変な夢(8)
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「そうだ、旅行に行こう」
俺がプレイしているゲームを見ていた伊吹が、唐突に言った。
ゲームを中断し何事かと彼女の顔を見る。
またろくでもないことを考えているような、にんまりとした笑みを浮かべていた。
今の俺達は、大学のレポートやらテストやらを全て終えて、長い春休みに入っていた。
去年は体調不良で単位を落とした伊吹も、しっかりとテストを受けていたので、順当に行けば来年も俺達は同じ学年ということになる。
そしてその休みに突入した今。単位のためにしばらく封印していたゲームを堪能しようというところに、同じく単位のために訪問を控えていた伊吹が来たというわけだ。
「どうした急に?」
「せっかく大学の長い長い春休みだっていうのに、なんで二人篭ってゲームしてないといけないのさ。これはおかしいよ!」
ズビシッとわざとらしく口で言いながら、伊吹は俺の顔を指差した。
「おかしいも何も、普段の休みも俺はこうだろ」
「それはそうだとしてもだよ? 大学生の春休み、うら若き男女二人、何してましたって、ゲームやってました? これはないと思うんだよなー」
「じゃあ、お前だけで旅行してくれば?」
「いやです。総も一緒に連れて行きます」
また突拍子もなく、面倒なことを。
軽くため息を吐いてから、俺は訪ねる。
「だからさぁ。俺が一人でゲームをやってるところに、お前が来てるだけなんだから。俺を巻き込んだ企画を勝手に考えるなって」
「だってー。クリスマスを二人きりで過ごした男女がさぁ。あれから何もないってどうなん?」
出しっ放しのこたつ机に顎を乗せ、じっとりとした声音で、伊吹が言う。
そのわざとらしい上目遣いに、最近はドギマギすることもなくなってきた。
「お前には色気がなくて、俺にはその気がない」
「枯れてんのかな?」
「うっせ」
ドギマギしなくなったからと言って、俺が彼女を異性として見ていないという話ではない。
あの冬の日に色々と話してから、俺達は多分、それまでよりも親しくなった。
はっきりとしていなかったお互いの存在が、見えた気がした。
俺は、ほとんど人生で初めて、他人のことを大切だと思うようになっていた。
だけど。
いや、だからこそ、俺達はそのまんまくっつく事もなかった。
正確には、焦ってそれをする必要性を感じなかった。
「ふふふ。でも私、本当は知ってるんだよねぇ」
「……何をだよ」
「総が私のこと、好きで好きでたまらないってこと」
「……あっそ」
俺がそっけなく返すが、伊吹は相変わらずニヤニヤとした笑みを浮かべている。
「それで、大事に思ってるから、しっかりと手順を踏んで、ゆっくり付き合いたいと思っていることも」
「…………」
「差し当たっては、私の誕生日とかにロォマンテイィックなレストランを予約して、とっておきのお酒を頼んで「今はまだ、安物だけど」とか言って指輪を──」
「それはない」
「言い過ぎた?」
てへっ、とわざとらしく舌を出した伊吹。
だが、彼女自身が言っている途中で恥ずかしくなっていたのは分かる。
途中でやたらと壮大なことを言い出したのは、俺のつっこみを待ってのことだ。
結局、俺達の間にある愛情とやらが、どういったものなのかだけは、まだ分からない。
だけど、俺達はお互いを、かけがえのないものと思っている。
少なくとも、俺はそんな気がしていた。
「……旅行って、どこにだ?」
「おっ、その気になった?」
「聞くだけ聞いてやる。興味がなかったら行かない」
俺はできるだけ嫌そうに、俺の意見を伝えた。
だけどこの時点で、どんな場所であろうと引きずられて行くことはなんとなく分かっていた。
彼女が行きたいと思う場所が、俺の気に入らない可能性は、そんなに無い気もする。
「多分、総も気に入るところだよ」
そんな俺の心の内を読むように、彼女は言った。
しかし、行き先を告げるでもなく、彼女は一つのボトルをどんと置いた。
それは、今日の手土産として持って来ていた一品であった。
「……白州?」
『白州』。
サントリー社から販売されているジャパニーズウィスキーだ。
サントリーからは、他にも『山崎』や『響』などの銘柄が出ているが、彼女が白州を差し出した理由は一つだろう。
「確か、蒸留所が山梨にあるんだっけか」
「そそ。ここからなら日帰りでも行けるし、総も気になるでしょ?」
蒸留所とは、文字通りウィスキーの製造や蒸留をおこなっている施設のことだ。
俺自身は出来あがったものしか飲んだことがないので、ウィスキーの詳しい製造方法については知らない。
その工程を見学できる蒸留所のツアーみたいなものがあるらしい。そんな話を以前伊吹から聞いたことがあった。
