガタと姿勢を正している音が聞こえた。


 本当に、とんでもない美人だ。これで年齢が三桁だというのだから、ファンタジー世界は侮れない。

 俺は内心の警戒を濃くしつつ、あくまで営業スマイルを崩す事無く畳み掛ける。


「ダメとは言いませんよ。ですが、事前に教えて頂ければ自分も接客に回りましたのに……実は今日はあの二人に初めて営業を任せた日です。なにぶんまだ不慣れですから、もう少し経験を積んだ頃に、二人もあなたに営業を見てもらいたいかと」


 適当な言葉を選んで言ってはみたが。

 本心を言えばこうだ。


『なに弟子の巣立ちの日に、前触れも無く現れてくれやがったんだ、この美人が』


 まぁ、俺の心くらいこの人ならば平気で読んでくるかもしれない。

 この人には俺の会話技術はあまり意味をなさない。それだけ、生きてきた、時代と環境が違うのだろうから。


 俺のスマイルに何を思ったのかは知らないが。

 ようやくラスクイルは核心的なことを言ってくれたのだった。


「それじゃつまらないじゃない。せっかく初めてが今日だと聞いたから、何の許可も取らずにお忍びで遊びに来たのに」


 なに考えてんだこの自己中美人は。

 どこかで情報を仕入れて、狙い撃ちで今日来たというわけだ。

 俺は僅かに目を細めて、少しだけ強い言葉で言ってみる。


「冷やかしですか?」

「愛情でしてよ」


 愛情という言葉もきっと間違いではないのだろう。

 だが、それ以上に『子供の成長と失敗をこの目で楽しみたい』と、雰囲気が告げている。

 というか何の許可も取ってないって、また外交問題の危機ってことかこれ。

 ヴィオラと領主様と、この人の執事のトリアスが、また頭を抱えることになる。


「それに、あなたとこちら側で飲んでみたいとも思っていたのよ。バーテンダーさん」

「はい?」


 せめて何の問題も起こさずに帰ってくれますように、と念じていたから素の反応をしてしまった。

 彼女はそれまでの妖艶な表情を僅かに緩めて、少しだけ真剣な顔をする。


「以前はゆっくりとお話もできませんでしたから。子供達のことも、あなたの口から詳しく聞いてみたいわ」


 そう答えたのは、さっきまでわが子の失敗を楽しんでいた女性とは思えない。

 純粋に、子供達とその周囲を案ずる、一人の母親に思えた。


「……良くやってくれてますよ。あなたが来てから緊張しっぱなしですけど、もう二人だけでもこうやって働けるくらいです……な?」


 俺はもう片方の隣に座っている、スイに同意を求める。

 彼女は先程からラスクイルに警戒の目を向けていたが、俺の言葉に、いつもより饒舌に反応をする。


「そう。二人とももう立派なバーテンダー。あなたが心配することはない」


 オーナーと店長の、強い主張だ。

 カラン、と氷の音がした。


 見ると、フィルが作り直している【ジン・トニック】の中で、バースプーンが僅かに狂ったらしい。スプーンの背を、グラスにぶつけてしまったのだろう。


 しかし、今度はそれだけ。


 俺達の信頼に応えるように、彼はそれ以上慌てることもなく、静かに作業を終えた。

 しかし、自分でそのグラスをこちらに持ってくるのを躊躇う。

 以前母親に飲ませたときの酷評が、脳裏を過ったのだろう。


「フィル君っ! 私達も注文お願い!」


 その逡巡の間に、フィルのことを気に入っている女性達から声がかかる。

 フィルは「はい、ただいま!」と答えた後、もう一人のバーテンダーに助けを乞う。


「……サリー」

「……仕方ないわねぇ」


 結局、フィルはすぐに他からの注文に取りかかった。

 そして、フィルが作ったカクテルは、サリーに運ばれてこちらへと向かってくるようだ。


 その光景に、やっぱり少しだけ呆れてしまうが、それでも、どうだという気持ちで俺はラスクイルに視線を向けた。

 彼らも、今は立派に成長しているのだと。

 しかし彼女は、そうじゃないわ、と首を振る。


「別に仕事の心配をしているわけじゃないのよ」

「……はい?」


 仕事の心配をしていないのなら、いったい何の話をして欲しいというのか。

 俺の疑問に、目の前の美人が面白そうに唇をつり上げる。


「だって二人とも下の方が未経験でしょう? 先輩のあなたに手取り足取り──ナニ取り教えて貰って、ちゃんとヤレてるかしらと」


 ガシャン。

 ガシャン。

 ガタン。


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 俺の視界外から、三つの音がした。

