双子の試験(7)
「──ということがあったんですの」
やや早口でサリーが言い切る。
その話を静かに聞いていたスイは、じろりと俺を睨みつけた。
「総。ちゃんと謝って」
「……いや、俺は何も悪いことは」
「でも馬鹿にしたんでしょ? ここは目上の人がちゃんと謝る」
スイがどうして怒っているのかと言えば、サリーに開店前のやり取りを聞いたからだ。
それを聞いたスイは、どちらかと言うとサリーの立場に立って俺の糾弾を行っているわけだ。
……まぁ、どんな理由があろうと、馬鹿にしたのは事実だ。
「俺が悪かった。サリーは俺が居なくてもしっかり営業できる立派なバーテンダーです」
「よろしいですわ」
通り一遍の謝罪であるが、サリーはある程度満足した様子だ。
まぁ、彼女自身、俺が居なくなった後にでも、フィルに俺の意図を聞いたのだろう。だからきっと、仲直りの機会があれば、それで良かったのだ。
まだ少し緊張はあるようだが、このまま行けば営業終了まで問題あるまい。
俺達の和解に、スイはうんうんと頷いていた。
「それで、店はどんな感じなの?」
「見ての通りですわね。まだまだ始まったばかりですわ」
スイの質問に、サリーは素直に答える。
先程からある程度時間は経ったが、未だにカウンター席はそこまで混んではいない。
変化と言えば『俺が来ないわけないだろぉ!』と豪語していた常連、イソトマがカウンターの中央で豪快に笑い声を上げている点か。
スイは、カウンターを流し見て、サリーに優しく告げる。
「とりあえず、今日は売り上げとか、考えなくて大丈夫だから。自信を持ってね」
「い、言われなくても分かってますわ。見ての通り、堂々と振る舞っていますので」
スイの激励を受けて、サリーは少しだけ緊張を垣間見せる。
それでも、すぐに気を取り直して胸を張った。
「それではお二人とも。ごゆっくり」
俺達との会話もそこそこに、サリーはイソトマにやや押されているフィルの援護に向かうようだった。
残された俺とスイは、少し穏やかな気持ちで店内を見やる。
「どう、総。あなたが今まで見た事の無かった、こっち側の雰囲気は?」
「悪くないよ。思えば、客としてバーに行くなんて、この世界じゃしようが無かったから。とても、懐かしい気分だ」
日本で働いていたときには、良く勉強にでかけたものだ。
バーテンダーとしての賃金の大半は、勉強に消える。
お客さんと会話をするためには、様々なネタを仕入れないといけない。
お酒の味を覚えるには、舌で味わうしかない。
気持ちの良いサービスを行うには、実際に自分で体験しないといけない。
そのためには、趣味に使うお金もそこそこに、ひたすら勉強の日々だ。
カクテルを作る練習は、その殆どを水で行う。
シェイカーの中には、店で開けたシャンパンのコルクを集めて入れたものだ。
実際のお酒を使うのは、先輩に味を見てもらうその時くらいだ。
そんな練習の日々の合間に、有名なお店に勉強に行き、なけなしの金を握りしめて教えを乞う。
【ジン・トニック】一杯をとっても、バーテンダー毎に作り方は違う。
俺は最初に果実を絞るが、果実は後に絞る店も多い。
俺はトニックの炭酸を残すため、氷の隙間に注ぎ込むが、あえて氷に当てて炭酸を弱める作り方もある。
人によって多種多様。味の好みもまた、多種多様。
俺は色々なお店で色々なアドバイスを貰い、色々なカクテルの味をイメージ通りに作れる技術を磨いていった。
それがこの世界に来てからは、どうだっただろうか。
毎日が勉強の日々だったのは変わらない。しかしそれはどこか、自分の力を尽くしての挑戦の日々でもあった。
自分が築いて来た技術が、どこまで通用するかの試験のようだった。
純粋に客として勉強する機会は、ついぞ無かったようにすら思える。
それが今、バーの一客として椅子に座り、他の人間が笑っているのを眺めている。
そんな光景が、とても懐かしくて、そして何故か心を締め付ける。
キュウキュウと、苦しくなるような幸福感を感じていた。
「総? どうしたの?」
俺の隣で、スイが驚いた表情を浮かべて言った。
「どうしたって?」
「だって、今」
「今?」
今、どうかしたのか?