「気になるでしょ? 東京からなら、中央線に乗れば乗り換えなしで行けるんだ」
「へー」
東京から山梨までは、中央線という路線で一本に繋がっているらしい。
俺達の通っている大学も東京にあるので、行こうと思えばいつでも行けるみたいだ。
「というわけで、今から一週間後の予約を取りました」
「……は?」
急な断定に戸惑う俺に、伊吹はさっと何かを手渡してくる。
見てみるとそれは、綿密に計画されたタイムスケジュールである。
何時の電車に乗って、どこそこで特急に乗り換え。見学ツアーの時間はいつまでで、そこから先は何時の電車まで自由行動。
近場にあるらしいワイナリーや酒造所、果ては和菓子の店までも調査されていた。
「お、お前……俺の意見聞く気ゼロじゃねぇか」
「バレたか」
彼女の照れくさそうな表情に、俺はもはや、ため息すら出てこない。
ここまで計画されて、行きたくないと言えるのか。
「これ、俺が実家に帰る予定だったりしたらどうすんだよ」
「そこはほら。さりげなく情報収集して総が帰らないのはリサーチ済みだし」
相変わらず、俺のやることなすこと、見透かしてくる女だ。
少し詳しく見てみると、電車賃や見学に掛かる費用の記述があることにも気付いた。
その俺の視線を追ったのか、伊吹は慌てるように声をあげる。
「あ、大丈夫。電車賃とかは私が払うから」
その返答に、俺は少しだけ苛立った。
「だからそういうのやめろって。俺も払うよ。せっかく蒸留所に行くんだから、自分の金で見たいだろ」
「……あ、うん。なんかごめんね」
「謝るなって」
言いつつ、俺は自分の懐具合を少しだけイメージする。
……まぁ、大丈夫だ。買う予定のゲームを一本キャンセルすれば、事足りる。
「しかし、結構な過密スケジュールだな」
「そうだね。泊まりにすればもう少しゆっくり出来るかもだけど。総が嫌がるでしょ?」
「……なんで?」
「こんな美少女と二人きりで寝泊まりなんて、理性が大変だー、って」
言いながら、わざとらしいセクシーポーズを取ってみせる伊吹。
確かに美少女だし、スタイルも良い。男好きする体とかいう下品な表現も、きっと彼女のような存在に当てはまるのだろう。
ではあるのだが、その下半身はすっぽりとこたつの中なのだから、やっぱり締まらない。
「お前、自分がどんだけ俺の家で酔いつぶれて寝てると思ってんだよ」
「それはそれ、これはこれ」
俺が指摘すると、伊吹はすました顔で流す。
こいつ、俺相手になら何を言っても大丈夫とか思っているんだろうか。
「ほらほら? 普通の男の子だったら襲い掛かるようなシチュエーションだよ? なのに総くんってば指を銜えて見てるだけなんでしょ? 本当にへたれなチキン野郎だなぁ」
ちょっとだけ、苛つく。
「……で、白州もロックで良いのか?」
「ほら、やっぱり話題を変えるわけですよ」
「……良いのか?」
「お好きに?」
そのお好きにがどういう意味なのか。
伊吹は告げることもなく、挑発的に目を閉じていた。
しかし、その様子が先程のわざとらしいポーズのままなので、これが彼女の冗談の類なのは良く解った。
俺が最近は慌てなくなったので、少しだけ大胆なからかいに興じているのだろう。
…………。
「ほらほら、どうしたの──って、え?」
俺は立ち上がり、彼女の上半身を強引に倒して、またがった。
そのまま彼女の腕を押さえつけて、身動きを封じる。
余裕ぶって話していた筈の伊吹は、唐突な動きに目を丸くし、上に乗っている俺を呆然と見つめていた。
「……あ、あの?」
「…………」
「えっと、総?」
「…………」
「……あ……お、ぉぅ」
暫く俺が無言で彼女を見つめていると、戸惑いの声が次第に尻すぼんで行く。
そして、強張った表情で、ぎゅっと目を閉じた。
そんな彼女の頬を、俺は人差し指でぷすりと突く。
「いたっ!?」
「嘘吐け。そんなに力こめてないぞ」
彼女のビックリとした表情に、俺は呆れながら返した。
本当に、変な所でアホな女である。
その唐突な俺の攻撃に、むっとした表情をする伊吹に、俺ははっきりと告げる。
「一つ言っておくけどな」
俺は少しだけ声音を真剣にして、ぐいっと彼女の両眼を覗き込む。
怯えるような、何かを期待するようなその瞳に、俺は告げた。
「その気になれば、いつだって抱ける。だから、馬鹿なことはやめろ」
「……は、はい」
伊吹は、小さくこくりと頷いた。
それを確認して俺は立ち上がり、グラスの用意をしに台所へと向かう。
背を伸ばし、二つ分のグラスを戸棚から用意しているところ。
「……でもやっぱり。何もしないんだ」
背後からそんな声がぼそりと聞こえてきたが、聞こえなかった振りをした。
※0210 誤字修正しました。
※0424 表現を少し修正しました。
※1123 表現を少し修正しました。




