双子の試験(6)
「「いらっしゃいませ!」」
俺とスイが入り口のドアを開けると、元気の良い挨拶がすぐ耳に届いた。
見やれば、男性客と会話をしていたフィルと、洗い物をしていたサリーがこちらに気持ちの良い笑顔を見せていた。
もっとも、サリーのほうは俺の顔を見た瞬間、それが僅かに引き攣ったのだが。
そんなサリーに代わって、フィルが男性客との会話を切り、重ねてあるコースターから二つ手に取りつつ言った。
「総さん! スイさん!」
ホッとしたような、単純に嬉しいような、そんな笑顔だ。
お客さんから見たフィルというのは、こんな感じか。
以前女性客の一人が「飼い主を見つけた時の子犬みたいで可愛い」と言っていた意味が少し実感できた。
俺はさりげなく店内を見渡してみる。
スイと軽く街をブラブラしたあと食事をしてから来たので、時間は午後七時前。
テーブル席はほぼ満席。ライは丁度厨房へ注文を届けに行っているところらしく、後ろ姿だけが見える。
一方、カウンターはそれなりにまだ余裕がある。こちらが混み合うのは、もう少し遅い時間になってからだ。
「席は空いてるか?」
「大丈夫です! こちらへどうぞ!」
言いつつ、フィルは中央ではなく、端よりにコースターを置いた。
なるほど、試験というのをしっかり分かっているらしい。
バーにおいてお客様がどの席に座るのか。基本的にそれを決めるのはバーテンダーの仕事だ。
もちろん、お客様からどの席に座りたいという要望があった場合はその限りではない。
だが、そうでなければ、バーテンダーはお客様を見て、その方にあった場所へと席を誘導する。
例えば、人とたくさん話したいという明るい人なら、カウンターの端ではなく中央の席を選ぶ。
逆に、人と話すよりも静かに飲みたいという方であれば、人の集まる中央ではなく静かな端っこが嬉しいだろう。
その他にも、性別だったり、年齢だったり、お客さん同士の関係だったりを考慮して、バーテンダーはその人にあった席を選ぶ。
バーという場所で、いかにバーテンダーが楽しい空間を演出できるかは、席選びから始まっているのだ。
そしてフィルは、俺とスイを端のほうに通した。
俺達を中央に置いて会話に参加させるのではなく、少し離れた位置から営業を見ていて欲しいという気持ちの表れだろう。
そう考察していると、フィルと入れ替わりのようにサリーが近づいて来て、俺とスイへとおしぼりを手渡した。
「こちらをどうぞ」
「ありがとう」
まずスイに、次に俺へとおしぼりを渡す。
うむ、完璧な営業スマイルだな。目が笑ってないけど。
サリーはそれが済むと、対応はフィルに任せると言いたげに、洗い物へと戻る。
途中で、フィルが話をしていた男性客たちへと会話を振るのを忘れてはいない。
「どうします? 一応メニューをご覧になりますか?」
「そうだな。一応貰おうか」
「かしこまりました。少々お待ちください」
今回は、仕事ぶりを外側から見るつもりではあるので、とりあえずだ。
フィルはすぐ、カウンター内の棚、小物類がまとまっているスペースからメニューを一つ取り出した。
ウチには現在、メニューが二種類ある。
スタンダードなカクテルに絞った簡略化されたメニューと、カクテルに興味がある人のために細かいところも網羅した、カクテルブックのようなメニューだ。
フィルはその二つのうち、後者を選んだ。
メニューを開きながら、俺へと手渡す。
「ではこちら、メニューをどうぞ」
「はい。ありがとう」
もの凄く些細なことだが、メニューを手渡す際には最初の一ページは開いた方がいい。
その方が、お客さんの手間が僅かにだけ軽減されるからだ。
更に言えば、直前の会話でお客さんがビールを飲みたいのならビールのページを、カクテルが気になるならカクテルのページを開く。
そういった些細な気遣いは、積み重なって一つの満足に辿り着く。
まぁ、難しい話ではなく。
自分がされて嬉しいと思うことを、なるべく意識してお客様にしようという事だ。
「スイは、何か決めてるか?」
「ううん。でも、せっかくならカクテルにしようかな」
スイがその細い指先で、メニューのページをめくる。
