変な夢(11)
大変遅れてすみません。
本日、お待たせしていた分を含めての、三話更新になります。
その一話目です。
合わせるととても長いのですが、なるべく、一気にお読みいただけると幸いです。
白州蒸留所に向かうのに、俺達は朝の電車に乗った。
中央線の立川駅で特急に乗り換え、小淵沢までおよそ一時間半。
そこからは白州蒸留所へと向かうシャトルバスが出ていて、係員さんの案内に従いながら十時前に白州蒸留所へと辿り着いた。
世界的にも珍しいと言われる、森林の中に作られた蒸留所である。
二月だということもあって気温はかなり低いが、その分だけ澄んでいるように感じられた。
「んー。空気が美味しい」
バスから降りて、受付をさっさと済ませた伊吹が、俺の所に戻ってくるなり言った。
弓なりに背を反らせた姿勢が、動きやすく地味な服であっても、女性らしい凸凹を強調する。肩にかけたバッグも、それをなおさら盛り上げている。
バスには他の見学の客も大量に乗り込んでいたが、若い人間は多くない。さらに美人となるとなお少なく、伊吹が人の目を引くのだということを、久々に実感する。
俺は少しだけ早口で、彼女に言う。
「受付ありがとう。じゃ、行こう」
「うん? めっずらしく積極的……ははぁん」
何かに気付いたらしい伊吹が、悪戯好きの猫のように目を細める。
伊吹が予想したであろうことはそこまで的外れでもなく、しかしそれを認めるのは悔しい。俺は、はぁとため息を吐いて、歩き出す。
「待ちなよー。一緒に行こうってば」
「じゃあ、さっさと付いてくれば良いだろ」
「うん、そうする」
俺の返事に、伊吹はいつにも増してニコニコした笑顔を浮かべ、俺の隣にピタリと付いたのだった。
見学ツアーの受付を敷地内の博物館で済ませる。しばらく館内を見学していると、すぐにツアー参加者の集合がアナウンスされた。
二人でエントランスに向かうと、やはり先程まで一緒にバスに乗っていた面々が、その場に備えられた長椅子に腰を下ろしていた。
椅子の正面にはスクリーンがあって、そこに何らかの映像を映しながら、最初に説明をするようだった。
「楽しかったねぇ!」
「そうだな!」
そしておよそ一時間と少し位のツアーを終えた俺達は、少し興奮しながらお互いに感想を言い合っていた。
ちなみに俺達がいる場所は、施設内に併設されている、様々な白州の原酒が楽しめる試飲専用バーのようなところだ。
ウィスキーの製造方法を簡単に説明しよう。
まず、ウィスキーを作る際の大元の原料は何か。
答えは、大麦と水だ。
その他にもトウモロコシだったり、ライ麦だったりと色々な材料で作られるウィスキーは確かに存在する。
だが、特にスコッチウィスキーに代表される、シングルモルトと呼ばれるウィスキーは、大麦と水だけで作られている。
では『モルト』とは何か、答えは大麦麦芽のことである。
そして麦芽とは、麦の粒が発芽した時点で乾燥させたものである。この発芽という変化が、アルコールを生成するのに必要な糖分を、大麦のデンプンから作り出すのだ。
大麦を発芽させた後、ガスや炭、ピートなどを使って乾燥させ、それを粉砕した後に仕込み水と混ぜ合わせて麦汁を作る。
この仕込み水は『マザーウォーター』とも言われ、ウィスキーの風味を作り出すのに大変な役割を果たす。
出来上がる麦汁は、甘い麦茶みたいなものらしい。
その麦汁に酵母を加えて発酵させることで、糖分がアルコール(と炭酸ガス)に生まれ変わるわけだ。
出来上がったものは発酵もろみと呼ばれ、ようやく蒸留という過程に入る。
この場合の蒸留とは、アルコールと水の混合物から、アルコールだけを抽出して濃度を高めるという意味でだいたい合っている。
そうして出来上がった高アルコールの液体が、ウィスキーの原酒の元になる『ニューポット』である。
ここからは、樽での熟成になる。
ウィスキーは出来上がってすぐは無色透明の、他の蒸留酒と変わらない色合いだ。
ここから樽に詰め、数年から数十年寝かせることで、旨みを凝縮させた琥珀色の液体へと生まれ変わるのだ。
と簡単に説明すればこのようになる。
