【ボストン・クーラー】(1)
「……たく、仕方ねえなぁ。ま、バーテンダーがちんたらやってたら怒るがぁ、家族が作ってくれるってんなら、多少は目を瞑ってやらぁ」
「ありがとうございます」
俺が頭を下げると、オヤジさんは急に目つきを鋭くさせて、俺を指差した。
「それと俺からもう一つだ。仕事中は敬語を使え。だが、仕事以外で俺に敬語を使うこたぁねえ。それも家族ってもんだろ?」
「……えっと、そこまでは」
流石に俺が遠慮を感じると、オヤジさんはまた不機嫌になって睨む。
「あ? 違うだろ? そこは一言こうだろ? 『分かった』だ」
俺は、迷った。
それはある意味で決定的な一言な気がしていた。
それを言うことが、自分の何か大事な部分を、一歩踏み越えることである気がした。
だけど、それも良いのかもしれない。
俺はほんの少しだけ、そうも思った。
「分かったよ。オヤジ」
俺は照れくさい気持ちを押し殺して言う。
すると彼は、少しだけうんうんと頷いたあとに、ぎょろりと目を剥いた。
「誰がてめえのお義父さんだごらぁ!? 誰がそこまで許した!?」
「言ってねえよ!? 分かった! 分かったってオヤジさん! これでいいか!?」
なんだこの罠。
しかし、言った後にオヤジさんは、だっはっはと大声を上げて笑った。
さっきの反応も、半分は冗談だったのだと気付く。
釣られて、俺も少しだけ苦笑いをした。
「それじゃ、次の一杯を頼むぜ。その一杯は、どうにもパンチがなくていけねぇ。ほら見ろよ。こんなに酔いがさめちまった」
一悶着の後に、平気そうに腕を広げてみせるオヤジさん。
しかし、叫んで動いたからか明らかに酔いが回っている。先程よりも立っているのが辛そうにすら見える。
とは言うが、そんなのは知ったことじゃない。
バーテンダーなら気にもするが、家で飲んでるときには、忘れたっていいだろう。
「分かった。じゃ、もう一杯作るよ。似た感じで良いで……良いかな?」
「任せる。さっきも言ったが、飲み物じゃあお前が上だ」
「了解」
言ってから、俺は手元にあった350mlのエール瓶を、干した。
流石に炭酸の一気飲みは、喉に負担がかかる。軽くむせた後に、俺は席をたった。
俺が作業台まで来ても、オヤジさんが席に戻る様子はない。
「どうしたんで……だよ? 別に席に戻っててもいいけど」
「せっかくだ。一度くらいお前の動きを、内側から見るのも良いだろ」
「照れくさいなあ」
俺が少しだけ恥ずかしがって言うが、オヤジさんは俺の頭を軽く小突いた。
『さっさとやれ』と声をかけられ、俺は『はいはい』と接客業にあるまじき返事をする。
「ちょっと離れててくだ──離れててくれ」
ああもう、さっきから敬語を使わないようにするのが慣れないな。
その度にいちいち訂正しているのが、どうにもぎこちない感じがして、恥ずかしい。
言われたオヤジさんは、素直に少し離れたので、俺は心置きなく作業に取りかかれる。
似た感じでもう一杯。
そう言ったときに、すでに答えは決まっていた。
俺は最初にグラスを二杯分用意した。
同じ大きさの、同じ物を二杯分。
コリンズグラスと言われる、比較的大きめの細長いグラスだ。
両方ともに清潔な布で拭いたあと、作業台に並べて置いた。
そのあとに、材料をさっと用意する。
冷凍庫を開け、普通のカクテル用の大きく角張った氷を取り出す。
それに足して取り出すもの、扱う基酒は『ラム』──『サラム』だ。
冷蔵庫からはレモンジュースと、先程も使ったジンジャーエールを。
そしてシェイカーも用意を忘れない。少し大きめのものを一つ用意した。
さて、材料にもう一つシロップがあるのだが。シロップは、良いか。
正式なレシピだと入れるものだが、俺個人の好みでは省いたほうが好きだったりする。
今はバーテンダーじゃないらしいので、好みを優先させて貰いますか。
「オヤジさん。俺流で良い、かな?」
「好きにしろっての。俺は何が来ても文句は言わねえよ。スイ特製以外ならな」
スイ特製ポーションには文句言うんだ。危険物か何かかよ。
と、意識が逸れたがすぐに作業に持ち直す。
レモンの果実をさっと水洗いしたあと、ナイフで縦に切る。六分の一のカットを、二つ分用意した。