そう思った瞬間、目の端から一粒の雫が落ちた。
俺は自分の目元に手のひらを当てて困惑する。
「……あれ? 俺、泣いてる?」
「えっと、そんな感じではないけど、でも」
「……一雫だけ? あれ、なんでだろ?」
俺は目を擦ってみるが、それきり、何かが流れることはない。
それでも確かに一雫だけ、目から涙が零れ落ちていった。
「嬉し泣き?」
「……みたいだ。なんか、格好悪いなぁ」
「ううん。そんなことないよ」
俺は照れくさくなって誤魔化そうとするが、スイはぶんぶんと首を振る。
そのあと、彼女にしては珍しく、見て分かるほどに頬を綻ばせる。
ちょっとだけ、言葉を喉に詰まらせたあと、静かにそれを声にした。
「私も、総と隣同士でこうやって飲んでるのって、なんかすごく幸せな気分」
俺が今まで見た中でも、とびきり綺麗な笑顔だった。
思わず惚れてしまいそうなくらい、見事な笑顔だった。
『誰か』が隣に居て、こうして一緒に酒(この世界ではポーションだが)を飲んでいる。
そんな光景に、俺の心臓が僅かに鼓動を早めた気がした。
俺はスイの笑顔に何も言えない。
彼女の顔から目が離せない。
目を離すのが怖い。
目を離した瞬間。
彼女がどこか。自分の手の届かない所に行ってしまう気がする。
「……総?」
俺に見つめられているスイが、戸惑ったような、照れたような顔をしている。
口の中が乾いて飲み物を欲している。
だけど俺の手が伸びるのはグラスにではなく、彼女の頬へだった。
びっくりして目を丸くしているスイの頬を、俺は無許可で触っていた。
柔らかくて、温かい体温が、そこにはあった。
「……そ、総?」
「…………へ?」
スイが顔を真っ赤にしながら、俺に向かって声を上げる。
青い髪とのコントラストもあって、それもやけに綺麗に見えて。
俺はハッと我に帰り、すぐさま手を引いた。
慌てて頭を下げる。心臓の鼓動は、確かに早くなっている気がする。
「ほ、本当にすまん。なんか急に、その、確かめたくなって」
「え、えと、何を?」
「……体温を」
「……変態?」
スイの呆れたような言葉に、俺は何も言い返せなかった。
自分のことが良く解らなかった。
今までスイとはずっと一緒に居たのに。
さっき二人きりで食事まで取ったのに。
その時は、こんなにも心が締め付けられるような何かを感じはしなかった。
それなのに今は何故なんだ。
隣にいるこの少女に、見蕩れていた。
一緒にお酒を飲んでいるシチュエーションが、そうさせたのか。
それとも、酔っぱらっている自分の頭がおかしくなったのか。
俺は彼女の存在を、どうしてこんなにも意識しているのだろうか。
ジクジクと、頭の中に何かモヤのようなものが広がり。
その中からじわじわと、甘苦い感情が漏れ出しているようだ。
ズキズキと痛むような、それをやんわりと包み込む何かがあるような。
痛痒い霜焼けのもどかしさに似た、不思議な感情が俺の心を包み込んでいた。
俺は火照った頬を冷やすためグラスに手を伸ばすが、そこにはもう何も入っていなかった。
「えっと、なにか次、頼もっか?」
「そ、そうだな。そうしよう」
スイが気を使うように言い、俺はどもりながら返す。
その言葉を待っていたようなタイミングで、サリーが注文を取りに来た。
「では、お次は何に致します?」
「……えっとだな」
「オススメはこちらですわよ」
俺が答えようとすると、それを遮るようにサリーが一つ、冷凍庫から瓶を取り出した。
それは良く冷えた『テイラポーション』の瓶だった。
「テイラベースか?」
「いえ、こちらをショットグラスで、くいっと飲むのがオススメです」
すかさずサリーは、瓶の隣にショットグラスを一つ置いた。