白州蒸留所の見学ツアーでは、それらをもっと詳しく、かつ実際に見て回れる。
木樽の中で発酵されていくもろみとか、実際に使われている蒸留釜とか、ずらりと並べられた樽の様子とか、それらの材質とかを丁寧に説明して貰えるのだ。
俺が特に驚いたことと言えば、白州を作る際の仕込み水が、実は同じくサントリーから出ている『南アルプスの天然水』と同じだと聞いたことだろうか。
最後には白州の原酒のいくつかを試飲させて貰い、解散という流れだ。
「しかし、お前楽しそうにメモ取ってたけど、何に使うんだ?」
「んん?」
先程までのツアーの内容を反芻するように、メモを眺めている伊吹に尋ねた。
彼女はツアー中、ことあるごとにメモを取っていた。
もろみのアルコール度数とか、蒸留釜は銅製だとか、樽の種類だ(バレルだのホッグスヘッドだの)とか、天使の分け前がどうとか。
案内員さんの言葉を一言一句漏らさぬように、せかせかとペンを動かしていた。
「後で見返すの。復習するのに使うでしょ」
「してどうするんだよ」
「また来た時には、もっと深く楽しめるでしょ。天使の分け前とか、友達にも説明してあげたいじゃん」
「……へぇ」
どうやら彼女にとっては、大学の講義も、蒸留所の見学も同じくらいの勉強になるようだ。その姿勢には頭が下がる。
ついでに天使の分け前とは、樽に入っている原酒が自然に揮発して量が減る現象のことである。その分を天使が飲んだのだと考える、ロマンチックな例えだ。
「何呆れてるのさ。君もまた来るんだからね。復習大事でしょ」
くだらないことを考えていた俺に、伊吹は少し鋭い声で釘を差す。
「え、おいおい、だから勝手に──」
「なに? また来たくないの?」
「……いや、是非ともまた来たいけど」
「だったら仕方ないなぁ。あとでコピーしてあげる」
「……どうも」
やや偉そうに言う伊吹に俺は降参の姿勢を示した。
満足げに鼻を鳴らす伊吹を見て、俺はなんとも言えない気持ちになった。
相変わらず、俺の意見を気にするんだか気にしないんだか。
「あ、準備できそうだから、取ってくるね」
伊吹はカウンターに注目すると、呼ばれても居ないのに目敏く注文の完成に気づき、うきうきと注文の品を取りに行った。
ここはいったいどんなバーなのかと言えば、先程軽く触れた通り、白州の構成原酒を試飲できるバーである。
そもそも白州の構成原酒とは何か。
それは白州を世に出すときに混ぜ合わされる、白州を構成している様々なウィスキーのことである。
白州は、蒸留したアルコールを樽で熟成させ、そのままポンっと出しているわけではないのだ。
例えば、麦芽を乾燥させるのに、ピートを使ったか使わないかで味は変わる。
例えば、蒸留釜の種類が、太くて短いものか細くて長いものかで味は変わる。
例えば、蒸留した酒を、なんの木材でできた樽に詰めるか、一体何回酒を詰めたことがある樽なのかで、味は変わる。
白州蒸留所では、そういった様々な種類の原酒を、まとめて一カ所で作ってる。
変化のある複数の原酒を、複雑に混ぜ合わせることで『白州』という一つの銘柄を作り出しているのだ。
「お待たせ」
ウキウキした様子の伊吹が戻ってくる。
手に持ったお盆には、五種類のグラスが乗っていた。
「それぞれなんだっけ?」
「えっと、さっきのツアー中に飲んだ『ライトリーピーテッド』を除いた奴だから、スモーキーな奴と、シェリー樽のやつ、あと『白州』と『白州十二年』に『ニューポット』かな」
それぞれ指差しつつ、伊吹はワクワクと目を輝かせていた。
それから、俺達は回し飲みをしつつ、それぞれの原酒または銘柄の感想を戦わせる。
ニューポットは荒くて焼酎っぽくて刺激的だとか。
シェリー樽は濃厚だけど、どことなく異端っぽいとか。
スモーキーはまんま煙っぽいだとか。
製品になっている『白州』は、やっぱりバランスが良いとか。
その先の予定なんかも忘れて、俺達はほんのりと酔いが回るまで、そこでうだうだと話し続けていた。
途中、伊吹がお手洗いにと言って消えたとき、俺はツアーの案内員さんが最後に言っていたことを思い出した。
