変な夢(5)
俺は散々咳き込み、鳥須は慌てて水の入ったグラスを差し出す。
「ご、ごめんっ! 大丈夫?」
若干申し訳なさそうにしている鳥須。
俺は受け取った水を飲み干したあと、鳥須を少し涙目で睨みつけた。
「……まぁ、不味くはなかった」
「えっと、ごめん」
「謝るなよ。俺が恥ずかしいだろ、クソ」
そういえば、ウィスキーはアルコール度数の高い酒だった。
勢いで行ったは良いが、飲み慣れていない強い酒なんだからもっと警戒すべきだった。
人前でゴホゴホとむせるのは、ちょっと恥ずかしかった。
「ごめんねー。うん、最初にストレートで味わって貰いたかったんだけど、やっぱり強かったよね」
「だから謝るなっての。これで満足か? 確かに、俺が知らない──」
「待って、もう一杯」
俺が素直に謝罪をして終わらせようと思ったところで、鳥須は待ったをかけた。
そして何をしだしたかと思えば、先程と同じグラスをもう一つ用意し、同じようにデュワーズを注ぐ。
そのあと、今度は『水』を、ウィスキーと同量注いだようだった。
「これはトワイスアップって言うんだ」
「ストレートで俺がむせたから、気を使って薄くしたのか」
「違うよ。これはこれで由緒ある飲み方なの。同じように、飲んでみて」
差し出されたグラスに、俺は目を落とす。
色合いはほんのりと薄くなっているのだろうが、良く分からない。
口に近づけてみると、不思議なのは香りだ。
順当に思えば、香りそのものも薄くなってしかるべきだとは思うが、まるでそんな気がしない。もしかしたら強くなっているかもしれない。
「今度も、ゆっくりと飲んでみて」
そして促されるままに、俺はまた恐る恐る、液体を口に含んだ。
舌先に広がる甘みが、先程よりも強く、はっきりと感じられた。
さっきまで凝縮されていたそれが、水を得た事で広がり、繊細な情報として受け取れるようになったみたいだった。
変化があったのは味の入り口だけではない。
舌に広がったその味は、やはり先程よりも鮮明に、刺激的な快感を伴って薄く広がっていく。
鮮やかになった風味は、穏やかに口の中を叩いてまわる。その刺激は、先程そのまま飲んだときよりも俺の舌に馴染む。
まるで系統は違うが、七味唐辛子のような旨みと刺激の合わせ技が、アルコールに乗ってマイルドにしみ渡るようだ。
そして、それをゆっくりと呑み下す。
これでもまだ刺激は強いが、今度はどうにかむせることもなく流れていった。
そしてまた、驚く。
軽く鼻で息を吐くと、ゆったりとしたコクが鼻の内側をなぞるようだった。
「…………コホッ」
と、油断していたところで一つだけ咳が出るが、よほどマシだ。
「……それで、どうだった? 想像ができた?」
問われて、それに大人しく答えるのは癪だった。
濃縮されたストレートと、細分化されたトワイスアップ。
どちらも俺に衝撃的なイメージを植え付けていた。
今まで知らなかった味わいというものを、教えられた気分だった。
アルコールの暖かさが、胸の内に満たされているみたいだ。
それを、どちらかといえば苦手な部類の人間に教えられた、と認めるのは嫌だった。
「確かに、美味しいよ。酒なんて酔う為のものだと思ってたのは、間違いだった」
嫌だったが、それ以上に嬉しかった。
思えば、俺の心は大学に入ってどう変化していただろうか。
適当な人間関係で、適当にやり過ごして、それで課題をこなす毎日。
新しいものなんて何も無かった。灰色だった。それが嫌とも思っていなかった。
そんな世界に、琥珀色の鮮やかな刺激が走った。
今だって、灰色が嫌なわけじゃない。
だけど、この琥珀色を少しくらいは楽しんで良い気がしている。
だから、嫌だけど、礼くらいはしておくべきだろう。
「ありがとう鳥須。教えてくれて」
「……いやー。偏屈っぽい君に、そこまで素直に礼を言われるとは。照れますね」
鳥須はやや恥ずかしそうにはにかみ、そしてデュワーズのボトルを手に取った。
「デュワーズはね。アメリカで一番飲まれているスコッチ。それってなんでだと思う?」
「……なんでって、値段と味のバランスが良いから?」
「かもしれないね。でもそのバランスを作るのは、人間なんだよ」
鳥須は、唐突に語り出した。
俺はそれを大人しく聞く。
「デュワーズに限らずウィスキーはみんなそう。このお酒は、ニューポット──蒸留を終えてから、実際に製品として出すまでに数年から数十年の間がある」
「それはまた、大層なもんだな」
「だから、想像するんだよ。樽に詰めるときや樽から出すときに」
想像。鳥須はそれが酒にとってとても大事なものだと感じているようだ。
彼女は、静かに話を続ける。
「樽に詰める時なら、これが眠りから醒めるのはいつになるのかとか。樽から出すときは、これを詰めてくれた人はどんな思いだったのかとか。そして、製品としてのウィスキーを世に出すのなら、これをどんな人が飲んでくれるのかとか」
「……デュワーズの場合は、それがアメリカ向けだってことか」