ニコニコと張り付けたような笑みを浮かべているサリーに、静かに尋ねる。
「……それは、何故だ?」
「当店では、他のお客様のご迷惑になるような『お触り』は、禁止でしたわよね?」
サリーは相も変わらずニコニコしているが、なるほど、笑っていないことは分かった。
俺は以前、店の中であった出来事を一つ思い出す。
その日の営業中、若い女性が固まっている場所に、一人の酔客が絡んでいった。
穏便に引き離そうとするのだが、酔客はそこをどく気はないらしく、結構な絡み方で女性客に話しかけ続けた。
そしてあろうことか、次第に女性客の肩や頭などに触り始めたのだ。
女性客は見るからに顔をしかめているのだが、その酔客は知ったふうでもなく。
その段階になって、俺は『テイラ』の瓶を取り出して言った。
『はーいお客様。当店では他のお客様のご迷惑になるような『お触り』は禁止になっておりますのでー』
そして、俺の奢りでお客様に『テイラ』のショットをプレゼントしてあげたのだ。
存分に、気が済むまで。
つまり、サリーは先程の俺の奇行をしっかりと見ていたというわけだ。
救いを求めるようにスイを見るが、スイは顔を赤くしたままさっと目を逸らした。
……なるほど、確かに今の俺には必要な一杯みたいだ。
「……貰おうか」
「かしこまりましたわ」
サリーは嬉々として、ショットグラスに、とくとくとテイラを注いだ。
お情けで、ライムも一切れ、付けてくれる。感謝である。
「頂きます」
恭しくそのショットグラスを受け取り、ライムを左手に、グラスを右手に。
意を決して、俺はグラスの中身を干した。
口に含まれたテイラは、すぐには破裂しない。
だが味わう余裕はそこまでなく、俺はすぐにそれを喉に落とし込む。
かーっと口の中から、喉へ、喉から食道を通って胃の中まで、熱く弾けるような感覚が広がっていく。焼け爛れるような感触が残る。
そのまま爆発しそうな口内に、俺はすかさずライムを突っ込む。
歯で噛むように果肉を潰し、じんわりとしたライムの酸味が口内のテイラと混ざり合う。
荒れ狂う度数の暴力をライムが抑えつけ、口の中から華やかな熱帯気候の陽気が広がっていった。
その段階でライムを口から離すと、ほっとした吐息が漏れた。
頭の中までポカポカとするような、ふわふわとするような感覚が残る。
味わいとしては悪くないのだ。特にライムとテイラの相性は良い。あと塩もあれば尚更に美味である。
ライムを最初に口に含むやり方もあるが、俺はこの方が口の中が爽やかになる気がして好きだった。
問題があるとすれば、その瞬間を越えてなお、俺の腹の中で存在を主張するテイラと。
時間差で襲ってくるはずの、ガツンとした酩酊感であろう。
「……くぁぁあ。ご馳走様でした」
残ったライムをショットグラスの中に入れ、グラスをサリーに返す。
大丈夫だろうか。俺は今日、あまり酔うつもりはないのに。
「はい。お粗末さまでしたわ。おかわりもいかが?」
「遠慮させてくれ!」
サリーのにっこり笑顔に、流石に拒絶を示した。
本当に、テキーラの連続ショットとか、トラウマしか浮かんでこないからやめてくれ。
俺は許しを乞いつつ、次の一杯には【サラトガ・クーラー】を注文したのだった。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
遅くなってすみません。この謝罪も続けすぎてすみません。
作中ではテイラ(テキーラ)をショットで一気する描写がございますが、この主人公は特別な訓練を受けています。
決して安易な気持ちで真似をすることなどないようにお願い致します。
本当に、お願い致します。
※0229 表現を少し修正しました。
※0302 誤字修正しました。