それぞれ、先端と中央の白い部分を切除し、軽く切り込みを入れながらメジャーカップの30mlの側に絞る。
果汁を絞り終わった果実は、そのままそれぞれグラスに入れた。
あとは足りない分をレモンジュースで補って、シェイカーに30mlを流し入れる。
メジャーをすぐに裏返し、45mlの方でサラムを二回。計90ml計り入れた。
バースプーンで軽くかき混ぜ、手の甲に乗せて味を見る。
すっきりとした酸味が、生きている。
後はシェイカーに氷を詰め込み、蓋をする。
作業台の上で軽く締めたあとに、まな板にココンと打ちつけて、俺はシェイクに入ろうとした。
いつもそうするように横を向くと、目の前にオヤジさんが居るのに気付いた。
「……あ」
「……邪魔だってか?」
「……いや、そうじゃないけど」
俺は改めて、正面に向き直す。
十分な広さがあれば、向く方向そのものは実はどこでも良いのだ。問題はどの角度から見た方がかっこ良く見えるか。
それと、酔っぱらっているときなどにシェイカーが手からすっぽ抜けた場合、どの方向なら被害が少ないかだ。俺は一回だけやった。
そして、ゆっくりとシェイクに入る。
大きめのシェイカーだと、無駄な力が入りやすい。常よりも更に手首のスナップを意識して、軽やかにそれを振る。
腕を上げて、カシャリ。腕を下げて、カシャリ。
腕と言ってもそのものではなく、片腕の肘だけを上下させるのだ。そうすることで、無駄な力をなるべく省きながら、上下へと移動ができる。
伝わる振動とそれにシンクロする音が、夜空に光る星の声のように、ほとんど無人の空間に響く。
複雑で、細かくて、それでいて凛と響く、そんな音だ。
指先から伝わる温度が、中の状態を伝える。
もうすぐ、シェイカーの中の無限が、一つのまとまりを見せると教える。
手のひらまで冷気が伝わってくる前に、俺はゆるりとシェイクを終えた。
シェイカーの先端の蓋を開き、中の液体を二つのグラスに注いだ。
ついでに、左右の比率は二対八くらいである。
「おい小僧。量が違うみてえだぞ?」
「あー、すんません。酔ってるからちょっと手元が狂って」
「……たく。しゃあねえなぁ」
俺の下手な言い訳に、オヤジさんは呆れたように、少しだけ笑った。
ま、バーテンダーじゃないとは言ってもあれだ。
家族にだって、多少の気遣いはあっても良いだろう。
とはいえこれだけだと、俺の方が少し強いので工夫はする。
シェイカーの蓋を完全に取り去って、トングで二つのグラスに氷を詰めていくのだが。
オヤジさんの方には、氷を規定通り八分目ほどまで。
一方の俺の方は、半分程度までしか詰めない。
氷が少なければ必然的に、入る割り材の量は増える。
完璧を目指すわけではないので、こういう割り切り方もアリで良いだろう。
最後に、双方のグラスにジンジャーエールを注ぐ。
炭酸飲料は、氷に当てないように慎重に注ぐのが基本である。
だが、氷が少ない俺の方には、意図してやや乱暴に注いだ。氷と炭酸の関係もあるが、それよりもまず俺は、このカクテルは微炭酸くらいが好みなのだ。
最後に、バースプーンで上下に二回ほどステアしてやって、くるりと半回転させれば完成だ。
「お待たせ。【ボストン・クーラー】ですよっと」
俺はその二杯を、わざとらしくカウンターに置いた。それも、椅子に座って飲むために、こちら側から遠い方にだ。
オヤジさんは、カウンターから出ていこうと歩き出す。だが、その途中。俺に背を向けたままボソリと言った。
「……ま、相変わらず、器用なもんだな」
「どうも」
あえて、軽くだけ返事をした。
俺は再び道具類を片付け、オヤジさんが先に待っていた席の隣に座った。
そして、彼が構えていたグラスに合わせて、静かにグラスを持ち上げる。
「じゃあ、乾杯」
「乾杯」
酔っ払いのときのそれよりも静かにグラスを鳴らして、
俺とオヤジさんは、同時にカクテルに口を付けた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
急遽二回更新の二回目です。
なんか、これじゃまるでオヤジさんがヒロインみたいだなぁ……