「そうじゃない。その思いを受け取れる人が、たまたま多かったってこと」
たった一杯のウィスキーに、そこまで想像している人間がそんなにいるのか。
そう思っても、俺が口に出すことは決して無い。
少なくとも、その思いを受け取ろうとしている人間が、ここに一人いる。
それが滑稽なことだとは、とても思えない。
「だから想像力。これから君がどんなお酒を飲むとしても、それが一番大事。ね?」
「……そう、か。分かったよ」
俺が頷くと、鳥須はまた曖昧な笑みを浮かべていた。どうやら言いたいことは全て言い切った様子だ。
俺はそれを確認したあとに、帰り支度をはじめる。
鳥須は、それを酷く不思議そうに見つめてくる。
「ん? 夕霧君どうしたの?」
「用事は済んだんだろ? 帰るんだけど」
鳥須の問いかけに、俺もきょとんとした表情で答えた。
その返答に、鳥須はやや慌てた口調になった。
「え? 君は今、お酒の魅力の入り口に立ったところです。オーケー?」
「? そうだな」
「だったらこの後、この伊吹お姉さんに『お酒ってすごい! もっと教えてください!』って言ってくる流れでしょ?」
「は?」
鳥須が急に意味の分からないことを言い出したので、俺は思わず呆れ声が出た。
「なんでこの先、関わることもない女に教えて貰わないといけないんだ?」
「えぇ!? いやだって、普通これから仲良くなるところでしょ?」
「俺は別に、お前と仲良くなりたいなんて思って無いけど」
「思えよ! 少しは思ってよ!」
鳥須は焦ってカウンターから出て来ると、俺の手を掴んで引き止めようとしてくる。
俺はまた『触るな』と怒ってから、彼女の言い分を聞いた。
どうやら、彼女が酒飲み友達を探しているというのは本当らしい。
しかし彼女の女友達は、そこまでディープに付き合ってくれるわけではないという。
さりとて男性になると、どうしても下心が見え隠れする。
色々なお酒を楽しみたいだけなのに、その後の夜の計画を立てられるのは鬱陶しくて仕方ないらしい。
そんなとき、見つけたのが俺だった。
下心の欠片も見せず、しかも教え込めば酒にハマりそうな男。
彼女にとって、これ以上都合の良い人間はいなかった。
「しかも、自分が教えるという立場で、あわよくば人間関係で優位に立とうと思ってたのか。卑しい奴だな」
「悪かったから! ね? お願いだから友達になろうよ!」
しかし、彼女の見立て以上に、俺は鳥須に興味がなかったというわけだ。
計画が狂ったからか、作戦を変更して泣き落としにかかっている鳥須が、哀れだった。
哀れを通り越して、鬱陶しいと言っても良い。
「それで、俺にとってのメリットは?」
「ええと。可愛い女の子を侍らせて、いい気分になれるとか?」
「デメリットも良い所だな」
俺が心底馬鹿にしながら吐き捨てると、鳥須もややむっとした表情で言い返す。
「君、本当に男なのかな?」
「じゃ、この話はなかったことで」
「ごめんってばぁ!?」
縋り付くようにしてくる鳥須を、俺はまた手で払った。
そのあと、結局俺は押しに負け、俺と鳥須は友達になった。
酒という一点でのみ繋がった、とても不思議な友達に。
──────
「で、ベルガモ。この先にいい店があるって?」
もうすぐ夜になろうかという、繁華街の大通り。
聞くと、犬の獣人である同僚が、にかっと笑みを見せた。
「おうよ! オヤジさんに聞いたんだけど、自家製の酒にも拘ってるらしいぜ。総の興味を引く物があるかもよ」
「それは良いな!」
ベルガモの返事に、俺もにかっと笑って答える。
今日は店の定休日だ。俺はかねてからベルガモと約束していて、今日は一緒に飲みに出掛ける事になっていた。
この世界に来て、同年代で対等に飲み歩ける相手は少ない。
ベルガモの存在は俺にとってもありがたいものだった。
「しかし、本当に良いのか?」
「何がだ?」
急にベルガモが殊勝な顔つきで尋ねてくるので、俺はふと足を止めた。
ベルガモはややすまなそうな顔で、言った。
「もともと、俺を拾ってくれただけでも恩があるのに。獣人と一緒に歩いてたら、周りから変な目で見られたりして、その、迷惑かけないかって」
「馬鹿にすんなよこら」
俺はベルガモの言葉に、少し苛立ちながら返す。
「迷惑だとかメリットだとか、そんなんで友達を選ぶ気はないぞ。俺と気が合って、更に酒も一緒に飲んでくれて、これ以上何を望むんだ?」
「……総」
「分かったらさっさと案内してくれよ?」
「おう!」
そして、俺とベルガモの二人は静かに道を歩く。
その店が出してくれる酒とやらに、想像を膨らませながら。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
のっけから初夢入っていますが、少しウィスキーのフライングです。
ウィスキーに関しての話も、あくまで主観になります。
ミス以外の部分は適度に流していただけると幸いです。




