男の時間(1)
「ここだな」
ベルガモに導かれた末、俺達は一つの店に到着していた。
店名は『シノニム』。どういう意味だかは分からない。
パッと見は、小さめだがオシャレな洋食屋といったところか。
「オヤジさん曰く、この辺では結構有名な酒にこだわってる店だってよ」
「らしいよな。この世界だから、その酒が果たしてどれほどのものか」
「おい、上から目線は良くないぜ?」
ベルガモに諌められて、反省する。
確かに、この世界の酒にあまり期待していないのはそうなのだが、それでも店なりに工夫したお酒はたくさんある。
最初から見下した態度でいては、感じられるものも感じられない。
勉強する気持ちは、常に持ち合わせていないといけないのだ。
「じゃ、行こうぜー」
ベルガモの軽い声に頷き、俺達はそのドアに手をかけた。
「いらっしゃいませ、ベルガモ、マスター」
俺達がその店の入り口を通ると、落ち着いた挨拶。
だが、その後に続いた言葉が不思議だった。
ベルガモの名前を知っている様子だが、彼はここに来るのは初めてと言っていた。
そして、俺をマスターと呼ぶのは、店に来ている人間だけだ。
「んぅ?」
「あれ?」
その不可思議を、俺とベルガモが同時に抱いた。
そしてその疑問は、声をかけてきた男性の顔を見たことで氷解する。
その男性は、俺達に向かって、にかっと営業スマイルを浮かべた。
「えっと、キブシさん?」
「ようこそ私の店に。いつもと立場が逆ですね」
そう言って、カウンターの向こう側で面白そうに唇を歪める男。
キブシはイージーズに飲みに来てくれる客の一人だ。イソトマと並んでかなり初期のころから、カクテルを認めてくれていた。
来店頻度で言えば週一くらいの常連さんだった。
だが、俺は彼が飲食店を経営しているという情報を知らなかった。
「こういうお仕事をしていらっしゃるとは知りませんでした」
「隠してたからね。実を言うと、君のカクテルを飲んで、少しだけ恥ずかしかったんだ。同じ飲食店を経営している──と教えるのは」
「そんな、とんでもないです!」
俺は恐縮に肩を縮こまらせる。
するとキブシの隣に立っていた、彼の妻と思しき女性が快活に笑った。
「いつも夫がお世話になってます。この人、あなたの『カクテル』を飲んでから、ずっと言っていたのよ。『彼の一杯を飲んで、悔しく思わない同業者はいない』って」
「ソソマ」
キブシは諌めるように声をあげるが、ソソマと呼ばれた女性はふふ、と優しい表情で続ける。
「良いじゃない。あなたの試作品を大量に飲まされたのは私なんだから」
そう言われると、キブシのほうも何も言えない様子だった。
その後、気を取り直したように俺のほうを見て、やや挑戦的な表情になった。
「しかし、つい最近ようやく満足のいく品ができてね。フレンに、それとなく情報を流してもらうように頼んだんですよ」
「あっ、じゃあベルガモが聞いたのって」
俺がその推測に思い至ったと同時に、キブシは肯定の頷きを見せた。
詳しく聞くまでもない。
どうやらこの常連の男性、キブシはフレン──つまりオヤジさんとは旧知の仲らしい。
そんな彼が、つい最近なにか『満足のいく品』を作り出した。
それも、どうやら俺を意識した何かのようだ。
だから、キブシはオヤジさんを通して、遠回しに俺がここに来るように仕向けた。
俺とベルガモがたまに一緒に飲んでいることを知っているなら、ベルガモに情報を流せばいずれ俺達が現れるのは自明の理である。
自明の理ではあるのだが。
「なんでそんな回りくどいことを?」
「いやぁ、今まで隠して来たのに、自分からは言い出しにくいですからねぇ」
「それは、まぁ」
「にしても、こんなに早く来てくれるとは思いませんでした。流石、手が早いですね」
「…………」
果たしてその言葉は、褒められているのかどうか、難しいところだ。
俺とベルガモは、テーブル席に通された。
キブシの店は、イージーズよりも手狭だ。
カウンター席が六席ほどと、やや大きめのテーブル席が二つ。
規模的に十人強が入る感じである。とはいえ、教室を思わせる席数があるイージーズを思い浮かべれば、やはり狭い。
しかし、俺はその配置を見ると、少し懐かしさを感じてしまう。
「俺のもといた世界でも、個人経営の居酒屋とか、小さいバーとかはこんな感じだった」
「ふーん。そういうのって変わらねぇんだな」
俺が過去に思いを馳せるのだが、ベルガモはあまり興味がなさそうだった。
しかし俺はかまう事無く、少し疑問に抱いていることを口にする。
「しかし、妙だな」
「おん? なにがよ?」
「俺達が二人なのに、テーブルの方に通されたのが」
俺の言葉に対し、ベルガモは不思議そうな顔で続きを待っている。
「いやさ、こんなに空いているんだったら、カウンターに案内するのが普通だと思って」
俺達が来たのが早めの時間だったせいか、店内にはまだ客が居ない。
となると、カウンターであっても、二人が並んで座るスペースは大いにある。給仕のしやすさを考えると、店側としてはカウンターに座って欲しい筈だ。
だが、キブシはなぜか、俺とベルガモをテーブル席に案内したのだ。
「このあと、結構混むからカウンターを空けときたかったんだろ?」
「……まぁ、そういう可能性もゼロではないけど……」
どうにも腑に落ちない。
ふと隣のテーブル席を見ると『予約席』の立て札があった。
もう一つのテーブル席も予約、つまり埋まっているならますますおかしい。
テーブル席は、カウンターに飛び飛びでしか空きがなくても、複数人の来店を受け入れるための最終手段だ。
それを、考え無しにこんな序盤に埋めてしまうなんて、いったいなぜ?