 振り返れば、すぐに何の音か分かる。


 一つは、自分の母親に持って来ていたグラスを盛大に落として割ったサリーから。

 一つは、作業中のグラスを将棋倒しにしたフィルから。

 そして最後の一つは、椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がったスイからだ。


「……あら? 夜のお仕事を教えて貰うっていうのは、そういう意味じゃないのかしら?」


 言いつつ、もの凄く面白そうな顔をしているラスクイル。

 それに最初に食って掛かったのは、顔を真っ赤にしたスイだった。


「う、ウチの店は健全な店ですから! そういういかがわしいお店と一緒にしないでください!」

「あらあら。その慌てぶり。まるで健全じゃないことに興味があるみたいね。お嬢さんったら、うふふ」

「なっ!? そ、そんなんじゃないもん!」


 また口調が変わっているぞスイ。

 そんなスイは、うーとかむーとか唸りながら、悔しそうに呻いて俯いてしまう。

 酔っているせいか、いつもよりも大分頭の回転が悪いらしい。理路整然とした反論が浮かんでこないようだ。

 それは論点のすり替えだ、くらい言ってやれば良いのに。


 と、スイがやり込められているうちに、落としたグラスにも構わずサリーが吠える。


「そんなの関係ないじゃない! だいたい、私を母様みたいな貞操観念の緩いビッ◯と一緒にしないでくださる!?」

「そんなこと言って、本当は自分に自信がないサリーちゃんだもの。実は、このバーテンダーさんにまったく見向きもされなくて、凹んでたりするんじゃないのぉ?」

「なっ、だ、誰が総さんなんか! ち、違いますわよ!」


 誰が『なんか』だこのやろう。

 と思っている俺だが、下手に突っ込むと事態を悪化させかねないので何も言わない。

 もっともそれ以上に、一応今はまだ客なので、もうしばらくは黙っているつもりだ。

 というか、既に彼女らは店で大声を出さないとか、そういったことを忘れているのではないか?

 

 最後に、その二人よりも顔を真っ赤にしたフィルが叫んだ。


「というか何で僕まで一緒なんですか! 男同士じゃないですか!」

「……性別なんて、関係あるの?」

「関係ありますよ! ありますよね!?」


 だからフィル、変なタイミングで俺を見るのはやめろ。

 ついでに、カウンター向こうのお姉さま方も、俺を睨むのはやめてください。

 というか、男同士なら夜遊びの話だろ。どうして俺とお前の話になるんだよ。

 俺はふぅ、と一つ息を吐いてからゆっくりと答える。


「あるに決まってるだろ。いや、そういう思想を否定するつもりはないが、俺は基本的に異性愛主義者だ」

「でしたら今夜とか、どうかしら?」

「お母さん。話をややこしくするだけして、こっちに振るのはやめて貰えませんか?」


 うふふ……ともの凄く楽しげな笑みを浮かべているラスクイルに、俺は怒りを通り越してあきれ果てていた。


 やっぱり、わざとだ。

 この女性の先程からの発言に、本気など一つもない。


 この吸血鬼の女王は、とりあえず自分が楽しむためだけに、この場を引っ掻き回しているにすぎない。

 スイをからかい、サリーをからかい、フィルをからかい。

 それによって起きる混乱を、どう収めようとするのか。

 子供達と、俺を試している。


 なんつう自己中だ。

 そして、そんな遊びを許してしまうとは、なんて情けないバーテンダー達であろうか。

 もちろん、俺も含めてだ。


「総!? まさか乗ったりしないよね!?」

「や、やめてください! 母様とあなたがなんて考えたくありませんわ!」

「総さん! その、いくら母様が美人でも、その人は!」


 方々から声がかけられ、店中の視線も、なんだなんだと集まっている。

 カウンターのお客さんは、それでも楽しんでいるみたいだから、まだ良い。

 テーブル席のお客さんは、こちらを怪訝な表情で見ている。


 とりあえず、後で怒るし、怒られる……な。

 それを覚悟で、やるしかない。

 俺は椅子から立ち上がり、大きく息を吸った。




「うるっせえんだよ! 黙れ落ち着け! そして仕事に戻れ営業中だ! サリーはさっさと掃除しろ! フィルは注文に取りかかれ! スイは座れ!」




 店内に響くような大声で、

 冷や汗を内心でダラダラと垂れ流しながら、


 俺はまず、店側の三人に指示を飛ばした。


※0329 表現を少し修正しました。

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