まずベース毎、この場合は『ジーニ』『ウォッタ』『サラム』『テイラ』と項目が分かれており、その後に『その他のポーション』と一括りにして他の物がある。
しかし、これも出来上がってから結構経った。特に『その他』のくくりには、現在新たに棚に追加されたものが入っていないことも多い。
うーん。直してから研修に行くか、行ってから直すかは考えないとな。
「総? その辺りにするの?」
「ん? あー。いや」
俺がその他のページをまじまじと見ていたせいで、スイに尋ねられてしまった。
メニューからふと目を上げて、俺はフィルに聞く。
「今は忙しくないから、シェイクでも大丈夫か?」
「は、はい! 大丈夫です!」
ちらりと店内を確認してから、フィルは答える。
テーブル席のほうも、今の所カクテルに偏った注文が来る気配は無さそうだ。
身内なんだから、手間のかかるカクテルは避けようかとも思ったが、まだ暇らしいし。
「それじゃ。スイが好きなの選んでくれ。俺もそれにするから」
「え、ええ? う、うーん」
言いつつ、俺はスイに注文を丸投げした。
戸惑い、困ったように唸るスイ。これは、先程の多少の意趣返しでもある。
いや、確かにさっきのは俺が悪いんだけど、デザートだけで食事の分の総額を越えるとは思わなかった。
いや、ほんと、この世界のスイーツを甘く見てた俺が悪いんだけど。
少しくらい、スイを困らせても罰は当たらない筈だ。
「じゃあ。これ」
スイは少し悩んだあと、一つのカクテルを指差した。
「……【ダイキリ】ですね。かしこまりました」
その注文に応えて、フィルは微笑みを浮かべたまま静かに作業に入った。
「なんで【ダイキリ】にしたんだ?」
「なんとなく。私の中では、カクテルと言ったらコレ、みたいな」
スイは昔を懐かしむような目で答える。
俺も少しだけ、彼女と出会ったその日を思い出した。
そう。【ダイキリ】こそが、この世界で初めて作られた『シェイク』のカクテルなのだ。
「……カクテルか」
誰に向かって言うでもなく、そう呟いていた。
この世界に来て、再びバーテンダーをやっている自分を思う。
この世界で初めて、人と繋がった瞬間を思い出す。
俺にはカクテルしかなかったのに、そんな俺を必要としてくれた皆を思う。
そして、初めて俺を認めてくれたのは、他でもない。
今目の前にいる、この少女なのだ。
「……総? 何か言った?」
俺の視線に気付いたのか、それとも先程の呟きに気付いたのか。
スイに尋ねられて、俺はなんと答えたものか悩む。
そういや【ダイキリ】の話だったな。
「……いや、俺も好きだよって言ったんだ」
「……【ダイキリ】が?」
「【ダイキリ】が」
他に何の話をしていたのか。
俺は不思議なスイの追及に疑問を持ちつつ、フィルの動きを見ることにした。
材料を揃え、グラスを冷凍庫で冷やし、テキパキと作業に入るフィル。
バーテンダーの修行を初めてまだ一年も経っていないのに、随分と様になったものだ。
メジャーカップを覗き込む目は、真剣そのもの。普段のやや頼りなさげな態度はどこにも見当たらない。
もともと整った顔立ちも相まって、男の俺が言うのもなんだが、格好良かった。
と、思っていたところで、フィルは一度こちらを向き、言いにくそうに言った。
「あの、総さん。あんまり見つめられると、やりにくいです」
「……あのなぁ。見られるのも仕事って言ったろ」
「ですけれど、その」
フィルは声を少し細めながら、尚も食い下がる。
この辺りの自信の無さは相変わらずだ。
「ほら総。あんまり弟子をいじめちゃ可哀想でしょ」
「分かった分かった。集中して頼むな」
スイに言われて、俺は苦笑いで視線を移した。
視界の端で、フィルが若干ホッとしたように見えた。
俺がスイに向き直ると、スイはふと気になった顔で尋ねる。
「サリーの方は見なくて良いの?」
「……あいつとは、ちょっと開店前にやりあってな」
「やりあった?」
「まぁ、大したことじゃない」
ちょっと営業前にやる気を出させただけだ、とかいつまんで話す。
ふーん、とスイは頷くが、その後否定するように言う。