「いいから頼もうぜ。総は行く先々の店でそういうの気にしすぎなんだって」
「あ、すまん」
俺が変に考え込んでいるところで、ベルガモから催促の声がかかった。
そこで俺は、テーブルに備え付けられていた簡素なメニューを見る。
野菜とオリーブのピクルス。
山菜サラダ。
ミートボール。
などなど、定番のメニューが並んでいる。
品的には、タパス(スペイン風のオードブル)が近いだろうか。飲みながら食べるのに適した小皿料理が中心に思える。
もう一つ別のメニューがあって、そちらは飲み物だ。この世界のワイン事情もあまりよろしくないのだが、それでも選び抜かれたボトルが並んでいるように見える。
流石は酒を売り出す店だ。
形式的に言って、ほとんどバーと言っても良いだろう。
ダイニングバーという言葉は、この世界にはまだ無いようだったが、酒さえ美味ければ、バーはもっと広がっていてもおかしくないのだ。
とここまでメニューを見て来たが、目を引くのはそこではない。
さらにもう一つの、追加メニュー。
恐らく、キブシが自信をもっておすすめしていいる、一品がある。
『シノニム特製エール。新発売!!』
ほとんど確信できる。
これが、キブシが俺達に自身の店を明かした理由だ。
「どうするベルガモ?」
「行くっきゃないだろ?」
「だよな」
俺が試すように言えば、ベルガモもまた促すように返す。
この辺りのノリが、本当に付き合いやすくていいものだ。
「キブシさん。特製エールを二杯!」
「かしこまった!」
それから追加で色々と軽食も頼み、俺とベルガモはその特製エールを待った。
「おまちどおさま。『シノニム特製エール』です」
ほとんど時間を置くことなく、俺達の前にその一杯が姿を現した。
まず気になるのはそのグラス。
それが、うっすらと冷気を放っているのだ。
「キブシさん。冷蔵庫がありますね?」
「流石に分かるね。正直に言えば『機械』を使おうなんて、君のカクテルを飲むまで思ったことはなかったよ。存在すら知らなかった。だけどそれを知ってしまえば、どうして欲しがらないでいられるか」
俺の質問に、キブシはふふ、と満足気に頷いてみせた。
出て来た液体が、冷えている。
ただそれだけのことが、この世界では革命的な出来事であるのだ。
俺の作った『冷えた飲み物』の世界が、こうして現実的な形で広まっているのに、不覚にも少し感動した。
それと同時に、少し同情した。
「……高かったでしょうに」
「言わないでくれ。ソソマには今、頭が上がらないんだ」
俺が欲しかったのは『コールドテーブル』だったので単純比較はできない。それでも値段の想像くらいならできる。
ずん、と落ち込んだキブシの顔から、それほど間違っていないのも分かる。
「おいやめろよ。なんでいきなり酒が不味くなるムードにすんだよ」
ベルガモの呆れ声に、俺とキブシは揃って正気に戻った。
おほん、とキブシは咳払いして、ささと再び『特製エール』を勧める。
「しかし、問題は味だよ。さあ、飲んで見てくれ」
キブシに促され、俺とベルガモはグラスを手に取る。
色合いが不思議だ。この世界のエールがかなり濃い茶系の色をしているのは、いつものことだ。
しかし、この一杯は更に赤みがかっているように見える。
この色の正体は……?