蒸留所で働いている人間は、自分が関わっている酒について思うらしい。
今自分が詰めている原酒は、誰が開け、誰が飲むのか。
今自分が開けている原酒は、誰が詰め、誰が飲むのか。
そういった想像をしながら、一つ一つの過程に真剣に取り組むのだという。
それは以前、鳥須が言っていた想像力の話に、少し似ている気がした。
「お、いい景色」
満足行くまで試飲をした俺達は、次に白州の施設内にあったウイスキー博物館を見学することにした。
一階部分は、サントリーの歴史を簡単に勉強できるフロア。
二階から上は、それより遡って、古代の酒造りや錬金術による蒸留の発見、ウィスキーの密造時代の話や、酒場のはしりである『イン』や『タバーン』の話。
そして、日本における『トリスバー』の誕生など、ざっとウィスキーの歴史が学習できた。
俺達はそれこそ、他の人が飛ばしてしまうような説明までじっくりと読んでいたので、何時間もそこに居ただろう。
そして階を上って行くと、博物館は終わる。
その更に上には、展望スペースのような、見晴らしの良い通路が存在していた。
「総も早くこっち来なよ!」
「階段上って来たのに、なんでそんな元気なんだよ」
おいでおいでと手招きする伊吹に、運動不足故にヒーヒーと息を吐いて俺は並ぶ。
俺が追いついたのに満足した伊吹は、無意味に思える軽い背伸びをしながら、そこから見える景色を堪能していた。
「あれがサイロ(麦芽の貯蔵庫)でしょ。で、あれが熟成所で、お、見にくいけど蒸留釜のあったところ。うーん。あの雪が積もってる山は、なんて山だろうね」
「さあ。そういうのは調べなかったのか?」
「恥ずかしながら」
照れたように笑ったあと、自分も結構、酒に目がくらんでいたのだと白状する伊吹。
そのまま、俺達は暫くだけ無言で景色を眺めていた。
時刻はもうすぐ夕方になる。伊吹が他に調べていたワイナリーだのに行っている暇はないだろう。
「お腹空いたね」
「そういや、昼に何も食べてないな」
「どうりで酔いが回ると思ったよ」
「いや、そもそもお前そこまで強くないだろ」
とりとめのない話をして、また少し無言になる。
彼女はまるで、何かを待っているような気がした。
俺が、今日聞きたいことがあるというのを、薄々感づいていたのかもしれない。
「伊吹」
「なに?」
声をかけると、伊吹はさっきまでぼーっと景色を見ていたのが嘘みたいに、はっきりと俺の方を向いた。
その彼女の真剣な瞳に、俺は少したじろぐ。
「実は聞きたいことがあるんだ」
「何かな?」
にこりと笑顔を浮かべる伊吹。
俺はもうひとつだけ、息を吸い込んで、そして尋ねる。
「伊吹って、どうして情報工学科に来たんだ?」
「…………はい?」
少しだけ硬直した伊吹が、きょとんと尋ね返した。
「いやだから、お前はそんなに色々できるのに、なんでプログラムの勉強なんかしてるのかとな」
「……あー。なるへそ。今そういうこと聞いちゃうのか」
言いつつ伊吹は、何かを我慢するようにぐぐぐと拳を握りしめていた。
その顔が、とても複雑そうに歪んでいるのが分かる。
俺に自分のことを尋ねられたのが、嬉しいような。
それでいて、期待を外されて少し残念そうな。
「まぁ良いよ。でもなんで急にそんなことを?」
「いや。急にってほどじゃないけどさ。今日の様子を見てても思うよ。お前だったらプログラマーじゃなくてもっと違う何か。例えば、そこまで酒が好きだったら、それこそサントリーとかに就職しようって思っても、不思議じゃないのにってな」
本心だ。
伊吹はこれまで特別、プログラムに執着している様子を見たことがない。
やればなんでも出来るから、向いていないということはないだろう。
だけどそれは、なんにでもなれるということだ。
プログラムを選ぶ理由がないように思えた。
「……だったら、総にだけ。少し私の身の上話でもしよっか」
夕焼けを背にして、伊吹は一人、自分のことを語り始めた。
※0216 ルビが凄いことになっていたのを修正しました。
※0223 誤字修正しました。
※0416 誤字修正しました。