「でも、さっきからサリーは、こっちをチラチラ見てるけど。すごい気にしてるけど」
「……大したことじゃないって」
「本当に?」
「本当に」
ただちょっと、現在のサリーに目の敵にされているだけだ。
そう心の中で思っていると、フィルはシェイカーに材料を注ぎ終え、シェイクの姿勢に入っていた。
俺が教えたせいで、まな板にココンと打ちつける癖まで、移ってしまった。
だけどそのお陰で、その瞬間をはっきりと見る事ができた。
規則的な金属音が店に響く。
フィルのシェイクは、綺麗だ。
この店では見慣れた光景ではあるが、それでも目で追う人間は多い。
テーブル席で談笑していた家族連れも。カウンターで笑い合っていた男達も。
フィルが作る音の世界に、心を奪われていた。
俺がカウンターの外から見るこの景色。
この様子を見ていると、そんな筈はないのに、思う。
今が、この世界が初めてカクテルを自分の身に受け入れた瞬間なのでは、と。
俺が介在することなく。
俺を必要とすることなく。
カクテルが、この世界で初めて作られている瞬間なのでは、と。
その不思議な感動は、胸の内に溶けていく。
心地よい達成感を感じる一方で、俺の中の乾いた部分が囁いた。
だけど、まだ足りない。
これではまだ足りない。まだ何も果たせてはいない。
材料も、技術も、知識も、知名度も。
何もかもが足りない。
満たされない。
俺の目指すべき地点は、まだまだ、何も見えてはいない。
……目指すべき地点?
目指すべき地点とはなんだ?
一流のバーテンダーになること。それは目標として正しい。
目標として正しいが、目的はなんだった?
そもそも俺は、どうしてバーテンダーになったんだ?
酒が好きだから。それはあるだろう。でも十分じゃない。
ゲーム会社に落ちたから。それもあるだろう。でも十分じゃない。
何か、あと一つ。
肝心な、何かが、欠けて……?
「失礼します」
フィルの声に、俺は我に返った。
彼は逆三角形に取手が付いたような、特徴的な『カクテルグラス』を、俺とスイ、それぞれのコースターに置く。
この『カクテルグラス』は、カムイさんの工房にて作られた特別製である。それもまた、この世界がカクテルを受け入れた一つの証に思えた。
そんなグラスには、薄ぼんやりとだけ霜が張って、とても綺麗だ。
フィルはグラスの位置を確認したあと、まず俺のグラスへと液体を注ぐ。
シェイカーから流れ落ちる薄白の液体が、静かにグラスを満たしていく。
その途中、半分程度まで注いだら、フィルはそのままスイのグラスへとシェイカーを移した。
そしてスイのグラスに、一人分の容量、およそ60mlを注ぎ終え、再び俺のグラスに戻る。
俺のグラスに、最後の一滴までを注ぎ込み、シェイカーを切った。
カランという心地良い音を残し、フィルが微笑む。
「お待たせしました。【ダイキリ】です」
その声を受けたあと、静かにグラスに手を伸ばした。
良く冷やされたグラスが、指に冷気を伝える。
強く握れば折れてしまいそうなその棒状の取手をつまみ、俺はスイに視線を向けた。
スイもまた俺と同じようにグラスを持ち、それを少し掲げる。
俺は微笑みながら、頭の中で本日の祝うべき事を思った。
「それじゃ、双子の初めてのコンビ営業に」
「乾杯」
俺の口上に、フィルとスイが少し苦笑いをした。
スイとグラスを軽くだけ打ち合わせ、頂きますと一声かけてから、その液体を含む。
サラムポーションの力強さとライムの爽やかな酸味、そこにほんの僅かなシロップの甘味。
この世界で、初めて客として飲んだカクテルは、少しだけ拙くて。
それでも、すっきりとした未来を予感させる。そんな味だった。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
更新が遅れてしまい申し訳ありません。
また、作中のバーテンダーに関しての考え方はあくまで作者の知識に基づいております。
それがバーテンダーの全てであるということは全くありませんので、参考程度に考えていただけると幸いです。
※0229 誤字修正しました。
※0302 誤字修正しました。