ふと、視界の端で、もう待てないとベルガモは微かにグラスを振っているのが見えた。
俺は苦笑いを浮かべ、乾杯、と軽くグラスを当てて、口に含んだ。
瞬間、口の中に広がったのは、エールの持つ風味。
そして、ラズベリーの、甘酸っぱい柔らかさだった。
「フルーツビール!?」
口を離すと同時に、俺はそう叫んだ。
そう、それはこの世界で初めて飲んだ『フルーツビール』だった。
フルーツビールとは、ビールと果汁の美味しさを合わせたような飲み物だ。日本では特にベルギー産のものが有名だ。
製法自体は詳しくは知らないのだが、小麦を主体にしたビールと、カシス、苺、桃、りんごなど、様々な果物の組合わせが存在している。
慌てて、俺はグラスをもう一度傾けた。
まず、ふわりとした香りが、鼻を通って流れていく。
すぐに流し込んでしまう前に、ここで堪能するべきだ。
麦やホップの、腹をくすぐるような香ばしさ。その中に、太陽を受けて赤みを帯びたベリーの芳香が混じっている。
すかさず口に含めば、舌に広がるほんの微かな苦み。
だがすぐにそれを上書きするような、ラズベリーの甘さがくるのだ。
なんと表現するのが的確なのか。実を言うと、俺もそれほどフルーツビールには明るくないので、なんとも言えない。
苦み自体はほとんどないが、風味が消えてしまっているわけではない。
後味もやはり甘い。その甘さの後に、踏まれて消えかけていたエールの風味が、小麦が踏まれて起き上がるように再び頭をもたげてくる。
そのなんと爽やかなことだろう。
総評すると、甘さがかなり前面にでている印象だ。
ビールが苦手な人間に向けた、ビール感覚の大人のジュースといった赴きか。
「どうかね? 君の店で飲ませて貰った『シャンボール』にヒントを得たんだよ」
俺のリアクションが思ったよりも良かったのか。
キブシは得意気な表情で、俺の返事を待っていた。
『シャンボール』とは、ブラックベリーとラズベリー、それにハチミツの甘さを持ったベリー系のリキュールだ。
由来は十七世紀フランスで、ルイ十四世が宮廷をおいたシャンボール城にて貴族達に振る舞われていたリキュールからとされる。
もっとも、実際にはコニャック(ブランデーの区分の一つ)のエキスが使われているため、今出しているのは『シャンボール(仮)』なのだが。
「君が『シャンボール』は紅茶と相性が良いと言っていたのを思ってね。紅茶の苦みと相性が悪くないのなら、エールとの相性も悪くないのではと」
「だから、フルーツビールですか」
「うむ。君の店では、まだ『ビールカクテル』は無いみたいだったしね」
ふふ、と俺に向かって笑顔を見せているキブシから察するに。
俺は相当、悔しそうな顔をしているのだろう。
先を越された。
それが俺の純然たる思いだった。
今、俺は『ポーション』を中心に『カクテル』を振る舞っていた。
それは、働いている店が『スイのポーション屋』であるためである。
現在の主目的の一つは『ポーション』を気軽に飲める文化を広げること。
『ポーション』を嗜好するという思想が根付くまで、実際のアルコールと絡めて行くのは見送るつもりだった。
だから『エール』や『ワイン』など、この世界で『酒』として扱われているものを使ったカクテルを意識的に排していたのだ。
だが『ポーションを嗜好する感覚』が根付いた人間ならば、思うだろう。
なぜ『エール』や『ワイン』を使った『カクテル』を作らないのか、と。
そして、その疑問を自分で消化し、答えを導いた人間がここにいた。
「キブシさん。あなたが買って行った『シャンボール』のボトルは、役に立ちました?」
「大いにね。そちらにも少し、使わせてもらっているよ」
どうやら、俺は(商売)敵に塩を送ってしまっていた様子だった。
降参するように、俺ははぁ、と息を吐いてから言った。
「悔しいですが、とても美味しいです」
「本当かね!」
俺の降参の声を聞き、キブシはぐっと拳を握りしめた。
彼もきっと、俺のカクテルを飲んで彼なりに思うところもあったのだろう。
奥さんの言葉を思えば、相当に悔しい思いをしていたのだ。
ここは大人しく勝ちを譲るさ。
まぁ、別に、勝負とか、してないけどな。
「ただよ」
そんな俺とキブシのやり取り静かに見ていたベルガモが、ぼそりと言った。
「これ、男がエールのつもりで頼む最初の一杯には向いてないよな。甘いし」
「…………まぁ」
「…………ですかね」
俺とキブシは、小さな声で答えた。
結果。
『特製エール』は後で飲むために置いておいて、俺とベルガモは普通のエールを頼み直したのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
遅くなりましたすみません。
今回フルーツビールを軽く紹介させていただきました。
作者本人も詳しくはないので、追求はあまりしないでいただけると助かります。
また、描写の参考に『リンデマンス フランボワーズ』という品を使わせていただきました。
ただ、こちらの商品に『シャンボール』が使われている、という事実はないので、ご理解いただけると幸いです。
あくまで、フィクションの中での出来事です。
(余談ですが『シャンボール』のビール割りは、意外と美味しいと思います)
※0109 誤字修正しました。




